男と女

「男と女」について、本当にあったことをエッセイに、夢や希望を小説にしてみました。 そして趣味の花の写真なども載せています。 何でもありのブログですが、良かったら覗いて行ってください。
 
2025/04/09 4:38:39|小説「遭難記」
遭難記−06−
遭難記−06−
 
 村の長は、隣の男達と何かを喋っていたが、俺には何を言っているのかわからない。隣に座っていた娘が、空になった俺のコップに酒を注ぐ。会話ができないのは不自由なものである。ゆっくりではあるが、俺は料理を食べながら飲み続けていた。
 村の長や男達と目が合うと、俺はカンパイと言ってコップを持ち上げた。彼等も、カンパイと言ってコップを持ち上げて酒を飲んだ。カンパイが、初めて彼等と交わした言葉だった。
 その後も、カンパイを続けながらの時間が流れた。男達は酒が強いらしく、饒舌にはなっていたが、酔い崩れる様子はなかった。さすがに俺は酔いが回ってウトウトしたらしい。男も女も、そんな俺を見ながら笑っていたが、いつしか意識を失っていた。
 気が付くと、自分の小屋に寝かされていた。傍には、隣で俺に酒を注いでいた少女が寝台の横に座っていた。頭がズキズキしていた。彼女が、水甕から汲んだ水を、竹のコップに入れて差しだした。俺は、それを一息に飲んだ。彼女は、名前をモナと言った。村の長の孫娘だった。手振りで彼女が18歳であることを知った。南方なので色は黒いが、スタイルは抜群でセクシーである。再び眠って目が覚めると、彼女はもういなかった。
 翌朝、目が覚めてぼんやりしているとモナが食べ物を運んできた。焼いた魚と蒸した芋と果物だった。二日酔いであまり食欲はなかったが、食べ物を喉に押し込んだ。そんな俺をモナは笑顔で眺めていた。
 午前中寝台で寝ていたら、昼には昨日畑で出会った娘が食べ物を運んで来、夜には別の娘が食べ物を運んで来た。その後もそんなことが続いた。モナが付き添って来ることもあれば、他の娘が一人でやって来ることもあった。モナと彼女達は親し気に話をしているが、モナが他の娘たちを仕切っていることはその態度でわかった。
 俺は村の散歩をすることにした。村には、広場を中心に2〜30軒の家があった。村の中心には幅10m程の小川が流れ、魚が泳いでいた。村からは、四方の畑に通じる道があった。広場を過ぎるとジャングルに入り、人がやっと歩けるほどの狭い道である。
 畑に向かって歩いていると、後ろから足音が聞こえた。振り向いて見ると、モナだった。彼女は、俺に近付くと俺の腕を取った。顔は笑っている。俺は、彼女と腕を組むと、一緒に歩いて行った。
 途中で彼女が指さす方を見ると、バナナやマンゴーのような果物があった。畑に着いてみると、そこにはタロ芋が植えられていた。彼等は、完全に自給自足の生活を送っているようだった。おそらく着ている麻の衣類も、自分達で作っているのだろう。
 モナは、相変わらず俺と腕を組んだままだった。
              ―続く―







2025/04/08 2:05:54|小説「遭難記」
遭難記−05−
遭難記−05−

 女の後に着いてジャングルの小道を30分ほど歩くと、集落のある広場に着いた。集落には、木と椰子の葉で作られた簡素な家が数十軒あった。
 女は、その中の大きな家の前に立つと、そこで待つように手で合図して、家の中に入って行った。
 しばらくして、女と一緒に老人が出て来た。60歳くらいだろうか、少女と同じような麻の衣類をまとって腰の部分を紐で縛っている。精悍な顔つきで、肌は赤銅色をしており、腕は太くなかなか風格があった。
 老人は、俺をまじまじと見ていたが、女に何か話すと家に戻った。女は俺の前に戻って来ると、俺の背を叩いて自分の後に着いて来るように言った。女が案内したのは、小さな家だった。女は、中に入るように指差すと、戻って行った。どうやら、その家が俺に提供されたようだった。
 小屋は8畳ほどの広さで、真ん中に囲炉裏のような焚き火の場所と椰子の葉でできた敷物があり、部屋の隅には食器の入った簡単な棚や寝台があった。
 俺は、しばらく寝台に横たわっていたが、これまでの疲れと安心感からかいつしか寝てしまったようだった。
 肩を揺さぶられて目が覚めた。見ると、昼間の女が俺を起こしていた。手招きで、自分の後に着いて来いと言っている。外に出ると、既に薄暗くなり始めていた。俺は、黙って女の後に着いて行った。
 女は、俺を昼間の老人の家に連れて行った。中に入ると、老人とその周囲に数人の男と女がいた。女には、老人と同じくらいの歳の者が一人の他は、若い者が多い。後で知ることになるのだが、老人は村の長、女達は一人の妻と複数の愛人のようだった。男達は30歳代くらいで、老人の子供のようである。
 村の長である老人は、自分を指差してムイと言った。どうやら自己紹介のようである。俺は、自分を指差してコウタ(光太)と言った。
 部屋には、椰子の葉を編んだ敷物が円形に敷かれ、真ん中には果物や蒸した芋、焼いた魚などが並べられている。
 女達が、木でできた大きな皿に料理を取って男達の前に置いた。村の長には高齢の女が、俺の前には若い女が皿を置いた。それに合わせて、竹で作られたコップにどぶろくのような液体が注がれた。若い女は、そのまま俺の横に座っていた。
 村の長が、コップを手に取って乾杯するように持ち上げた。俺も見習うように、コップを持って乾杯した。液体には、アルコールが入っていて甘酸っぱい味がした。
              ―続く―







