男と女

「男と女」について、本当にあったことをエッセイに、夢や希望を小説にしてみました。 そして趣味の花の写真なども載せています。 何でもありのブログですが、良かったら覗いて行ってください。
 
2025/04/16 5:43:05|エッセイ
人の一生
 人の一生をどう捉えるかについて、3つの考え方があると思っています。
 ひとつは産まれてから心臓が止まって死ぬまでを一生とすることで、極めて一般的な考え方です。医師などは、この立場に立っているでしょう。
 ふたつ目は、人の心に残っている間は生きているとする考え方です。カエサルはヒーローとして、クレオパトラはその美しさにおいて、2千年を超えた今もなおその名を残しています。また我々は、墓標に名を刻んで名前を残そうとします。そうすることで、人の心の中で生き続けることができるのです。
 3つ目は、健康寿命に近い考えですが、子孫を残し得るうちが人生と考えることです。あらゆる生き物はDNAによって支配され、DNAの本能は子孫を残すことにあります。従って、DNAの立場からすれば、恋ができなくなったときには、生きている価値がないのです。多くの動物は、死の直前まで出産、子育てをします。
 いずれの考え方を取るかによって、その人の生き方も違って来るでしょう。
 寿命は神様が決めることで自分ではどうしようもないし、自分の名を残すことは難しいので、僕は、今を楽しく生きたいと思っています。







2025/04/15 21:44:58|エッセイ
ジン
 今日は、2カ月に一回の年金支給日、すなわち僕の小遣い支給日なので、久し振りにジンを買って来ました。
 まだ酒を覚えたばかりの頃、横須賀のスナックでジン・ライムやジン・トニック、ジン・コークなどジンのカクテルを飲んだものでした。
 そうして鍛えた結果、今ではジンもストレートでなくては物足りなくなりました。
 ということで、チビチビやっております。
 皆様も、良い夕べの時間をお過ごし下さい。







2025/04/15 5:27:39|エッセイ
禁煙指導
 僕は20歳からたばこを始め、今も吸い続けていますから、もう50年以上吸っていることになります。
 あるとき、人間ドックを受けました。いろいろな検査が終った後で、喫煙者だけが集められ、禁煙指導がありました。呼吸器科の先生が、喫煙で真っ黒になった肺の写真を見せながら、たばこの害のひどさを訴えています。みんな俯いてシュンとなって聞いていました。
 およそ30分の指導が終ったとき、聞いていた1人が質問しました。
「ところで、先生はたばこを吸わないのですか。」
先生が答えました。
「吸います。呼吸器科の先生で吸う人はけっこう多いです。」
 皆は、それを聞いてホ〜ッと胸をなでおろしていました。







2025/04/14 5:33:45|小説「遭難記」
遭難記−11−(最終回)
遭難記−11−(最終回)

 歳月は流れて行き、俺はすっかり村の生活に溶け込んでいった。その間、モナはすっかり俺の女房のようになっていたし、ときどき村の女達も俺のところに忍んでやって来た。彼女達は、口を合わせたように、俺のセックスの方が村の男達より上手だと言った。モナは、俺が他の女達との行為を気にしていないようだった。それが、女の長として当然なことと思っていたようだった。
 海に面したところに山があった。俺が遭難して、煙によって村を見付けた高さ300mほどの山である。俺は、釣りに来たときたまにこの山に登った。浜には、俺が乗っていた飛行機があった。かなり腐食も進んでいるのだろうが、遠くからは太陽に輝いて見えた。飛行機を見ていると、日本での日々が懐かしく思い出された。特に懐かしかったのは、食事である。ここでは魚や肉、芋や野菜などはあったが、味付けは塩だけである。慣れたとはいえ、物足りなさは否定できなかった。
 あるとき、モナが自分のお腹を指差して、「赤ちゃん」と言った。妊娠したと言っているのである。避妊はしていなかったので、俺の子供に違いなかった。村の娘にも妊娠しているのがいたが、誰の子供かはわからない。産まれてくれば、顔付きなどからわかるだろう。
 モナは、男の子を産んだ。出産は、モナの祖母や母親が面倒を見た。
 3年の歳月が流れた。男の子は1歳になってよちよち歩きを始めていた。その間に、俺と関係を持った女達から、俺の子供ではないかと思われる女の子と男の子が生まれていたが、父親が誰であるかは気にしていないようだった。
 ある日、俺はモナと息子を連れて、海の近くの山に登った。3人で持って行った芭蕉の葉に包んだ芋や焼いた魚の入った弁当を食べていたとき、息子が沖を指差した。見ると船がいた。ヨットのようであまり大きくはない。船は、海岸に近付いて来た。
 俺は迷った。故郷の日本に未練がないわけではない。すっかり忘れていた事業のことを思い出した。今、火を燃やして合図すれば彼等は気付いてくれるだろう。助けを求めれば、助けてくれるだろうと思う。
 迷っている俺を心配そうにモナが見詰めた。その目と、あどけなく遊んでいる息子を見たとき、俺の気持ちは決まった。
 俺は、モナと息子の手を取り、山を下りて、そのまま真っすぐに村に向かって帰って行った。
 南国の夏の暑い日差しが俺達を照らしていたが、それさえ気持ち良く、俺の気持ちは晴れ晴れとしていた。

