男と女

「男と女」について、本当にあったことをエッセイに、夢や希望を小説にしてみました。 そして趣味の花の写真なども載せています。 何でもありのブログですが、良かったら覗いて行ってください。
 
2026/06/30 2:03:23|小説「春の行方」
春の行方−44−
春の行方−44−

 顧客への挨拶回りを済ませると、光太郎は一恵からの仕事の申し送りを受けることにした。仕事の内容は、売上の数字の整理や法定の貸借対照表や損益計算書などの財務諸表の作成や予算資料の作成などである。
 申し送りを受けていて感じたのだが、一恵の仕事は完璧だった。ファイルはきれいに整理されてインデックスが付けられており、資料の場所の一覧表も作成されファイルの場所が細かく書き込まれている。仕事を引き継いで一番困るのが資料のあり場所であるが、これなら探すのに苦労することはなかった。
 一恵の普段の姿から、このような緻密な仕事をしていたとはちょっと想像ができなかった。仕事の内容は、営業の経験もあるからすぐに理解できた。結局、申し送りは1日で終った。
 3月の末、一恵は休暇を取って、引越しの荷物を送り出すことになり、この日、光太郎も休暇を取り一恵の発送を手伝うことにした。今までは、公然と手伝える環境になかったが、今回は仕事の前後任者という立場であり、誰にもはばかることなく手伝えた。それが別れの時であることが、皮肉に思えた。
 4月に入って、しばらくは財務諸表の作成などで忙しかった。会社には株主や税務署に対する思惑があって、そのための数字の整理の仕方にも工夫が必要なのである。
 しかし財務諸表の提出が終り、6月の株主総会が終って仕事が一段落すると、脱力感に襲われるようになった。仕事に、張り合いがないのである。基本的には、提出された数字の整理であり、営業にいた頃のように顧客相手の緊張感がない。しかも、課の人間はみんなクールだった。営業のときのような連帯意識が感じられない。
 第一線から外された人間が味わう疎外感であるが、25歳の光太郎には過酷な試練だった。
 初夏になり、光太郎は、次第に元気がなくなって行った。寮の仲間との飲み会に言っても、あまり喋らなくなったし、そのうち出席するのも憂鬱になり、一人で部屋で過ごすことが多くなった。
 佳津枝からは、毎日のようにメールが来ていたが、返事もあまり出さなくなった。佳津枝は、たまの返事の中の文章で読み取ったのか、しきりに心配している。
 ある日、久恵が「夏休みは、みんなでベトナムに旅行に行くけど、三永君はどうする?」と聞いた。
 光太郎は、行きたいと思わなかった。即座に、「僕は、やめておくよ。」と言った。
「ねえ、最近、元気がないみたいだけどどうしたの? 三永君らしくないわ。」
「うん、なぜかやる気が起こらないんだ。」
「どうしちゃったの?何が原因なの?」
 そう聞かれても、それに答える気さえ起こらなかった。久恵も、そんな光太郎の様子に、言葉の継ぎ穂がないようで黙ってしまった。
 佳津枝からのメールで、夏休みの予定を聞いて来た。光太郎は、お盆の休みになったらすぐに帰るつもりだと返事を出した。
 今年は営業企画なので、会社のカレンダーどおりお盆に9日間の休みである。土曜日、休みに入るとすぐに新幹線で広島に向かった。
 広島駅では、佳津枝が車で出迎えに来ていた。車に乗り込むとすぐに佳津枝が話し掛けた。
「今年の夏休みは、海外旅行とかにも行かないのね。」
「うん。」
「他の人達も行かないの?」
「いや。」
 言葉少ない光太郎を、佳津枝は不審そうな顔で見ていた。
             −続く−







