遭難記−10− 前の男を見よう見まねで踊るのだが、元々音感のない俺はとても早いリズムに追い付いて行けない。5分程踊ったところで、踊りの輪から逃げ出した。村の長が、笑いながら俺を迎えた。モナはしばらく踊っていたが、やがて輪から離れて俺の横に座った。 祭りは、夜遅くまで続いた。人々は、老若男女共、飲んで食べては踊り、踊っては飲んで食べていた。 満月が空の真上に来たとき、やっと祭りが終った。すると若い男や女達は、手を取り合って繁みに入って行った。このような風習は、昔の日本でもあったと聞いたことがある。 俺がその様子を眺めていると、モナが俺の手を引いた。俺との時間を過ごすようである。俺は、手を引かれるままモナの後に着いて行った。モナの家族たちは、全く知らん顔である。 モナが連れて行ったのは、俺の家だった。家に入ると、すぐに抱き合った。キスを交わす。モナも、最近はすっかりキスが上手になっていた。 この村の男女には、キスやセックスの前の愛撫のような習慣はないようだった。俺のところに通って来る女達も、キスには驚いたようだったし、愛撫をしても最初はくすぐったがった。しかし、何度かしているうちに慣れて行って、やがて自ら俺の手を取って自分の乳房や秘密の部分に導いたりするようになった。無論、最初にそうなったのはモナだった。その夜、モナは初めて俺の家に泊まった。 俺は、少しずつ村の暮らしに溶け込んでいった。道具を借りて、川に釣りに行ったり、たまには遠く海にまで出掛けた。海の魚は美味しいらしく、モナの家族達も喜んでくれた。俺は、村の若者達を連れて海に行った。そのために、ジャングルの道を切り開いた。海までは距離があるので大変な作業だったが、若者達は積極的に働いた。俺の指導によって、若者達の釣りも上手になっていた。釣りに行くときは、往復に時間がかかるので泊りがけである。そのために、浜に小屋も作った。海では、魚釣りの他、岩場の海老や砂浜の貝などが食べられることも教えた。 森では、若者達に教えられて、弓や槍でウサギに似た動物の獲り方を教わったし、女達からは畑の作り方も教わった。そうしているうちに、俺はすっかり村の生活に溶け込んでいった。 村の生活でひとつの障害は、言葉だった。俺は、家を指差して「いえ」と言ったり、魚を指差して「さかな」と言ったりして、言葉を教えたし、彼等も同じようにして彼等の言葉を教えてくれた。彼等との会話は、日本語と彼等の言葉がごっちゃになったものだったが、それでも時を経るとともに、何となく意思が通じるようになっていた。 俺の横には、常にモナが寄り添っていた。俺とモナの関係は村の人々も公認のようだった。 ―続く― |