追記
 30年近い歳月が流れた。俺は、人々の支持を受けて村の長になった。それまでの間、たくさんの女達との交わりがあり、自分の子供が何人いるのかよくわからなかった。
 そんな女達を仕切っているモナは、堂々とした立派な体格になっていた。
              ―完―







2025/04/13 3:55:40|小説「遭難記」
遭難記−10−
遭難記−10−
 
 前の男を見よう見まねで踊るのだが、元々音感のない俺はとても早いリズムに追い付いて行けない。5分程踊ったところで、踊りの輪から逃げ出した。村の長が、笑いながら俺を迎えた。モナはしばらく踊っていたが、やがて輪から離れて俺の横に座った。
 祭りは、夜遅くまで続いた。人々は、老若男女共、飲んで食べては踊り、踊っては飲んで食べていた。
 満月が空の真上に来たとき、やっと祭りが終った。すると若い男や女達は、手を取り合って繁みに入って行った。このような風習は、昔の日本でもあったと聞いたことがある。
 俺がその様子を眺めていると、モナが俺の手を引いた。俺との時間を過ごすようである。俺は、手を引かれるままモナの後に着いて行った。モナの家族たちは、全く知らん顔である。
 モナが連れて行ったのは、俺の家だった。家に入ると、すぐに抱き合った。キスを交わす。モナも、最近はすっかりキスが上手になっていた。
 この村の男女には、キスやセックスの前の愛撫のような習慣はないようだった。俺のところに通って来る女達も、キスには驚いたようだったし、愛撫をしても最初はくすぐったがった。しかし、何度かしているうちに慣れて行って、やがて自ら俺の手を取って自分の乳房や秘密の部分に導いたりするようになった。無論、最初にそうなったのはモナだった。その夜、モナは初めて俺の家に泊まった。
 俺は、少しずつ村の暮らしに溶け込んでいった。道具を借りて、川に釣りに行ったり、たまには遠く海にまで出掛けた。海の魚は美味しいらしく、モナの家族達も喜んでくれた。俺は、村の若者達を連れて海に行った。そのために、ジャングルの道を切り開いた。海までは距離があるので大変な作業だったが、若者達は積極的に働いた。俺の指導によって、若者達の釣りも上手になっていた。釣りに行くときは、往復に時間がかかるので泊りがけである。そのために、浜に小屋も作った。海では、魚釣りの他、岩場の海老や砂浜の貝などが食べられることも教えた。
 森では、若者達に教えられて、弓や槍でウサギに似た動物の獲り方を教わったし、女達からは畑の作り方も教わった。そうしているうちに、俺はすっかり村の生活に溶け込んでいった。
 村の生活でひとつの障害は、言葉だった。俺は、家を指差して「いえ」と言ったり、魚を指差して「さかな」と言ったりして、言葉を教えたし、彼等も同じようにして彼等の言葉を教えてくれた。彼等との会話は、日本語と彼等の言葉がごっちゃになったものだったが、それでも時を経るとともに、何となく意思が通じるようになっていた。
 俺の横には、常にモナが寄り添っていた。俺とモナの関係は村の人々も公認のようだった。
              ―続く―