男と女

「男と女」について、本当にあったことをエッセイに、夢や希望を小説にしてみました。 そして趣味の花の写真なども載せています。 何でもありのブログですが、良かったら覗いて行ってください。
 
2023/07/15 5:56:53|エッセイ
ラブレター
 文章を書くことは、難しく大変です。同じようなテーマの小説を読んでいても、読みやすいのと、読んでいて疲れるのがあります。
 学生の頃、同じ部屋にいた後輩のM君が僕のところにやって来て、1枚の紙を見せながら「手紙を書いているのですが、この文章のどっちが良いでしょうか?」と聞きました。
 見ると2つの文章が書いてありました。
ひとつには「雨の中、君が風邪をひかなかった心配です。」とあり、もうもうひとつには「雨の中、君に風邪をひかせなかったか心配です。」とありました。
 聞けば、先日雨の中でデートをし、そのお礼文の一節だと言います。僕は、後者の方が君の主体性があっていいよと答えました。
 彼は、そのことは百も承知で僕に聞いたのだと思いました。彼は、彼女もいなくていつも寂しそうにしている先輩の僕に、プライドを傷つけないように恋のテクニックを教えようとしていたのです。
 







2023/07/14 4:54:39|エッセイ
ボーイハント
 まだ学生の1年生だった頃の夏のある日、大分から出て来た同期生と一緒に横須賀の海に遊びに行きました。夏の海岸は、海水浴客で賑わっています。当時は、ビキニの水着が流行っていて、随分と目の保養になったものです。
 二人でしばらく目の保養をしていると、むこうからスタイルの良いビキニの美人が僕達のすぐ前にやって来て、折り畳んであったゴムボートを広げ、足踏みポンプのホースを繋いで、ポンプを踏み始めました。ところがポンプが故障しているのか、ボートは一向に膨らむ気配がありません。彼女は、そんなことには一向に気にする様子もなく、ポンプを踏み続けています。
 30分も踏み続けていた頃、若い男がやって来て、彼女に声をかけました。そして何か話して、ゴムボートとポンプのホースをちょこちょこっと触ったと思うとすぐにボートは膨らみました。ボートが膨らむと、二人は海へは入らず、ボートを抱えてどこへともなく立ち去りました。
 田舎から出て来たばかりの僕達は、口をポカンと開けて、その様子を見ていました。







2023/07/13 15:09:47|エッセイ
モテる条件
 アレクサンダー大王、ナポレオンと並んで、今でも世界3大英雄の一人とされている古代ローマのユリウス・カエサルは、国家財政ほどの借金をする借金王であるとともに、名うてのプレイボーイでした。
 古代ローマの上流貴婦人達が、列を作って彼との逢瀬を待っていたと言いますし、一説によれば元老院議員の奥さんや愛人の1/3を寝取ったと言います。彼の借金の貸主であるクラッススの妻とも通じていました。
 不思議なのは、これらの事実が全てオープンだったことです。女性の誰もが彼に別にたくさんの愛人がいることを知り、妻や愛人を寝取られた男達の恨みも買わなかったのです。
 なぜ彼がそんなにモテたのか、「ローマ人の物語」の著者の塩野七生さんは、次のように分析しています。

1 豪華な贈り物
 愛人セルヴィーリアには、首都で豪邸が2軒買えるほどの真珠を送りました。なおセルヴィーリアの息子は、後年カエサルを殺すブルータスでした。
2 愛人の存在をオープンにしたこと
 たくさんの人に愛されている男と愛人関係になることは、女の競争心を煽ったのかもしれません。
3 切らない関係
 カエサルは、自分の方から手を切ろうとはしなかったようです。向こうが自分を好いているにに、無理に関係を切ろうとすれば恨みを買いますね。
 我が国では、火野正平がそうみたいです。
 
 以上、僕もカエサルにあやかりたいのですが、イケメンであっても残念ながらお金もなく、借金のアテすらありません。







2023/07/13 5:06:51|エッセイ
単身赴任余話
 宮崎から帰って東京での4年間の勤務の後、再び、浜松への転勤の話がありました。僕は、家族の前でその話をしました。
 すると息子が言いました。
「父ちゃん、地方に行くのなら、母ちゃんを連れて行きなよ。母ちゃんを貰ったのは父ちゃんなんだから、ちゃんと自分で責任を取れよな。」
 飼い主さんは、「あんた、どうするのよ」というような顔をしてこっちを見ています。責任問題を言われてはどうしようもありません。僕は、仕方なく息子に頷きました。
 ということで、浜松には飼い主さんと二人で赴任しました。その間、子供達は自由を謳歌していたようです。
 結局、我が人生での単身赴任生活は、宮崎での2年間だけでした。







2023/07/12 4:54:55|エッセイ
別れ
 宮崎での単身赴任は、ちょうど2年間で終りました。平成7年7月東京への転勤です。
 別れの日、日向港からフェリーで東京に向けて出発しました。船の別れは寂しいものです。特に、出発が夕暮れ時であったために、余計に寂しさがつのります。
 宮崎での単身生活は、僕の人生で最も楽しい2年間でした。たくさんの友達と、たくさんの思い出ができました。みんな陽気で親切な人達で、楽しい思い出ばかりです。それらたくさんの思い出を胸に秘めての別れは、本当に寂しいものです。
 たくさんの隊員達が、日向港まで見送りに来てくれました。仕事を終わってすぐに1時間以上もかかるところを見送りに来てくれたのです。
 僕は、彼等のために何もできなかったけど、それでも見送りに来てくれる優しい心を持っている人達です。
 でも、見ると女性達の姿がありません。きっと僕に想いを寄せている女性達が、電柱の陰やフェニックスの木陰に隠れて涙を流している筈なのですが、どこを探しても、誰もいません。あれほど僕にサービスし、親切にしてくれた女性達の姿が、どこにもないのです。
 でも、よく考えて見ると、僕の隣には飼い主さんがいました。彼女達は、本当は見送りに行きたいけど、それがバレて家庭騒動になってはいけないからと気を使って身を引いたに違いないのです。それほど優しくて気配りのある人達なのです。
 見送りは、男達ばかりであったけれども、船がずーっと遠くに見えなくなるまで、無骨な手を力一杯振ってくれました。
 そして夕日が沈む頃、船から岸壁が見えなくなりました。