若草の唄−15−
さほど真剣な顔もしていなかったから、おそらく妻は軽い気持ちで紀美子のことを言ったのではないかと思う。しかしその言葉は私をドキリとさせた。裏返せば、やはり紀美子のことを好きだったのである。それが恋愛感情かと聞かれれば、必ずしもそれだけではない。兄妹のような感覚も持っていたし、異性を意識しないでもなかった。それが証拠に、紀美子が妊娠をしたと聞いたときには大きなショックを受けたし、激しい嫉妬心も抱いた。妻はそれ以上何も言わなかった。 私達の結婚生活は平凡だが幸せだった。結婚して一年後には女の子が産まれた。 名前を何と付けるか迷ったが、私はどうしても紀美子の名前から一字をとりたいと思った。結局、美和子と名付けた。 その後も、大阪での勤務が続いた。故郷の支店に帰してくれるという入社当初の約束はいつの間にか反古にされていた。その代わり本社では私を優遇してくれた。27歳という社内では異例の早さで係長に昇進したし、難しい仕事も任された。 仕事が忙しかったので、故郷に帰るのは年に一度が精一杯だった。帰ると必ず紀美子のところに顔を出した。娘の美和子を連れて行ったこともあったが、その時は6歳年上である息子の光太郎が一緒に遊んでくれた。二人が居間で仲良くいっしょに遊んでいるところを見ていると、まるで自分達の30年前を見ているようだった。 結局、私達夫婦の間には子供は一人のままだった。私は37歳で課長に昇進した。これも社内では異例の早さと言われた。 この頃、紀美子の息子は高校に進学していた。母親に似た頭の良い子らしく、市内の公立高校だったが入学時の成績はほとんどトップだったという。ラグビー部に入り、一年のときから活躍しているのも母親の運動神経の良さを受け継いだのだろうと思う。 子供のことは、紀美子からの手紙で知ることができた。自慢話などほとんどしない紀美子だったが、子供のことになると話は別だった。手紙の文面にも、本当に嬉しそうに子供の成績が良いことや、ラグビー部での活躍のことが書かれていた。 一方、娘の美和子の方は、成績は中の上程度だったが、可愛く育っていた。帰省の都度紀美子のところに行き、そのとき光太郎にも会ったが、利発そうな顔をしていた。片親であるという暗さは微塵も感じられなかった。 美和子が中学生のとき、一緒に里帰りをしてそのとき紀美子の家に連れて行き、久しぶりに光太郎に会ったが、二人は簡単な挨拶を交わしただけで、それ以上何も話さなかった。 −続く− |