男と女

「男と女」について、本当にあったことをエッセイに、夢や希望を小説にしてみました。 そして趣味の花の写真なども載せています。 何でもありのブログですが、良かったら覗いて行ってください。
 
2024/12/28 4:31:27|エッセイ
髪の毛の掃除
 宮崎で単身赴任をしたことがある某司令官が言いました。
「官舎に女が来た時には、必ずと言ってよいほど髪の毛が落ちるから、女房が来る前にちゃんと掃除しておかなければならない。そのためには、掃除機で吸いとるのだが、それだけではダメだ。掃除機の中のゴミを捨てる必要がある。それでもまだ不十分で、もう一度掃除機をかけて中を髪の毛の入っていないゴミの状態にしておかなければならない。それでなくては疑われるのだ。」
 さすが偉くなる人、仕事のみならず、日々の生活でも細心の注意を払っていたのです。







2024/12/27 12:34:08|男の手料理
ナマコとバーボン
 山歩きから下りて来たところで、飼い主さんが、「あんたの好きなナマコを買って来たよ」というので、早速飲むことにしました。
 午後からは、テレビで好きな西部劇を放送するようなので、酒は西部劇に合わせてバーボンです。
 ということで、今日はナマコを肴にバーボンとなりましたが、これはこれでけっこう行けます。







2024/12/27 3:56:43|エッセイ
寝言
 僕は、寝言をいう癖があって、特に日本酒を飲んだときがひどいようです。若い頃は、真面目な寝言が多く、号令をかけたり、仕事のことなどを言っていたようですが、これは飼い主さんの証言によるもので、一人暮らしのときは確認のしようがありません。
 ある日、テレビのコマーシャルに釣られたのと、いつも飲み歩いている穴埋めにと、飼い主さんに指輪を買いました。そのことで夫婦の関係は、極めてうまく行っていました。
 基地の盆踊り大会があった日のことです。この日、飼い主さんが単身赴任先の宮崎にやって来ました。僕は、お客さんを相手に午後からかなり飲んでいたし、飼い主さんもご機嫌でした。僕は、飼い主さんを連れて町に飲みに出掛け、二次会、三次会と飲み歩き、家に帰って来たときには、ヘベレケでした。それでも、その晩は静かに寝ました。
 翌朝のことである。目が覚めると、飼い主さんが怒っています。僕は、なぜ怒っているのか訳がわかりません。聞いてみると、床に入ったらすぐに飼い主さんを捕まえて、「君、今日は泊まって行かないか。」と、しつこく口説いたというのです。「あんたは、いつもあんなことを言っているのか」と、取りつく島もありません。
 お金と努力を注ぎ込んで作り上げた信頼関係も、たった一言の寝言で脆くも崩れ去ったのです。
 信頼は、築くには長い歳月と努力が必要ですが、崩れるのは一瞬なのです。







2024/12/26 15:48:59|エッセイ
私が愛した人では・・・
 「彼女は、私が愛した人ではなくなっていた。」
 1939年の映画「風と共に去りぬ」で一躍トップ女優となったビビアン・リーは、名俳優のローレンス・オリヴィエと結婚します。
 しかし彼女は、その後心の病(躁鬱病)になってしまい、人格が変わったようにオリヴィエに反抗します。はじめは我慢していたオリヴィエですが、やがて耐え切れずに離婚します。
 その時、最初の「彼女は、私が愛した人ではなくなっていた。」という言葉を残します。
 そう言えば、我が家にもかって僕が愛した人ではなくなった女が一人います。
    NHK「ザ・プロファイラー」より







2024/12/26 4:52:44|エッセイ
大八郎と鶴富姫
 季節は秋なのに、まだ夏の太陽が威張っている頃のある日、宮崎県北部にある椎葉村に行きました。海岸の日向市から約60キロ山の方に入ったところにあって、途中の道幅は狭く、車で2時間近くもかかります。椎葉村の町並みは、山あいの狭いところに密集しており、長い間よくもこんなところで生活していたものだと感心させられます。
 源平合戦の折、壇の浦で破れた平家は、西へ西へと逃れて行き、日向の国に来てからは、更に九州山地の山奥に向かって逃避行を続け、椎葉の山あいに落ち着きました。
 その中に平清盛の直系である鶴富姫がいました。鎌倉幕府は、那須与一の弟の那須大八郎に討伐を命じます。
 長い月日をかけて椎葉の村に辿り着いた大八郎は、彼等に叛意がないことを知り、やがて村を治めるようになります。その間に、大八郎と鶴富姫は恋に落ち、やがて鶴富姫は懐妊しますが、非情にも、そのとき幕府は大八郎に帰還を命じます。涙ながらに大八郎は鶴富姫を残して、村を後にしました。
 やがて、鶴富姫は女児を産み、その娘の嫁ぎ先の家がずっと椎葉の村を治めました。村人達は、このことに感激し、姓を皆、那須と椎葉に改めたといいます。
 単身赴任だった僕も、このような恋がしたかったのですが、残念ながら宮崎に子供を残すことはありませんでした。