2026/06/29 3:59:49|小説「春の行方」
春の行方−43−
春の行方−43−

 しばらく二人で飲んでいたが、一恵が言った。
「私の後任になるのですってね。」
「うん、そうみたいだ。」
「その方が良いわね。営業じゃ、やがて身体を壊してしまうわ。何もない身体だったら良いけど。実は、私の父親も若い頃、交通事故で脳に出血があったの。当時は、脳の手術なんか考えられない時代だったから、そのままにしていた。でも、3年前に障害が出て、今、手が不自由なのよ。医者からはお酒を控えるように言われていたけど、酒好きの父はそんな言うことをきくハズがなかったわ。営業では、お酒を飲まないわけにはいかないものね。」
「・・・・・」
「身体は大事よ。私だって失恋した時など死にたいなどと思ったことが何度かあったけど、それは自分に負けることだと気付いたの。やけ酒も飲んだわ。身体の調子がおかしくなるくらい飲んだ。でもある時、そんな自分が嫌になったの。決して、明るく生きようなんて思ったわけじゃないけど、自棄になっている自分に相性が尽きたのよ。世の中は、冷静に見詰めなければいけないってね。三永君も、私の評判は聞いているでしょう。石のような女だって。でも、それも都会がそうさせたの。私は田舎の生れ、多分、故郷にいたらこんな人生は歩まなかったと思う。」
「・・・・・」
「ネッ、今日、これからここを出たら一緒に最後の夜を過ごしましょう。これが最後になると思うわ。私には彼がいるしあなたにも彼女がいる。だから、未練は残したくないの。」
「はい・・・・・」
光太郎は、小さく頷いた。
 二人は、店を出ると、そのまま裏通りにあるラブホテルに入って行った。
 光太郎と一恵は、ベッドの中にいた。
ホテルに入ると、すぐに激しい愛の世界に陶酔したが、今はお互い仰向けになって天井を見ながら会話を交わしている。
「三永君の彼女って、本当に素敵な人ね。」
「・・・・・」
「三永君、松島さんのことも好きだったのでしょう?」
「・・・・・」
「いいのよ、二人の態度を見ていればわかるわ。彼女だって、三永君に好意を持っていることは確かよ。」
「はい・・・・・」
「でもね、男と女、何があっても不思議じゃないけど、でも軸足というか、人生の要というか、それだけはしっかりしていないと、歩むべき道を誤ると思うの。私と三永君は、はっきり言って身体だけの関係、私がそれ以上のことを望まないように、三永君だってそうでしょう。でも、三永君と松島さんの関係は、それじゃ終わらないでしょう。もし三永君が松島さんのことを愛するようになると、故郷の彼女と3人共が苦しむようになるわ。それが目に見えている。苦しんでも幸せが来れば良いけど、やがて不幸だけが残るわ。」
 光太郎は、今まで、一恵を心から愛おしいと思ったことはなく、割り切った関係だと思っていたが、今日ばかりは違っていた。光太郎は、身体を起こすと、一恵を抱きしめ、再び挑んで行った。
 二人が寮に帰ったのは、その日が終ろうとしている時刻だった。
                −続く−