2025/04/07 5:23:10|小説「遭難記」
遭難記−04−
遭難記−04−

 島に不時着して10日目のことである。移動を続けていた俺の目の前に高い山が見えた。おそらく高さ300mはあるだろう。そこに登ると、島の広い範囲が見えるのではないかと思った。山の大部分はジャングルに覆われていたが、上の方には岩場のようなところも見える。
 俺は、山から流れている小川沿いに登り、途中からは岩場を登って行った。3時間かけてやっと頂上に着いた。山頂から見ると、島はかなり大きいらしく、南には海が広がっているが、北側はジャングルと山が続いていた。今までの飛行経路からしても、島であることは間違いがなかった。
 山頂の岩に腰かけてぼんやりと遠くを眺めていたとき、北側の森の中から煙が登っていることに気が付いた。小さいものだったが、人がいる証拠である。
 俺は希望を持った。距離的には10Kmほどとそう遠くはなさそうだが、道があるわけではなく途中には深いジャングルがあって相当な困難が予想された。しかし何としても人がいるところに行かなければと思った。
 その日、山から下りるとゆっくりと寝て、翌日から煙の方向に向かって歩いて行くことにした。
 ジャングルの中を進むのは大変だった。途中で繁みがあって行く手を阻み、ともすれば方向を見失いがちだった。繁みを避けるために遠回りしなければならなかったし、方向を見定めるために木に登ったりした。目標は、向こうの高い山の麓である。
 悩まされたのは、蚊のような虫やヒル、それに蛇である。何種類かの蛇がいて、中にはいかにも毒々しいものもいて、おそらく咬まれれば命がないだろうと思えた。俺の身体には、ひっかき傷や虫に刺された痕で酷い状態だった。
 途中、広場のようなところで火を焚きながら寝て、畑のようなところに出たのは翌日の昼過ぎだった。タロイモのようなものが、明らかに人の手が加えられた跡がある。
 しばらく進むと、若い女が果物の実を採っているのを見付けた。麻でできたような簡素な衣類を身に着けている。俺は、驚かさないように、遠くから手を挙げながら「ヤア!」と言ってゆっくりと近付いた。女は、驚いた様子だったが、俺の笑顔に気付いたのか逃げる様子はなかった。俺は、身振り手振りで、自分が困っていることを伝えた。女は、果物の入った籠を持つと、手振りで自分の後に着いて来いと言った。
              ―続く―







