人妻−01− 年度末のその日、私は落ち込んでいた。ある大きな商談がライバル会社に奪われて、社長に叱責されたばかりだった。そのまま家に帰る気にもなれず、一人で渋谷のスナックに飲みに行った。 時間が早いせいかその店には他に客はおらず、カウンターの奥の端に座ってウィスキーのロックをゆっくりと飲んでいた。 私は、電機メーカー本社の営業部長をしていた。これまで業績が順調に来ていただけに、今回の敗北のショックは大きかった。飲みながらも、相手の会社の部長が大きな声で笑っている姿が浮かび、余計に気が沈んだ。 2杯目のウィスキーを頼んだとき、入り口のドアが開いて、バーテンが「いらっしゃいませ。」と言った。入り口の方を見ると女だった。年齢は30歳を超えているだろうか、知的で端正な顔をしていた。眉が濃く、切れ長な目をしている。濃紺のスーツに身を包んでいることから、見るからにOLである。 私の横に来て、「ご一緒していいですか?」と言った。私がどうぞと言うと、私の横に座った。ふと見ると、左手の薬指に指輪をしていた。 彼女は、ハイボールを注文すると、私に言った。 「今日は、無性に飲みたくて来ました。」 「そうですか。僕もそうです。」 「お仕事帰りなのですね。」 「えゝ、仕事でちょっと嫌なことがあって、真っ直ぐ家に帰る気がしなくて、こうしてここに立ち寄りました。」 「あらっ、私もですわ。」 「仕事もうまく行っているときは張り合いもあるし楽しいけど、失敗するとがっかりしますね。」 「私、今日、提案した企画を上司に散々文句を言われ、結局潰されてしまいました。」 「そうですか、僕もライバル会社に商売を取られ、社長から散々絞られたところです。」 「お互いの残念会で、乾杯しましょうか。」 私達は、グラスを合わせて乾杯した。 「三宅と言います。」 「私、富士埼です。ふじは花の藤ではなくて、富士山の富士です。ちょっと珍しいでしょう。」 「そういう点では、僕の名前などとても単純だ。間違えようがない。」 「そうですわね。でも、一々説明しなくて良いだけいいですわ。」 彼女は、そう言ってオホホと笑った。 彼女は、仕事で失敗したというわりには、あっけらかんとしていた。酒がそうさせているのか、彼女本来の性格かはわからないが、陽気な性格であるのは間違いないと思った。そんな彼女と話をしていると、私まで今日の仕事の失敗を忘れていた。 しばらくしてトイレに立ち、帰って来たときに見ると、彼女の指から指輪が外されていた。 ―続く− |