2026/06/28 1:25:59|小説「春の行方」
春の行方−42−
春の行方−42−

 退院して1カ月が過ぎようとしていたとき、光太郎は課長に呼ばれた。会議室で二人だけになったとき課長が言った。
「実は、君の異動を考えているんだ。」
「エッ、どこへですか? どうして?」
「理由は、君にもわかっていると思うが、身体のことだよ。脳に出血があることは医者から聞いている。営業の仕事はきつい。しかも付き合いもある。無理をして君にもしものことがあってはとても会社として責任も取れない。異動先だが、営業企画課はどうだろうと思う。君は、今までの営業の経験もあるし、あそこなら少なくともお客さんとの宴席はないだろうからそっちの面での身体の負担にはならないと思うんだ。」
「わかりました。」
 光太郎は営業の第一線から離れるのは不本意であったが、自分が背負っている脳内出血という障害を思えば、反論できる立場にはなかった。
 課長は話を続けた。
「実は、営業企画の広末君が退社することになったので、人が欲しいと言うのだ。」
「広末さんって、寮にいる広末一恵さんですか?」
「ああ、そうだよ。そう言えば、君と同じ寮にいたのだったな。」
「はい、そうです。彼女、会社を辞めるのですか?」
「そうみたいだ。なんでも寿退社みたいだよ。」
「そうですか・・・・・」
「今月一杯みたいだから、それまでに申し送りを受けておいてくれたまえ。」
 そう言うと、課長は席を立った。
 その日の夕方、光太郎は一恵の郵便受けに逢いたいというメモを入れた。翌日、メモの返事が入っていた。週末なら、上野で会えると言うものだった。
 土曜日、光太郎は上野のいつも会っていた居酒屋に出掛けた。光太郎のすぐ後で一恵がやって来た。
「今度、退社するんですって?」
光太郎が聞いた。
「そうなの、田舎の親から結婚しないかと言って、人を紹介して来たのよ。私ももう30歳でしょう。親を安心させてあげなければと思うの。」
「そうだったんだ。おめでとう。」
「ありがとう、三永君も見舞いに来ていた故郷の彼女と結婚するんでしょう。」
「ああ、そうなるかも知れない。」
「彼女、いい人よ。結婚生活に向いている女性だと思うわ。都会の人間にはない素直さと純粋さを持っている。私なんか、すっかり都会に毒されてしまったわ。」
「そんなこと・・・・・」
「三永君は、そうはならないでね。」
「・・・・・」
「そんなことを言っても無理だわね。私が、三永君を毒しちゃったんだものね。」
「いえ、そんなことありません。」
「いいのよ。でも心はしっかり彼女を掴まえておかなくちゃ駄目よ。女だって、一人で寂しくなれば心がどこに行っちゃうかわからないことがあるんだから。」
「・・・・・」
「身体の離れている距離は、そのまま心の距離に比例するのよ。それを忘れないことが大事なのよ。」
 一恵は、諭すようにそう言って、ビールのジョッキを口に運んだ。
              −続く−







2026/06/27 4:26:27|小説「春の行方」
春の行方−41−
春の行方−41−

 光太郎には、久恵さえも冷たくなったように思えた。実際は、みんな光太郎の脳内の出血のことを気遣ってくれているのはわかるのだが、実際に接する態度が違って来ると自然に受け止めることはできなかった。
 それは会社においても同じだった。課の人達も、宴会でもない限り、光太郎を飲みに誘おうとはしなかった。光太郎は、次第に寂しさを覚えるようになり、仕事が終って寮に戻ると、一人でビールやウィスキーを飲むようになっていた。気が付いたときには、ウィスキーのボトルが半分空になっていることもあった。
 そんな中で、佳津枝からは毎日のようにメールが来ていた。その殆どは、自分の日々の出来事と光太郎のことを心配する内容であったが、次第に光太郎の唯一の慰めになって行った。最初は、2回とか3回に一度しか返事を書いていなかったが、ここのところ余程仕事が忙しくない限り、なるべく返事を書くようにしていた。その中で、自分が寂しい思いをしていることは書かないでいる積りだったが、しかし行間には出ていたようである。佳津枝は、しきりに心配していた。
 その日も、光太郎は仕事から帰ると、コンビニで買って来た弁当の夕食を食べながら飲んでいた。寮のみんなは居酒屋に飲みに行っているはずである。行けば受け入れてくれるのだろうけど、光太郎は行く気がしなかった。
 ビールを終え、ウィスキーのボトルを開けた。テレビを見ながら、飲んでいるのだがついつい量が進んでしまう。12時近くになり、そろそろ寝ようとしていてとき、電話のベルが鳴った。
 電話は佳津枝からだった。声が聞きたくて電話をしたと言うが、実際は身体の様子を心配しているのである。このとき、光太郎は既にかなり酔っていた。自分でも舌のろれつが回らないのがわかるし、言っていることもややトンチンカンである。
 佳津枝は、しきりに心配していた。光太郎は、ちょっと飲んでいるだけだから大丈夫だと言うけど佳津枝の心配は収まらないようだった。光太郎は、素面のときもう一度こちらから電話をしなければと思った。しかし電話を切ると、パジャマに着替えもせずに、そのままベッドに倒れ込んで寝た。
 翌日の朝、電話のベルで目が覚めた。出ると、妹の美子だった。
「お兄ちゃん、元気?」
「ああ、ちょっと寝不足だけど元気だよ。なんだい、こんな時間に?」
「ううん、別に用事ってわけじゃないけど、佳津枝さんが心配していたわよ。」
 光太郎は、昨夜の電話のことを思い出した。
「ああ、昨日の夜のことだね。ちょっと酔っぱらっていたんだ。」
「お兄ちゃん、酔っぱらうほど飲んで大丈夫なの? お医者さんからは、あまり飲まないように言われているのでしょう。」
「大丈夫さ。別に何ともないよ。」
「でも、無理しちゃだめよ。それから、お兄ちゃんから佳津枝さんに電話してあげて。彼女、随分心配していたわよ。」
「佳津枝からお前のところに電話があったの?」
「違う、私から電話したのよ。お兄ちゃんに電話をしてみたらってね。私だって、お兄ちゃんのことを心配しているのよ。でも、お兄ちゃんだって、佳津枝さんからの電話の方が嬉しいでしょう。」
 光太郎は、「そうか。」と言って電話を切った。しかし、電話はしなかった。
          −続く−







