ようこそ!こいこい」住まいるリハビリ

平穏な年金暮ら!。「2009交通事故に遭う、障害者2級・介護3」介護支援センターのケアーサービス実施。※パソコン&テレビ(スポーツ・ドキュント等)も楽しんみ、「在宅介護リハビリ(診療・療法)ライフ」。
 
2018/08/08 9:49:40|新聞を読んで・・・。
バリ島滞在の海老蔵さん「無事」地震死者98人!。6日

★バリ島滞在の海老蔵さん「無事」地震死者98人!。6日、インドネシアのロンボク島で、地震により倒壊した住宅 インドネシア国家防災庁は6日、中部ロンボク島であったマグニチュード(M)6.9の地震で、イスラム教の礼拝所(モスク)が倒壊し、礼拝中だった多数の地元住民が巻き込まれた模様だと明らかにした。6日までに同島と西隣のバリ島で合計98人の死亡と、日本人女性1人の軽傷も確認されたが、犠牲者がさらに増える懸念が広がっている。ロンボク島では7月29日にもM6.4の地震があり、20人が死亡した。国家防災庁によると、7月29日の揺れは、5日の前震だったとみられる。すでに倒壊したり、大きく傷ついたりした建物が多く、短期間のうちに2回の大きな地震に襲われたことで、被害が拡大した模様だ。今回の震災が起きた夕方は、イスラム教の祈りの時間で、各地のモスクに多くの人が集まっていた。地元メトロテレビは、礼拝中に地震が起き、天井が崩落するモスクから逃げ出す人たちの様子を伝えた。ロンボク島で開かれるテロ対策の国際会議に出席するため、各国の閣僚が滞在中だった。ニュージーランドのリトル法相は、ラジオ番組のインタビューで「大きく建物が揺れ、たくさんの物が落ちてきた。本当に恐ろしかった」と振り返った。シンガポールのシャンムガム法相は「立つこともできなかった」として、フェイスブックにホテルの壁が落下した様子などを投稿した。被災したロンボク島や、同島の北西に位置するギリ諸島、バリ島は、いずれも世界中から観光客が集まるリゾート観光地で、地震発生時にも多数の日本人がいたとみられる。バリ島にある在デンパサール日本総領事館によると、ロンボク島にいた40代の日本人女性が右足に軽傷を負った。同総領事館は5日夜から対策本部を設置して情報収集に当たっている。歌舞伎俳優の市川海老蔵さんは家族とバリ島に滞在中で、ブログで無事を報告した。インドネシア当局によると、ギリ諸島には、地震発生時、観光客約1000人が滞在中だった。諸島を構成する三つの小島には、干潮時に大型船が着岸できないため、救助活動に時間がかかっている。警察が公開した動画では、救助待ちの観光客数百人が砂浜にあふれた。日本外務省は、現地の日本人観光客らに対し、「家屋が倒壊している地域への訪問は避け、関連災害や事故に巻き込まれないように」と呼びかけている。被災した場合は、速やかな連絡を求めている。







2018/08/08 7:49:43|歳時記(花鳥風月)
 7300本のサルスベリ3種類が鮮やかに 秩父ミューズパーク
7300本のサルスベリ3種類が鮮やかに 秩父ミューズパークで見頃、9月上旬まで次々開花 見頃を迎え、色鮮やかに咲き誇るサルスベリ=4日午前11時ごろ、秩父ミューズパーク斜面広場
秩父市と小鹿野町にまたがる秩父ミューズパークのミューズの森ゾーンにある斜面広場で、夏を代表する花木のサルスベリが見頃が迎え、訪れた人々を楽しませている。サルスベリは中国原産の落葉樹。名前は幹がつるつるしていて、猿も滑り落ちてしまうという意味に由来する。8月上旬から9月上旬の間に次々と花を咲かせ続け、開花期間が長いので「百日紅」の別名もある。
同広場の面積は約3600uで、本数は約7300本。いずれも低木のサマーファンタジーやパープルクイーン、ホワイトフェアリーの3種類が色鮮やかに咲き誇る。
問い合わせは、同パーク管理事務所(電話049.25.1315)へ。







