男と女

「男と女」について、本当にあったことをエッセイに、夢や希望を小説にしてみました。 そして趣味の花の写真なども載せています。 何でもありのブログですが、良かったら覗いて行ってください。
 
2025/04/20 5:31:15|エッセイ
穀雨(こくう)
 今日は24節気のひとつ「穀雨」、春の終りの雨が多い時期で、穀物の種を蒔く季節とされています。
 日中は、随分暖かくなりました。
 昨夕のこと、飼い主さんが「そろそろ下着は半袖で良いか」と聞きました。僕は、朝バイクに乗ると寒いので、「長袖で良い」と返事をしました。彼女は、「はい」と言いました。
 今朝起きてみると、出されているのは半袖です。どうせ半袖を出すのなら、余計なことは聞かなければ良いのにねえ。
 気温の変化の激しいとき、皆さんは風邪などひかないように気を付けてください。







2025/04/18 23:59:17|エッセイ
会話の意義
 一日に喋る言葉が、女が2万語以上なのに対して、男は数千語だと言います。確かに山で出会う人達でも、同じ人数の場合圧倒的に女性の声が多いです。
 誰かが書いていました。
「男の会話は要件を伝えるためだが、女の会話は親愛の情を伝えるためである。」
 そう言われると、女性の多弁も何となく分かるような気がします。
 会話のない我が夫婦は、親愛の情がないからでしょうかねえ。







2025/04/18 0:43:50|エッセイ
どっちに入る?
 今、いろいろな場面でLGBTが社会的な問題を生起させています。例えばトイレ、男から女に性転換したものが女子トイレに入れるかどうか、微妙な問題を孕んでいます。風呂だって、同様だと思います。
 刑務所には、男子刑務所と女子刑務所があります。性転換をした人間の場合、どっちに入るのでしょうか?
 結論から言うと、その人の戸籍上の性によって決まるようです。身体や心は性転換したが戸籍を変更していない場合、元の性扱いされます。
 これって、当人も周囲の人間もどんな気持ちでしょうかねえ?







2025/04/17 4:43:29|エッセイ
人生と四季
 人生を、四季に例えてみました。
 オギャーとこの世に生を受けたときが正月とします。赤ん坊は、冬の寒い時を過ごし、やがて成長して青春を迎えます。このときが、まさに人生の春です。青春を謳歌し、恋をし、結婚します。
 就職して仕事をするようになると、汗して働かなければなりません。このときが人生の夏です。仕事では遅くまで残業をし、子育てに汗を流します。
 長い夏を過ごした後には、秋がやって来ます。身体はまだ健康、貧しいながらも子育ても終り、贅沢をしなければ何とかやって行けます。春と併せて、人生で最も良い季節です。
 そして秋の後には、寒い冬がやって来ます。そして大晦日がやって来たとき、人は死を迎えます。
 そう考えてみると、僕は今、秋にいます。最後の人生の良い季節を大いに楽しみたいと思います。







2025/04/16 5:43:05|エッセイ
人の一生
 人の一生をどう捉えるかについて、3つの考え方があると思っています。
 ひとつは産まれてから心臓が止まって死ぬまでを一生とすることで、極めて一般的な考え方です。医師などは、この立場に立っているでしょう。
 ふたつ目は、人の心に残っている間は生きているとする考え方です。カエサルはヒーローとして、クレオパトラはその美しさにおいて、2千年を超えた今もなおその名を残しています。また我々は、墓標に名を刻んで名前を残そうとします。そうすることで、人の心の中で生き続けることができるのです。
 3つ目は、健康寿命に近い考えですが、子孫を残し得るうちが人生と考えることです。あらゆる生き物はDNAによって支配され、DNAの本能は子孫を残すことにあります。従って、DNAの立場からすれば、恋ができなくなったときには、生きている価値がないのです。多くの動物は、死の直前まで出産、子育てをします。
 いずれの考え方を取るかによって、その人の生き方も違って来るでしょう。
 寿命は神様が決めることで自分ではどうしようもないし、自分の名を残すことは難しいので、僕は、今を楽しく生きたいと思っています。