男と女

「男と女」について、本当にあったことをエッセイに、夢や希望を小説にしてみました。 そして趣味の花の写真なども載せています。 何でもありのブログですが、良かったら覗いて行ってください。
 
2025/04/05 5:21:15|小説「遭難記」
遭難記−02−
遭難記−02−
 
 眼下には無数の島々が見えている。さすがに世界一島が多いと言われるインドネシアである。群青色の海に浮かぶ島々の景色は実に美しかった。俺は、それらの景色を見ながら飛行を続けた。
 セスナの航続距離は650マイル(約1000Km)ほどだから、そろそろ引き返そうと思ったときである。突然エンジンの出力が落ちた。スロットルを押したり引いたりしてみるが、回復の兆しはなく高度がどんどん落ちている。俺は、離陸前に部品を持って首を傾げていた整備員のことが頭に浮かんだ。
 そのとき悪いことに空が暗くなってきた。南方特有のスコールである。無線で緊急事態を宣言しようとしたが、高度が低く島影であることから応答はなかった。
 前方には雲が広がっている。有視界飛行なので、雲の中に入ると大変である。俺は、雲の中に入らないよう徐々に高度を低くして行った。相変わらずエンジンのパワーは出ない。最終的に不時着を決心し、降りられそうな海岸を探した。
 しばらく低空飛行を続けていると、海岸の砂浜が見えて来た。俺は、海岸近くの洋上に不時着することにした。
 激しい振動と共に機体は着水した。幸い機体が大破することはなく、俺に怪我もなかった。浅瀬なので機体から出ると水の中を歩いて砂浜に上がった。そこはどうやら島のようで、海岸にはヤシの木が茂り、砂浜と共に延々と広がっていた。人の気配はなかった。
 浜辺に座ると、俺は途方にくれた。取り敢えず生きて行くための食糧の確保が必要であるし、暗くなれば寝るところも確保しなければならないが、当面何をすれば良いのかわからない。
 椰子の林に歩いて行くと、大きな実が落ちていた。何とか飲み物は確保できそうだが、割る手段がない。飛行機に非常脱出の斧やナイフがあるのを思い出して、工具などと一緒に取りに戻った。苦心惨憺したあげくやっとの思いで椰子の実を削って中の水を飲んだ。生き返る思いがした。
 時計を見ると午後3時だった。そろそろ寝る場所の確保が必要である。南国なので寒さの心配はないが、雨を防ぐ必要があった。椰子の倒木と葉を利用して簡単な小屋のようなものを作った。その日は、その小屋で寝た。
 寝ながらも、今後どうやって食料を確保しようか、どうすれば救助を求めたら良いかなどと考えると不安が募る。やっと寝たのは深夜だった。空には無数の星が輝いてきれいだったが、俺はそれどころではなかった。
              ―続く―







2025/04/04 4:57:16|小説「遭難記」
遭難記−01−
遭難記−01−
 
 俺が10年前に始めたソフト開発の事業は時代の波に沿って成功し、今では従業員200名ほどの企業へと成長し、年商100億を超す企業になった。俺の収入も、それに見合うものだった。
 ある程度時間と金のゆとりができたので、趣味として1年かけて自家用操縦士の免許を取り、小型機を買った。セスナ機で、5千万円ほどで買えた。
 時間があると調布の飛行場に行っては空の散歩を楽しんだ。
 1年ほどで500時間の飛行時間を稼いだとき、近くのフライトだけでは物足りないと感じるようになり、遠くに行きたいと思うようになった。
 最初北海道に行ったときは、雄大な景色に興奮した。九州や沖縄に行ったときは、島並みの美しさや海の色に目を見張った。飛行時間が1000時間を超えたとき、外国の空を飛んでみたいと思うようになった。
 夏のある日、俺は2週間の休みを取ってインドネシアに行くことにした。インドネシアには、商社に勤めている大学の同期生がいたので、彼に飛行機の手配を頼んだ。俺が持っているのと同型のセスナ機である。
 ジャカルタの飛行場に着いたとき、友人が出迎えてくれて、最初に借りる予定の飛行機のところに案内してくれた。エプロンに出された飛行機のところに行くと、現地の整備員が握手で迎えてくれた。
 その日は友人と一緒に飲んで、次の日からフライトの予定である。
 翌日は朝から良い天気だった。昼間にスコールはあるが、予報でもしばらくは良い天気が続きそうである。
 飛行場に着くと、早速昨日の整備員がやって来て、拙い英語で、「おはようございます。エンジンもちゃんと整備しておきました。」と言った。
 俺は早速飛行機に乗り込むと、エンジンを回した。いつもながら、エンジンの音が聞こえ、その振動が伝わると緊張が漲る。
 俺がゆっくりとスロットルを前に倒すと、機体はゆっくりと動き始めた。整備員は、手を振りながら見送ってくれたが、左手に持った小さな部品のような物を見て首を傾げていた。ちょっと嫌な予感がしたが、すぐに気を取り直して滑走路に向かって機体を進めた。
 滑走路に出て管制塔の離陸許可が出ると、思い切りスロットルを前に倒した。機体は、あっという間に地上を離れた。
 雲一つないフライトは快適だった。俺は、機首を東に向けてフライトを続けた。
           ―続く―







2025/04/04 4:38:55|エッセイ
民主主義はどこに行った?
 日本は、民主主義の国です。本来、全員一致で決められれば望ましいのですが、それができないときは多数決で決めることになります。
 結婚したばかりの頃、僕は部屋でたばこを吸っていましたが、飼い主さんは何も言いませんでした。子供ができたとき、「あんた、赤ちゃんの健康に悪いから外で吸いなさい。」と言われて、外で吸うようになりました。
 それから20年の歳月が過ぎ、息子達は2人ともたばこを吸うようになりましたが、3人でベランダに出て吸っていました。
 我が家には、多数決とか民主主義はないようです。







2025/04/03 5:50:41|エッセイ
たばこ
 たばこには、癒しの効果があります。戦争映画で、戦闘の後で兵士たちが美味しそうに吸っている場面が良く出て来ます。また、試験など緊張の後などは、本当に美味しいと思います。たばこの害が叫ばれていますが、害だけではなくきっと良いところもあると信じています。
 最近は、全体の喫煙率は下がっているものの、女性の喫煙者が増えていると言います。あるときスェーデンから来た人も、同じようなことを言っていました。
 女性でも、オードリー・ヘップバーンのような美人がクラブでゆったりと吸っている姿は、本当に絵になりますが、若いおねえさんが、通りを歩きながらプカ〜ッと吸っている姿には、どうにかならないものかと思ってしまいます。
 たばこを吸うにも、おしゃれ感覚が欲しいものです。







2025/04/02 5:03:55|エッセイ
酒と料理
 僕は酒が好きです。日本酒、焼酎、ビール、ウィスキー、ワイン、ブランデー、ウオッカ、テキーラ、老酒などアルコールの入っているものなら何でも飲みます。女性と酒の種類で文句は言わない主義なのです。
 日本と西洋では、酒に対する考え方が違うと言います。料理学校でフランス料理も学んだ料理の達人のI3尉が言いました。
「日本と西洋では、酒と料理に対する考え方が違います。日本では酒が主役で、料理は“酒の肴”と言われるように脇役です。一方、西洋では、魚なら白ワイン、肉なら赤ワインのように料理に合わせて酒を選びます。」
言われてみれば、確かにそうです。
 でも、寒い日は、飼い主さんの作ったほうれんそうのバター炒めと豚肉でも、日本酒の熱燗を飲みます。
 酒は、副食に合わせることもありますが、気候にも合わせるのも良いですね。