2018/08/07 21:38:02|歳時記(花鳥風月)
8月7日は「立秋」。立秋は「暦の上では秋」と表現される

連日山沿いに現れる夏雲。雲のない青空の日も午後には大地が暑くなり上昇気流が現れ雲が発達する=福井市で 8月7日は「立秋」。立秋は「暦の上では秋」と表現されることも多いが実際の気候は猛暑まっただ中のことが多い。福井県内でも今年は最高気温が史上最高の39度を記録するなど異常に暑さが続く。立秋が近づいても連日最高気温が35度を超える猛暑日だ。7日以降も涼しくなる期待は薄い。そもそも「暦の上で秋」という表現は適切ではない。立秋を過ぎると「残暑」と表現するのも実態に合わなくなってきた。なぜ「立秋」過ぎても暑いのか。 「立秋」は「二十四節気」という季節を表す指標の一つ。江戸時代まで日本で使われてきた「太陰太陽暦」(旧暦)は中国で作られ月の満ち欠けを元にして満月から次の満月まで29・5日間を一月とした。この月の動きを元にした暦は季節と少しずつずれてくる。このため古代中国で太陽の動きを元に1年を24等分する二十四節気が定められ、節気を元に閏月(うるうづき)を入れて調整してきた。二十四節気は旧暦の月を決める元ととなるもので旧暦の暦では年ごとに日にちが違った。 旧暦に変換するとことしの立秋8月7日は6月26日。2017年は6月16日。2016年は7月5日と毎年違う。旧暦では6月は夏で、そもそも「暦の上では秋」という表現はおかしい。これに対して太陽の動きを元にした現在の暦では「立秋」は8月7日か8月8日と一定している。 二十四節気は太陽の動きを元にして1年を24に等分して季節を表している。地球が太陽の周りを回る(公転)とき空の上の見かけ上の太陽の位置は少しずつ動き1年かけて元の場所に戻る。地球の地軸が傾いているため太陽の高さも変化し、日照時間の違いで季節が生まれる。太陽が最も北側にあり高度が低い「冬至」を基点に太陽が真東から上がり真西に沈む「春分」、最も高度が高い「夏至」、再び真東に戻る「秋分」をはじめ「啓蟄」、「霜降」「大寒」「大暑」などおなじみの言葉が並ぶ。 「春分」と「夏至」のちょうど中間が「立夏」で二十四節気では夏の始まり。「立秋」は「夏至」と「秋分」の中間でこの日から秋だ。毎年5月6日ごろの「立夏」は天気もよく暑くなり始めるころで季節感とも一致することが多いが、立秋はいつもまだ暑い。これは現代だけでなく平安時代の人たちも同じような感覚を抱いていたようだ。ただ二十四節気と実際の季節はずれることが多い。三六歌仙の一人藤原敏行に「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」という和歌がある。「秋立つ日によめる」という言葉が付き、立秋の日によんだ短歌だ。立秋になっても目に見えた変化はないが、風が強まってきたという意味だ。立秋は旧暦の平安時代でも暑かったらしい。







2018/08/06 21:29:33|歳時記(花鳥風月)
南北経済協力事業と観光事業再開

【激動・朝鮮半島】韓国の融和策「うわべだけ」 北朝鮮紙が非難、経済協力進まずいら立ち!。北朝鮮の朝鮮労働党機関紙、労働新聞は31日、制裁を理由に中断したままの南北経済協力事業である北朝鮮の開城(ケソン)工業団地や金剛山(クムガンサン)観光を再開しない韓国政府を批判し、事業の再開を迫った。経済的利益に結び付かない現状の南北融和策にしびれを切らして直接、いらだちを露呈させた形だ。同紙は「前保守政権が犯した事業中断の収拾策を口に出す考えすらなく、外部勢力に便乗して制裁・圧迫リストに新しいことを付け加えようとしている」と論評で韓国の文在寅(ムン・ジェイン)政権を非難。南北で進む実務協議や軍事会談、スポーツでの協力を挙げて「うわべだけにすぎず、実のあるものはほぼない」と不満を示した。開城工団については、韓国政府が、工団に進出した韓国企業関係者153人による訪朝申請を許可せずに保留している。北朝鮮の非核化措置が進まず、米国が制裁を維持する中、時期尚早だと判断したもようだ。 一方、北朝鮮側は、金剛山観光事業に尽力した韓国・現代(ヒョンデ)グループの故鄭夢憲(チョン・モンホン)元会長の追悼式を金剛山で開くため、妻の玄貞恩(ヒョン・ジョンウン)会長らが訪朝することに同意した。観光事業再開につながる狙いがあるものとみられる。







