若草の唄−10−
当時、私は大学を卒業間際になっていて、就職の方もある会社の地元の支店に決まった。3月に入ると入社の手続きをしたり、研修等で大阪の本社に行ったりしてそれなりに忙しい日を過ごしていた。卒業のときには、紀美子は長い祝電を寄越してくれた。 自分が大学に行けなかった思いを私に託していたような、そんな内容の電文だった。 私は、卒業が終わって入社前の僅かな時間を見計らって家に帰り、両親に感謝の意を表すと、そのまま紀美子のところに会いに行った。 「電報、ありがとう。嬉しかったよ。」 「本当におめでとう。良かったわね。」 「うん、両親も貧しい中大変だったと思って、今、お礼を言って来たところだよ。」 「そうね、お父さん、お母さんも光ちゃんには期待しているみたいだから、これからも頑張らなくっちゃね。」 「うん、お腹の赤ちゃん、随分大きくなったね。」 「ええ、もうお腹を蹴ったりするのよ。」 紀美子はそう言いながら、自分のお腹を撫でている。その姿は幸せな母親そのものであった。 「でも、これから育てて行くのに女手ひとつで大変だね。」 「ええ、それは覚悟しているわ。でも、困ったら光ちゃんにも助けて貰わなければならなくなるかも知れないわ。」 そう言って明るく笑う。 「うん、そのときは遠慮なく言ってよ。」 そう冗談っぽく言ったものの、これから紀美子や産まれて来る子供が出会うであろう困難を思うと胸が痛んだ。 私は、入社してからしばらくは研修的な意味合いもあって、大阪の本社で勤務することになっていた。大阪の勤務は1年の予定で、それが過ぎるとこっちの支店に帰してくれるということであった。 出発の日、母親と紀美子が駅まで見送りに来てくれた。持ち前の美しさが仕事柄洗練されていた紀美子と、ついこの前まで貧乏学生で、まだスーツにも慣れていない私とでは、周りから見ればいかにも不自然な取り合わせであったが、幼いときからいっしょに遊んで来た私達は、何の違和感も感じなかった。 5月に入って、紀美子が無事に男児を出産したとの連絡を受けた。母子共に健康とのことで、私は早速祝電を送った。 8月のお盆のとき、私は帰省して紀美子に会った。 紀美子は、赤ん坊を抱いて出てきた。 「電報、ありがとう。嬉しかったわ。」 「紀美ちゃんも、赤ちゃんも、とても元気そうだね。」 「ええ、おかげさまで。」 「店の方はどうなっているの?」 私は、心配していることを聞いてみた。 「ええ、芳江ちゃんっていたでしょう。ちょっと年配の女の子、彼女にしばらくみて貰うことにしたの。この子と一年くらいはいっしょにいてやりたいと思うの。」 「そうか、赤ちゃんのためにはその方がいいのかな。」 そうは言ったものの、私は店がうまく行くかどうか、ちょっと心配だった。 飲み屋となると、店よりママさんの人柄に客が集まって来る。今まで紀美子の店が流行っていたのは紀美子の人柄によるところが大きかった。芳江は確かに人は良かったのだが、客を上手に扱う才覚は紀美子の足元にも及ばない。それが私の心配の理由だった。 −続く− |