男と女

「男と女」について、本当にあったことをエッセイに、夢や希望を小説にしてみました。 そして趣味の花の写真なども載せています。 何でもありのブログですが、良かったら覗いて行ってください。
 
2025/04/07 5:23:10|小説「遭難記」
遭難記−04−
遭難記−04−

 島に不時着して10日目のことである。移動を続けていた俺の目の前に高い山が見えた。おそらく高さ300mはあるだろう。そこに登ると、島の広い範囲が見えるのではないかと思った。山の大部分はジャングルに覆われていたが、上の方には岩場のようなところも見える。
 俺は、山から流れている小川沿いに登り、途中からは岩場を登って行った。3時間かけてやっと頂上に着いた。山頂から見ると、島はかなり大きいらしく、南には海が広がっているが、北側はジャングルと山が続いていた。今までの飛行経路からしても、島であることは間違いがなかった。
 山頂の岩に腰かけてぼんやりと遠くを眺めていたとき、北側の森の中から煙が登っていることに気が付いた。小さいものだったが、人がいる証拠である。
 俺は希望を持った。距離的には10Kmほどとそう遠くはなさそうだが、道があるわけではなく途中には深いジャングルがあって相当な困難が予想された。しかし何としても人がいるところに行かなければと思った。
 その日、山から下りるとゆっくりと寝て、翌日から煙の方向に向かって歩いて行くことにした。
 ジャングルの中を進むのは大変だった。途中で繁みがあって行く手を阻み、ともすれば方向を見失いがちだった。繁みを避けるために遠回りしなければならなかったし、方向を見定めるために木に登ったりした。目標は、向こうの高い山の麓である。
 悩まされたのは、蚊のような虫やヒル、それに蛇である。何種類かの蛇がいて、中にはいかにも毒々しいものもいて、おそらく咬まれれば命がないだろうと思えた。俺の身体には、ひっかき傷や虫に刺された痕で酷い状態だった。
 途中、広場のようなところで火を焚きながら寝て、畑のようなところに出たのは翌日の昼過ぎだった。タロイモのようなものが、明らかに人の手が加えられた跡がある。
 しばらく進むと、若い女が果物の実を採っているのを見付けた。麻でできたような簡素な衣類を身に着けている。俺は、驚かさないように、遠くから手を挙げながら「ヤア!」と言ってゆっくりと近付いた。女は、驚いた様子だったが、俺の笑顔に気付いたのか逃げる様子はなかった。俺は、身振り手振りで、自分が困っていることを伝えた。女は、果物の入った籠を持つと、手振りで自分の後に着いて来いと言った。
              ―続く―







2025/04/06 3:45:49|小説「遭難記」
遭難記−03−
遭難記−03−
 
 翌日から、浜辺を中心に周囲を歩いてみた。浜辺のヤシの林の奥はジャングルのようになっていて、その中に入るのは大変そうだった。迷子になって野垂れ死にしたくはなかった。
 食料を確保するために、少しジャングルに入って、魚でもいれば突き刺して掴まえるための竹を切って槍を作った。
 それが使えるチャンスはすぐにやって来た。大きな蛇がいたのである。昔聞いた話で、自衛隊のレンジャー部隊では蛇も食べると聞いていた。俺は、竹槍で蛇の頭を突き刺すとナイフで首を切った。
 しかし生で食べる勇気はない。何とか火を起こそうとした。枯れた椰子の皮を集め、拾って来た堅い木を擦ってそれに火をつけるのである。30分ほど苦闘した末にやっと火がついた。俺は、慌てて椰子の枯葉や枯れ木などを集めて火を絶やさないようにした。そのときから、枯れ枝集めは大事な仕事のひとつになった。
 最初は気味が悪いと思っていた蛇の肉は、焼くと意外と美味しかった。味付けは、海水である。蛇の肉を海水で洗い、木の枝に刺して焼いた。空腹が最大のコックとはよく言ったものである。
 俺は、少しずつ行動範囲を広げていった。決まった小屋があるわけではなく、椰子の葉で雨避けの作るだけなので移動は自由である。持って行くのは、飛行機にあった斧とナイフ、それに手作りの槍と木の枝先の火種だけである。
 一日、数キロずつ移動を重ねて行った。夜になると雨避けの小屋を作っては寝た。
 その間、蟹を掴まえることができた。鋏の大きな蟹で、焼いて食べると美味しかった。ジャングルではバナナを見付けた。青く固いバナナだったので焼いて食べたが、これで炭水化物の補充は何とかなりそうである。
 3日目には、半島のようなところに出た。半島の先は岩場になっている。そこで見ると、岩の間に30cmほどの魚が群を作って泳いでいた。近寄っても、逃げる様子はない。槍で突いたら簡単に獲れた。俺は、その魚を串に刺して焼いた。久し振りの魚は美味しかった。
 そのうちドリアンのような実を見付けた。これは美味しかった。このような経験から、次第に食糧の心配はしなくて済むようになった。
 しかし問題は孤独感だった。喋る相手もいなければ、相談する相手もいない。会社では、常に誰かと接していたし、一人でいる時間など寝ているとき以外には全くと言ってよいほどなかった。困ったことがあれば、誰かに相談できたし、難しいことは命ずれば良かった。それが今は全く一人で、全て自分で決めて自分でしなければならない誰も助けてくれない。
 そうは言っても、誰にも邪魔されないで、全て自分で決められるという自由もまたありがたいと思った。
              ―続く―







