写真はすべて高山陣屋の展示です。左の写真は傘連判状(からかされんぱんじょう)です。江戸時代の百姓一揆などに代表される署名形式。単に傘連判とも。通常の連判状では最初に名前が書かれているものや上部に書かれているものが責任者とされがちなのを回避して、皆が中心より放射線状に署名した。特に首謀者(多くは名主)を隠すためでもす。 高山陣屋とは、江戸時代に郡代・代官が治政を行った場所で、役所や郡代(代官)役宅、御蔵などを総称して陣屋と呼びます。 飛騨代官は安永六年(1777)に飛騨郡代に昇格し、当時4ヵ所あった郡代役所の中でも重要な直轄地となりました。 幕末には全国に60数ヵ所あったと言われている郡代・代官所の中で、当時の建物が残っているのはこの高山陣屋だけです。全国で唯一建物が現存する遺構で、昭和4年には国史跡に指定されました(高山陣屋より)。 板葺(いたぶ)きの上に石を置いて、板が風で飛ばないようにした屋根のこと。このような屋根は、瓦(かわら)がまだ普及せず、板がもっとも信頼できる葺き材料で、しかも釘(くぎ)などがそれほど豊富に使用できなかった時代の生活の知恵です[執筆者:山田幸一] |