くさびら紀行
日ごろの興味をもったキノコ・植物・歴史町並み等を書きとめます。
プロフィール
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kinoko-masaru
■自己紹介
江戸の母「川越」すまい。
定年退職後のきままな生活。
第二の生活はキノコと町並みウオッチング。
■趣味
キノコ・植物観察。
平家蛍飼育とシイタケ栽培
歴史の町並みウオッチング。
■アクセス数
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2010/05/29 20:58:44|
川越
「平岩・水飼両家住宅」市指定文化財
川越の一番街は平日もかなり観光客が来ていますが、土・日・祝日はすごい。
この建物は、当時糸繭製茶煙草問屋を営んでいた正木屋大川喜兵衛の手により明治26年5月に上棟されたもの。間口5間(1.8mx5)と広く店舗部分と住居部分が一棟となった町屋形式で総二階です。蔵造り商家の手法である箱棟(はこむね)や鬼瓦・かげ盛等があります。 *箱棟とは木製の箱状の芯に、漆喰などを塗り重ねて作られており、屋根を最上部で支える棟木(むなぎ)の保護のためにあります。
現在は「銀巴里理髪店」と「太陽堂書店」が二分する長屋風建物。この本屋は川越の歴史等の本がかなり置いてあります。また、この主は川越の歴史にも素養が深いという。この理髪店はカットのみ等でやっていて値段は庶民的です。
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2010/05/28 19:39:14|
川越
川越の一番街「滝島家住宅」市指定文化財
川越の一番街の街並みは、江戸で完成した最高の商家形式の土蔵造りといわれてます。その店舗は今も店蔵として生きてます。
滝島家住宅は屋号を「熊重」と称し、酒類販売を営む二代目滝島重蔵を建主として、明治28年11月に大工棟梁高柳鉄五郎によって上棟された。今も酒屋の「熊重」と呼ばれ親しまれています。
敷地は旧南町と旧多賀通りが交差する北側の角地(上中央)で、川越の一等地にあります。この敷地条件に適合させるように下屋(母屋から差し出して造られた屋根)庇(げやひさし)を店蔵から矩折れ(かねおれ)出しております。店蔵は二階建て切妻造り。外観は全体的に質素で、外壁を漆喰の剥離を防ぐために銅板で巻いているのも質素な味わいです。また、二階の観音開扉も簡素な銅ぶきになっています。*矩折れとは曲尺のように直角に折れた状態。
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2010/05/27 4:07:08|
町並み
以上、沖縄でした。
今回は偶然にも47.5.15本土復帰日であった。時勢もあってガイドさんから聞いた話を書きまーす。写真はそろいませんが。基地内の住所はカルホルニア州扱いで、現地の人はリトルアメリカと言っています。滑走路の厚さは1m(コンクリート)、長さ約4kmでどんな飛行機でも着陸可能。マッハ3で東京ー沖縄20分。戻ってきた戦闘機は燃料をゼロにしないと着陸できないそうです。すぐに進軍できる海兵隊が約8割をしめる。家族も含めて約5万人。一日目の夕食は将校専用のサムズレストランでした。車窓から撮った(上左、中央)。
クワズイモ(食わず芋)は里芋の仲間ですが、皮膚の粘膜に対して刺激のある「シュウ酸カルシウム」という成分があるので、有毒植物(右上・左下)。このイモを食べると舌がしびれて会話がうまくできない状態になったりすることから、英語では「Dumb Cane(口のきけない茎)」とも呼ばれているそうです。
明日は休み
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2010/05/26 1:27:59|
町並み
沖縄の大交易時代の冊封使
沖縄では、近世の琉球で使われいた進貢船が残っていない。そこで玉泉洞王国村の会長が沖縄の船大工町に依頼し、大型の進貢船を復元しました。
当時の琉球(1272年、「三山時代」察度王)では、冊封使(さっぽうし)が乗る船を「御冠船」「冠船」と呼んでいました。一方、琉球の役人が中国へ出航した船は「進貢船」と言いました。その船は琉球の船大工たちが造るまでは中国の皇帝から授けられたそうです。その頭号船の一号船は長さが30m、広さが8.4m,深さが4.5mあったという(海の文化資料館企画展より)。
*冊封とはこの貿易を中国皇帝に公認してもらうこと。実質的には中国との貿易。貿易と観光が沖縄の生きる道かも。
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2010/05/24 22:03:07|
町並み
ホテルはマリオット リゾート&スパでした
>沖縄は梅雨真最中ですが、天候は大丈夫でしたか?
5/12日は晴れ。5/13日は小雨。14日の午後は強い雨中、サンゴ礁を観るためグラスボートにのりました(午後はOP)。
>航空機利用のミステリツアーなんて勇気ありますね
九州にはいかないと書いてありましたので、うちは四国と予想したが、北海道を予想して厚着で来た人もいました。
今回の沖縄旅行は、S社のデラックスミステリーツア3日間に参加しました。ホテルは世界的に有名なホテルグープのオキナワ マリオット リゾート&スパでした。総ガラス張りの高い天井が印象的でした(上中央)。部屋はかなり広く、大きな窓に突きだしたリビングスペースがあり、眺めは抜群でした。
この花は、台湾名で月桃、ショウガ科、テレビとバスガイドの紹介でやや全国的な花になったそうです。
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