2026/06/26 2:25:06|小説「春の行方」
春の行方−40−
春の行方−40−

 仕事には復帰したものの、年度末を控えての1か月のブランクは大きかった。不在間の仕事は先輩達が処理してくれていたが、担当者の不在の影響は大きい。
 光太郎は、その挨拶をするためにしばらく挨拶回りを続けなければならなかった。多くの顧客は“若いときには、そんなこともあるさ”と言って笑ってくれたが、中には「営業が、そんな危険なことをしてどうするんだ。」と言わんばかりの辛辣な言い方をする人もいた。その人も若い頃から苦労をして来たと聞いていた人なので、それはそれで、大事に受け取らなければならない言葉だった。
 2月になって、脚の回復とともに、仕事も忙しくなった。寮の仲間と飲みに行く時間もなければ、一恵と逢う時間もままならなかった。というよりも、スキーの怪我以来、みんなも誘ってくれないし、一恵からのメモも入って来なかったのである。
 あるとき、ふとしたことで、みんなが飲みに行って、楽しかったと話しているのを聞いてしまった。出勤のとき、玄関に出たら、皆が雑談をしていたのである。光太郎は、自分が取り残されたような気分になった。その話を聞いて、みんなの前に出たとき、皆が急に黙り込んだのが余計に光太郎の神経を尖らせた。
 それからと言うものの、光太郎は会社でも寮でも、何となく疎外感を覚えるようになった。別に、課の先輩達が光太郎に冷たく当たっているというのではない。むしろ庇ってくれているのだと思う。寮の人間だって、脳に出血をしている光太郎に遠慮して、飲みに誘わないのだと思う。しかし、一緒に誘って貰えないことが、こんなに寂しいものだとは初めて知ったことであった。
 そんな孤立感を味わっている間でも、佳津枝からは、毎日のようにメールが来ていた。日々、体調に異常はないかとか、仕事を無理するなとか、光太郎を心配する内容が多くなっていた。
 光太郎は、寂しさのことは書かず、自分が大丈夫であることだけを書いて送った。
 その後も通院は続けていたが、事実、脳の後遺症のような症状は表れていなかった。光太郎は、孤独感の中で、初めて佳津枝の存在の大きさを知った。
 自分が元気で勢いがあるときは、久恵も女を意識した友達であったし、一恵とも身体の関係を通じての仲だった。それが脳の中に出血があるというだけで、全ての関係が希薄になった。人と人の関係とは、こんなに脆いものかと身をもって感じたのである。そんな中で信じられるものは何か、信じられる人は誰なのか、光太郎はしみじみと感じていた。
 結局、その後一恵からの誘いはなかった。逢う機会がなければ、話す機会もない。光太郎のことを心配してのことか、あるいはトラブルに巻き込まれたくないからなのか、それを知ることはできない。
 寮の仲間も、最初は誘わなかったが、あるときお酒を飲んでも大丈夫なのかと聞いた。医者から少量なら許可されていると言ったら、そのうちに誘ってくれるようになった。しかし、光太郎には酒を勧めようとしなかった。酒が強い光太郎に対しては当然のことであったが、それが少しずつ光太郎の気持ちを引っ込み思案にして行った。
               −続く−