2025/04/05 5:21:15|小説「遭難記」
遭難記−02−
遭難記−02−
 
 眼下には無数の島々が見えている。さすがに世界一島が多いと言われるインドネシアである。群青色の海に浮かぶ島々の景色は実に美しかった。俺は、それらの景色を見ながら飛行を続けた。
 セスナの航続距離は650マイル(約1000Km)ほどだから、そろそろ引き返そうと思ったときである。突然エンジンの出力が落ちた。スロットルを押したり引いたりしてみるが、回復の兆しはなく高度がどんどん落ちている。俺は、離陸前に部品を持って首を傾げていた整備員のことが頭に浮かんだ。
 そのとき悪いことに空が暗くなってきた。南方特有のスコールである。無線で緊急事態を宣言しようとしたが、高度が低く島影であることから応答はなかった。
 前方には雲が広がっている。有視界飛行なので、雲の中に入ると大変である。俺は、雲の中に入らないよう徐々に高度を低くして行った。相変わらずエンジンのパワーは出ない。最終的に不時着を決心し、降りられそうな海岸を探した。
 しばらく低空飛行を続けていると、海岸の砂浜が見えて来た。俺は、海岸近くの洋上に不時着することにした。
 激しい振動と共に機体は着水した。幸い機体が大破することはなく、俺に怪我もなかった。浅瀬なので機体から出ると水の中を歩いて砂浜に上がった。そこはどうやら島のようで、海岸にはヤシの木が茂り、砂浜と共に延々と広がっていた。人の気配はなかった。
 浜辺に座ると、俺は途方にくれた。取り敢えず生きて行くための食糧の確保が必要であるし、暗くなれば寝るところも確保しなければならないが、当面何をすれば良いのかわからない。
 椰子の林に歩いて行くと、大きな実が落ちていた。何とか飲み物は確保できそうだが、割る手段がない。飛行機に非常脱出の斧やナイフがあるのを思い出して、工具などと一緒に取りに戻った。苦心惨憺したあげくやっとの思いで椰子の実を削って中の水を飲んだ。生き返る思いがした。
 時計を見ると午後3時だった。そろそろ寝る場所の確保が必要である。南国なので寒さの心配はないが、雨を防ぐ必要があった。椰子の倒木と葉を利用して簡単な小屋のようなものを作った。その日は、その小屋で寝た。
 寝ながらも、今後どうやって食料を確保しようか、どうすれば救助を求めたら良いかなどと考えると不安が募る。やっと寝たのは深夜だった。空には無数の星が輝いてきれいだったが、俺はそれどころではなかった。
              ―続く―







2025/04/04 4:57:16|小説「遭難記」
遭難記−01−
遭難記−01−
 
 俺が10年前に始めたソフト開発の事業は時代の波に沿って成功し、今では従業員200名ほどの企業へと成長し、年商100億を超す企業になった。俺の収入も、それに見合うものだった。
 ある程度時間と金のゆとりができたので、趣味として1年かけて自家用操縦士の免許を取り、小型機を買った。セスナ機で、5千万円ほどで買えた。
 時間があると調布の飛行場に行っては空の散歩を楽しんだ。
 1年ほどで500時間の飛行時間を稼いだとき、近くのフライトだけでは物足りないと感じるようになり、遠くに行きたいと思うようになった。
 最初北海道に行ったときは、雄大な景色に興奮した。九州や沖縄に行ったときは、島並みの美しさや海の色に目を見張った。飛行時間が1000時間を超えたとき、外国の空を飛んでみたいと思うようになった。
 夏のある日、俺は2週間の休みを取ってインドネシアに行くことにした。インドネシアには、商社に勤めている大学の同期生がいたので、彼に飛行機の手配を頼んだ。俺が持っているのと同型のセスナ機である。
 ジャカルタの飛行場に着いたとき、友人が出迎えてくれて、最初に借りる予定の飛行機のところに案内してくれた。エプロンに出された飛行機のところに行くと、現地の整備員が握手で迎えてくれた。
 その日は友人と一緒に飲んで、次の日からフライトの予定である。
 翌日は朝から良い天気だった。昼間にスコールはあるが、予報でもしばらくは良い天気が続きそうである。
 飛行場に着くと、早速昨日の整備員がやって来て、拙い英語で、「おはようございます。エンジンもちゃんと整備しておきました。」と言った。
 俺は早速飛行機に乗り込むと、エンジンを回した。いつもながら、エンジンの音が聞こえ、その振動が伝わると緊張が漲る。
 俺がゆっくりとスロットルを前に倒すと、機体はゆっくりと動き始めた。整備員は、手を振りながら見送ってくれたが、左手に持った小さな部品のような物を見て首を傾げていた。ちょっと嫌な予感がしたが、すぐに気を取り直して滑走路に向かって機体を進めた。
 滑走路に出て管制塔の離陸許可が出ると、思い切りスロットルを前に倒した。機体は、あっという間に地上を離れた。
 雲一つないフライトは快適だった。俺は、機首を東に向けてフライトを続けた。
           ―続く―







2025/04/04 4:38:55|エッセイ
民主主義はどこに行った?
 日本は、民主主義の国です。本来、全員一致で決められれば望ましいのですが、それができないときは多数決で決めることになります。
 結婚したばかりの頃、僕は部屋でたばこを吸っていましたが、飼い主さんは何も言いませんでした。子供ができたとき、「あんた、赤ちゃんの健康に悪いから外で吸いなさい。」と言われて、外で吸うようになりました。
 それから20年の歳月が過ぎ、息子達は2人ともたばこを吸うようになりましたが、3人でベランダに出て吸っていました。
 我が家には、多数決とか民主主義はないようです。