初冬の風―26− 山頂のベンチで食事をしながらも、私は「大丈夫ですか」と聞いた。慶子は、何を言われたのかわからないようで、私を見ながらキョトンとした顔をした。 「いえ、何となく慶子さんの元気がないみたいだから、ちょっと心配になって。」 「すみません。私は大丈夫なのですが、母親のことが心配でしたから、余計なことを考えていました。ご心配をかけてすみませんでした。」 「いえ、とんでもない。慶子さんは、忙しいようですものね。決して無理はしないでください。」 「ありがとうございます。ちょっとしたことでも、心配事があると人間は心が暗くなってしまうものですね。大したことはないのですが、どうしても母親のことが気になりまして。」 慶子は、本来明るい性格だった。これまではいつも笑顔を絶やさなかった。それなのに、年が明けて以来その笑顔が見られない。 幼いころ父親を亡くした慶子は、母親の手だけで育てられた。兄弟もいなくて、母一人子一人で育った彼女にとって、母親は唯一の親族と言って良かった。だからその気持ちがわからないことはない。私は、下山しながらも、これからどうすべきか迷った。 年末以来、ずっと逢っていない。逢いたいという欲望、結ばれたいという強い欲望が、私にはあった。一方で、傷心の慶子に対して、そういう欲望を露骨に示して良いものかという理性もあった。若い頃ならともかく、この歳になって欲望が抑えられないことはない。大事なのは、慶子の心の傷が大きくならないことである。 私は、彼女の家に行って良いものかどうか、踏ん切りのつかないまま下山にかかった。二人は、話も少ないまま下りて行き、分かれ道に差し掛かった。私は、どうしたものか考えの纏まらないまま立ち止まった。 私の様子を見た慶子が、振り向いて言った。 「どうかなさいました?」 「い、いや。君のところに行きたいけど、君はお母さんのことでそんな気になれないのじゃあないかと思って。」 私は、正直にそう言った。このまま黙って別れるのも変だし、図々しく一緒に行くのも気が引けたからである。 ―続く― |