遭難記−01− 俺が10年前に始めたソフト開発の事業は時代の波に沿って成功し、今では従業員200名ほどの企業へと成長し、年商100億を超す企業になった。俺の収入も、それに見合うものだった。 ある程度時間と金のゆとりができたので、趣味として1年かけて自家用操縦士の免許を取り、小型機を買った。セスナ機で、5千万円ほどで買えた。 時間があると調布の飛行場に行っては空の散歩を楽しんだ。 1年ほどで500時間の飛行時間を稼いだとき、近くのフライトだけでは物足りないと感じるようになり、遠くに行きたいと思うようになった。 最初北海道に行ったときは、雄大な景色に興奮した。九州や沖縄に行ったときは、島並みの美しさや海の色に目を見張った。飛行時間が1000時間を超えたとき、外国の空を飛んでみたいと思うようになった。 夏のある日、俺は2週間の休みを取ってインドネシアに行くことにした。インドネシアには、商社に勤めている大学の同期生がいたので、彼に飛行機の手配を頼んだ。俺が持っているのと同型のセスナ機である。 ジャカルタの飛行場に着いたとき、友人が出迎えてくれて、最初に借りる予定の飛行機のところに案内してくれた。エプロンに出された飛行機のところに行くと、現地の整備員が握手で迎えてくれた。 その日は友人と一緒に飲んで、次の日からフライトの予定である。 翌日は朝から良い天気だった。昼間にスコールはあるが、予報でもしばらくは良い天気が続きそうである。 飛行場に着くと、早速昨日の整備員がやって来て、拙い英語で、「おはようございます。エンジンもちゃんと整備しておきました。」と言った。 俺は早速飛行機に乗り込むと、エンジンを回した。いつもながら、エンジンの音が聞こえ、その振動が伝わると緊張が漲る。 俺がゆっくりとスロットルを前に倒すと、機体はゆっくりと動き始めた。整備員は、手を振りながら見送ってくれたが、左手に持った小さな部品のような物を見て首を傾げていた。ちょっと嫌な予感がしたが、すぐに気を取り直して滑走路に向かって機体を進めた。 滑走路に出て管制塔の離陸許可が出ると、思い切りスロットルを前に倒した。機体は、あっという間に地上を離れた。 雲一つないフライトは快適だった。俺は、機首を東に向けてフライトを続けた。 ―続く― |