小鳩の風景−15−
私は、公園の森に住む小鳩です。去年産まれました。 春、桜の季節が過ぎて、今は八重桜が満開です。 朝の食事が終っていつもの枝で休んでいますと、車椅子におばあさんを乗せたおじいさんがやって来て、私の留っている枝の下のベンチに座りました。 「おじいさん、本当にすみませんねえ。私が先にこんな身体になるなんて思ってもいなかったのですけどねえ。」 「いや、それは仕方ないよ。どっちが先に身体を壊すかなんて、神様が決めることだよ。」 「それにしてもリュウマチだなんてねえ。私は、そんなに長くないと思いますよ。」 「そんな気弱なことを言うんじゃないよ。医者も養生すれば大丈夫だって言っていただろう。」 「私にはわかるんですよ。自分の身体ですものね。身体の中から力が湧いて来ないんですよ。元気な頃はそうじゃなかった。私が死んだら、おじいさんは自由になれるわ。」 「馬鹿な!俺は、お前がいるから生きる張り合いがあるんだ。お前が死んだら、俺だって長く生きてはいれないよ。」 「私達、幸せだったわねえ。若い頃にはいろいろあったけどねえ。」 「いろいろって?」 「あなたがまだ働き盛りだった頃、バーのホステスと浮気したでしょう。あのときは、私、本当に死ぬか離婚しようと思っていたのよ。」 「ああ、あれは悪かった。ほんの気まぐれの浮気だったんだよ。」 「あなたって、間の抜けているところがあるわねえ。連れ込みホテルのマッチなんかポケットに入れたままなんですもの。」 「なぜあんな間抜けなことをしたのか、自分でも恥ずかしいよ。」 「それと、もう一回あったわね。あれは、会社の部下のOLだったでしょう。あれは許せないと思ったわ。」 「ああ、あれか。あれも本当にすまなかった。」 「水商売ならある程度許せるような気もしたけど、部下に手を出すなんて最低よ。」 「うん、気の迷いだったんだ。」 「でも、みんな遠い過去のこと。今では全部許してあげるわ。」 「ありがとう。本当に済まなかった。」 「私も、死ぬ前にひとつだけ告白したいの。」 「何?何でも言っていいよ。僕は驚かないから。」 「そう。それなら言うわ。胸にしまったまま死んだのでは地獄に行きそうなの。」 「そう、秘密は良くないよ。」 「決して怒らないと約束してくれる?」 「ああ、大丈夫だよ。」 「実は、私も一度だけ浮気したことがあるの。」 「えっ!」 「一度だけよ。」 「一体、いつ頃なんだい。」 「あなたが最初の浮気をした後だから、40歳の頃かしら。」 「相手は誰なんだい。」 「私が勤めていた会社の上司よ。あなたの浮気のことで相談に行ったの。そしたら、そのままホテルに誘われたの。」 「・・・・・」 「私、最初からそんな気があったわけじゃなかったの。ただあなたの浮気のことがあって優しくされたから、ついそうなっちゃったの。」 「ああ・・・・・」 おじいさんは、座り込んだまま、頭を抱えてしまいました。 「ああ、なんてことだ。俺は、お前だけは信じていたのに・・・」 「あなたには、本当にすまないと思っています。」 「・・・・・」 おじいさんは、頭を抱え込んだまま、身動きをしません。 「お前は・・・・、お前は・・・・」 「すみませんでした。ただ、後にも先にも、それ一回だけです。」 「・・・・・」 「あなた、怒っているの?」 「・・・・・、いいや、いいや、いいんだ。」 しかしその返事は力がないものでした。 「さあ、帰ろう。」 おじいさんは、力無くそう言い、車椅子を押し始めました。その背中は、来るときにはなかったほど力が抜けたものでした。 夫婦の幸せの総和は同じで、一人が心の解放で幸せになった反面、一人が心の重荷を背負った典型的な例を見たような気がしました。 ―続く― |