2018/08/05 21:09:32|新聞を読んで・・・。
連載小説「赤い風」、文藝春秋から書籍化 梶よう子さん
埼玉新聞の連載小説「赤い風」、文藝春秋から書籍化 梶よう子さん、作品を語る 三富新田訪れ、受けた衝撃 「歴史は途切れるものではなく、江戸時代から現在までずっと地続きでいる」と話す梶よう子さん=東京都港区 埼玉新聞で昨年連載された梶よう子さんの歴史小説「赤い風」が、文藝春秋から出版された。江戸時代の元禄年間に川越藩が行った三富新田の開拓を題材に、武士と農民が身分の垣根を超えて大事業を成し遂げていく物語だ。作品に込められた思いなどを梶さんに聞いた。■地に足を着けた人々 梶さんが三富新田のことを知ったのは7〜8年前。別の話題を調べていたとき、「面白い畑がある」と聞いた。短冊形の敷地に畑、屋敷林、屋敷などがあり、林の落ち葉を堆肥に使う伝統的な循環型農法の畑。資料を読んで理屈は分かったが、具体的には想像がつかなかったという。 「赤い風」の執筆に当たって、初めて三富新田を訪れた。「ああ、これ!」。畑、林、屋敷などが美しく機能的に並んでいる風景を見て「これが人の手でつくられたことに衝撃を受けた」。地元の農家に話を聞くと、「(初代から数えて現在は)十何代目とかいう。これはとんでもない人たちだなと」。 歴史小説は市井の庶民や武家を主人公にしたり、歴史的事件を扱ったりするものが多いが、「赤い風」のように名もなき農民たちを描いたものは異色といえる。「農民はその時代の基になっていた人たち。農民を主人公にしたものもいいんじゃないか」。先祖から受け継いだ土地を耕し、守っている人々。「地に足を着け、そこで強く生きている。それを今も守り続けていることは素晴らしい」と話す。■主役2人の恋の行方も 「赤い風」に登場する川越藩主の柳沢吉保や荻生徂徠はもちろんのこと、村の名主らも実在の人物をモデルにしている。主役の2人、家老の息子の曽根啓太郎と農民の正蔵は創作上の人物という。物語の発端となった秣場(まぐさば)を巡る騒動は史実だが、そこから先は梶さんが話を膨らませていった。 各地から集められた農民たちによって開発が進められ、「赤い風」が吹く荒地を農地へと変えるために要した期間はわずか2年。物語では、困難に直面した農民たちが武士に本音をぶつける場面がしばしば出てくる。「本来ならば首が飛ぶでしょうが…。身分の垣根を超えて一緒にやらなければできない開拓だった」 最初はわだかまりがあった啓太郎と正蔵だが、最後は強い絆で結ばれる。今回出版された本では、新聞連載にはなかった後日談が紹介されている。それぞれの恋の行方と、未来。「富(とめ)のいも」として、イモの名産地となった三富新田のその後。320年余りの歴史がある三富新田の“最初の人々”の物語は大団円を迎える。■かじ・ようこ 東京都生まれ。2005年に「い草の花」で九州さが大衆文学賞、08年に「一朝の夢」で松本清張賞を受賞。16年には「ヨイ豊」で直木賞候補、歴史時代作家クラブ賞作品賞を受賞した。他の著書に「みちのく忠臣蔵」「商い同心 先客万来事件帖」など。父は川本町(現深谷市)、母は熊谷市出身。