くさびら紀行

日ごろの興味をもったキノコ・植物・歴史町並み等を書きとめます。
 
2009/03/06 10:10:38|町並み
五箇山の合掌造り
 金沢から五箇山に行き、相倉の合掌造りの見学しました。地名の由来は、赤尾谷、上梨谷、下梨谷、小谷、利賀谷の5つの谷からなるので「五箇谷間」となり、これが転じて「五箇山」の地名となったという。相倉の合掌造り集落は、国指定史跡であり、世界文化遺産として登録されています。 右の写真は相倉民族館で「びんささら(ささら)」を実演をしてくれました。秋の稲穂が擦れあう擬音をささらといい、これを表現する楽器としてのささらがあります。ささらを使った舞をささら舞、踊りをささら踊りという。 全て五穀豊穣の意味があり、地方によっては魔よけの意味をもつこともあります。







2009/03/04 8:15:45|町並み
金沢「ひがし茶屋街」
  言わずとも知れているひがし茶屋街「櫂華楼」でおもてなしの話を聞き、一客一亭のこともでてきました。それは紹介者が必要で、万一の時はその紹介者に請求書がいくとのこと。私は、一客一亭があるため茶屋街全体が潤うと感じました。昼は一般に公開されており、お座敷を見学してきました。右の写真は本人の了解をとって撮りました。真ん中の建物はベンガラ塗とのこと。








2009/03/03 7:53:37|町並み
国の重要文化財「金沢城石川門」
石川県と金沢市では、世界遺産登録を目指して、暫定一覧掲載の候補として、金沢城跡&兼六園等を構成資産とする「城下町金沢の文化遺産群と文化的景観」を文化庁に提案しています。
金沢城石川門は三十三間長屋ともに旧金沢城の数少ない遺構の一つです。建立されたのは天明3年(1788)で国の重要文化財指定されています。白く輝いているのは鉛瓦です(左の写真)。時間がなく三十三間長屋を見学できませんでした。真ん中の写真は兼六園の根上がりの松で、私は春の京都の庭園を連想しました。右は五千万円の金茶釜。










2009/03/02 5:25:06|町並み
雪のない兼六園の雪吊
 兼六園は江戸時代の代表的な大名庭園として、加賀歴代藩主により、長い歳月をかけて形づくられてきました。六勝(広大、幽遼、人力、蒼古、水泉、眺望)を備えた大庭園です。その六勝は宋の時代の書物「洛陽名園記」からきています。水戸偕楽園、岡山後楽園とならぶ日本三名園の一つ。金沢市の中心部に位置し、四季折々の美しさを楽しめる庭園で観光客に親しまれています。
 真ん中の写真は、琴の糸を支える琴柱に似ている徽軫灯篭(ことじとうろう)灯篭。右は日本最古の噴水いわれ、霞ケ池の池面との高低差を利用した自然噴水。北陸の冬なのに雪がない雪吊が見事でした。2/28記事に漢字の変換ミスがありました。







2009/03/01 9:38:35|町並み
金箔の薄さ一万分の一mm「0,1ミクロン」
 白川郷合掌集落から金沢に行きました。ある大学の川越観光研究者は金沢が10点満点にするならば川越は2点という。見所もあり、観光施設(トイレ、駐車場)も整っていました。飲み屋も日曜日は休み(地元のバスの運転手)という。かつては小京都「金沢」と言ってましたが、今は「歴史街金沢」といって自慢していた大勢の地元人がいました。
 左の写真は金箔が1mmの一万分の1の薄さまでのばし、電球の光が通るには驚きました。真中は金箔の畳。右は金箔約4万枚を使い、秀吉の黄金の茶室を店内に再現したものです。