春の行方−44−
顧客への異動の挨拶回りを済ませると、光太郎は一恵からの仕事の申し送りを受けることにした。仕事の内容は、売上の数字の整理や法定の財務諸表の作成や予算資料の作成などである。
申し送りを受けていて感じたのだが、一恵の仕事は完璧だった。ファイルはきれいに整理されてインデックスが付けられており、資料の場所の一覧表も作成されてファイルの場所が細かく書き込まれている。仕事を引き継いで一番困るのが資料のあり場所であるが、これなら探すのに苦労することはなかった。一恵の普段の姿から、このような緻密な仕事をしていたとはちょっと想像ができなかった。仕事の内容は、営業の経験もあるからすぐに理解でき、申し送りは1日で終った。
3月の末、一恵は休暇を取って、引越しの荷物を送り出すことにした。この日、光太郎も休暇を取り一恵の発送を手伝うことにした。今までは、公然と手伝える環境になかったが、今回は仕事の前後任者という立場であり、誰にもはばかることなく手伝えた。それが別れの時であることが、皮肉に思えた。
4月に入って、しばらくは財務諸表の作成などで忙しかった。会社には株主や税務署に対する思惑があって、そのための数字の整理の仕方にも工夫が必要なのである。しかし財務諸表の提出が終り、6月の株主総会が終って仕事が一段落すると、脱力感に襲われるようになった。仕事に、張り合いがないのである。基本的には、提出された数字の整理であり、営業にいた頃のように顧客相手の緊張感がない。しかも、課の人間はみんなクールだった。営業のときのような連帯意識が感じられない。第一線から外された人間が味わう疎外感であるが、25歳の光太郎には過酷な試練だった。
初夏になり、光太郎は、次第に元気がなくなって行った。寮の仲間との飲み会に言っても、あまり喋らなくなったし、そのうち出席するのも憂鬱になり、一人で部屋で過ごすことが多くなった。佳津枝からは、毎日のようにメールが来ていたが、返事もあまり出さなくなった。佳津枝は、たまの返事の中の文章で読み取ったのか、しきりに心配している。
ある日、久恵が「夏休みは、みんなでベトナムに旅行に行くけど、三永君はどうする?」と聞いた。
光太郎は、行きたいと思わなかった。即座に、「僕は、やめておくよ。」と言った。
「ねえ、最近、元気がないみたいだけどどうしたの? 三永君らしくないわ。」
「うん、なぜかやる気が起こらないんだ。」
「どうしちゃったの?何が原因なの?」
そう聞かれても、それに答える気さえ起こらなかった。久恵も、そんな光太郎の様子に、言葉の継ぎ穂がないようで黙ってしまった。
佳津枝からのメールで、夏休みの予定を聞いて来た。光太郎は、お盆の休みになったらすぐに帰るつもりだと返事を出した。
今年は営業企画なので、会社のカレンダーどおりお盆に9日間の休みである。土曜日、休みに入るとすぐに新幹線で広島に向かった。
広島駅では、佳津枝が車で出迎えに来ていた。車に乗り込むとすぐに佳津枝が話し掛けた。
「今年の夏休みは、海外旅行とかにも行かないのね。」
「うん。」
「他の人達も行かないの?」
「いや。」
言葉少ない光太郎を、佳津枝は不審そうな顔で見ていた。
−続く−