若草の唄−25−(最終回)
私は、紀美子の前で足を止めて言った。 「実は、昔から紀美ちゃんのことを好きだったんだ。」 しばらく躊躇った後、私はやっとの思いでそう切り出した。 「本当に好きだった。結婚したいと思っていた。でも小さい頃は勉強ができて金持ちの紀美ちゃんと貧しいうちでは釣り合わないと思っていたし、紀美ちゃんのお父さんが亡くなったときには結婚できるのかと思ったけど、結局あゝなってしまったんだ。」 生まれてこれまで60年近くになる人生で、紀美子に対して結婚したかったというのは初めてだった。今言っておかなければ、もう言う機会はないのではないか、そんな気がして敢えて言った。 「私も光ちゃんのことを好きだったわ。私だって結婚できればと何度思ったことか。でもいけない、水商売の私では光ちゃんのために良くない、そう思ったわ。」 「そうか、そうだったんだ。良かった。紀美ちゃんもそう思ってくれていたんだね。」 「そうね、私達同じ思いだったのよ。」 「でも、お互いそれを言わなかったし、言い出せなかったね。」 ちょっと間を置いて、紀美子は話を続けた。 「これが縁なのよ。人間って不思議だと思うわ。相手が知らない人なら平気で言えることも、好きだからかえって言えないことがたくさんあるわ。」 「紀美ちゃんと結婚していたら、随分違った生活だったろうね。」 「確かに。ちょっと想像がつかないわ。」 「でも、その願いは子供達が達成してくれたね。」 「そうだわ。あの子達が叶えてくれたわ。とても仲良く幸せそうだもの。」 「ねえ・・・・」 「何?」 「うん・・・・」 「何なの?」 「あの・・・」 「どうしたの?」 「キスさせて欲しいんだ。」 「えっ?」 今度は、紀美子は急に顔を赤らめて下を向き、黙り込んだ。随分長い時間が過ぎたような気がした。でも、実際には紀美子が私の方を向いて目を閉じるまでにそんなに長い時間が過ぎてはいなかっただろうと思う。私は、紀美子の唇に自分の唇をそっと合わせた。 窓からは柔らかい初秋の日差しが差し込んで、二人の背中を照らしていた。 −完− |