2025/04/06 3:45:49|小説「遭難記」
遭難記−03−
遭難記−03−
 
 翌日から、浜辺を中心に周囲を歩いてみた。浜辺のヤシの林の奥はジャングルのようになっていて、その中に入るのは大変そうだった。迷子になって野垂れ死にしたくはなかった。
 食料を確保するために、少しジャングルに入って、魚でもいれば突き刺して掴まえるための竹を切って槍を作った。
 それが使えるチャンスはすぐにやって来た。大きな蛇がいたのである。昔聞いた話で、自衛隊のレンジャー部隊では蛇も食べると聞いていた。俺は、竹槍で蛇の頭を突き刺すとナイフで首を切った。
 しかし生で食べる勇気はない。何とか火を起こそうとした。枯れた椰子の皮を集め、拾って来た堅い木を擦ってそれに火をつけるのである。30分ほど苦闘した末にやっと火がついた。俺は、慌てて椰子の枯葉や枯れ木などを集めて火を絶やさないようにした。そのときから、枯れ枝集めは大事な仕事のひとつになった。
 最初は気味が悪いと思っていた蛇の肉は、焼くと意外と美味しかった。味付けは、海水である。蛇の肉を海水で洗い、木の枝に刺して焼いた。空腹が最大のコックとはよく言ったものである。
 俺は、少しずつ行動範囲を広げていった。決まった小屋があるわけではなく、椰子の葉で雨避けの作るだけなので移動は自由である。持って行くのは、飛行機にあった斧とナイフ、それに手作りの槍と木の枝先の火種だけである。
 一日、数キロずつ移動を重ねて行った。夜になると雨避けの小屋を作っては寝た。
 その間、蟹を掴まえることができた。鋏の大きな蟹で、焼いて食べると美味しかった。ジャングルではバナナを見付けた。青く固いバナナだったので焼いて食べたが、これで炭水化物の補充は何とかなりそうである。
 3日目には、半島のようなところに出た。半島の先は岩場になっている。そこで見ると、岩の間に30cmほどの魚が群を作って泳いでいた。近寄っても、逃げる様子はない。槍で突いたら簡単に獲れた。俺は、その魚を串に刺して焼いた。久し振りの魚は美味しかった。
 そのうちドリアンのような実を見付けた。これは美味しかった。このような経験から、次第に食糧の心配はしなくて済むようになった。
 しかし問題は孤独感だった。喋る相手もいなければ、相談する相手もいない。会社では、常に誰かと接していたし、一人でいる時間など寝ているとき以外には全くと言ってよいほどなかった。困ったことがあれば、誰かに相談できたし、難しいことは命ずれば良かった。それが今は全く一人で、全て自分で決めて自分でしなければならない誰も助けてくれない。
 そうは言っても、誰にも邪魔されないで、全て自分で決められるという自由もまたありがたいと思った。
              ―続く―







2025/04/05 5:21:15|小説「遭難記」
遭難記−02−
遭難記−02−
 
 眼下には無数の島々が見えている。さすがに世界一島が多いと言われるインドネシアである。群青色の海に浮かぶ島々の景色は実に美しかった。俺は、それらの景色を見ながら飛行を続けた。
 セスナの航続距離は650マイル(約1000Km)ほどだから、そろそろ引き返そうと思ったときである。突然エンジンの出力が落ちた。スロットルを押したり引いたりしてみるが、回復の兆しはなく高度がどんどん落ちている。俺は、離陸前に部品を持って首を傾げていた整備員のことが頭に浮かんだ。
 そのとき悪いことに空が暗くなってきた。南方特有のスコールである。無線で緊急事態を宣言しようとしたが、高度が低く島影であることから応答はなかった。
 前方には雲が広がっている。有視界飛行なので、雲の中に入ると大変である。俺は、雲の中に入らないよう徐々に高度を低くして行った。相変わらずエンジンのパワーは出ない。最終的に不時着を決心し、降りられそうな海岸を探した。
 しばらく低空飛行を続けていると、海岸の砂浜が見えて来た。俺は、海岸近くの洋上に不時着することにした。
 激しい振動と共に機体は着水した。幸い機体が大破することはなく、俺に怪我もなかった。浅瀬なので機体から出ると水の中を歩いて砂浜に上がった。そこはどうやら島のようで、海岸にはヤシの木が茂り、砂浜と共に延々と広がっていた。人の気配はなかった。
 浜辺に座ると、俺は途方にくれた。取り敢えず生きて行くための食糧の確保が必要であるし、暗くなれば寝るところも確保しなければならないが、当面何をすれば良いのかわからない。
 椰子の林に歩いて行くと、大きな実が落ちていた。何とか飲み物は確保できそうだが、割る手段がない。飛行機に非常脱出の斧やナイフがあるのを思い出して、工具などと一緒に取りに戻った。苦心惨憺したあげくやっとの思いで椰子の実を削って中の水を飲んだ。生き返る思いがした。
 時計を見ると午後3時だった。そろそろ寝る場所の確保が必要である。南国なので寒さの心配はないが、雨を防ぐ必要があった。椰子の倒木と葉を利用して簡単な小屋のようなものを作った。その日は、その小屋で寝た。
 寝ながらも、今後どうやって食料を確保しようか、どうすれば救助を求めたら良いかなどと考えると不安が募る。やっと寝たのは深夜だった。空には無数の星が輝いてきれいだったが、俺はそれどころではなかった。
              ―続く―