くさびら紀行

日ごろの興味をもったキノコ・植物・歴史町並み等を書きとめます。
 
2009/04/23 6:03:56|植物
サクラソウ(日本桜草)
 サクラソウは湿った草原に生える多年草。河原原野のほか、山麓の落葉樹林の林下にも発生していました。
 ゴルフ場や宅地開発などによる自生地の破壊により、全国的に急減しています。とりわけ都市近郊での減少が著しい。荒川沿岸では、さいたま市の田島ケ原を除きすでに絶滅しています。北海道の日高地方には日本最大規模の群生地が残されているという。いつまでも残してほしい。







2009/04/22 8:24:28|町並み
伊達藩62万石の御霊屋「瑞鳳殿」
 日本三景の松島は何回も行っているので、仙台市内観光にしました。伊達藩の二代藩主伊達忠宗は、政宗の遺言に従い、寛永14年(1637)10月政宗の御霊屋(おたまや、霊廟)を建立し瑞鳳殿と命名した。瑞鳳殿は、本殿、拝殿、唐門等からなり、桃山様式の華麗な建築。昭和6年(1931年)には国宝に指定された。
 しかし、第二次世界大戦の昭和20年(1945)7月、仙台はアメリカ空軍による仙台空襲を受け、瑞鳳殿も空襲により焼失。
 昭和49年(1974年)再建工事に先立ち、跡地の発掘調査が行われて伊達政宗の遺骨や副葬品が出土しています。それらを資料館に展示しています。昭和54年(1979)再建されました。








2009/04/21 8:27:19|きのこ
青葉城のツバキキンカクチャワンタケ(椿菌核茶碗茸)
 ツバキキンカクチャワンタケ(椿菌核茶碗茸)は地上に落ちた老朽委縮した花と葉に付着してキノコを生じます。菌核内部に宿主である花と葉組織の残片(左の写真の右側の部分)が認められます。キノコの傘は3-18mm(中央)、柄は長い。キノコから噴射された胞子は近くに落ちている花の上で発芽して菌糸を生じ、菌糸は花の組織を分解して成長します。秋に菌核となり再び花の咲くころにキノコを生じます。キノコは森の掃除屋さんで地球にやさしい。 時期は埼玉では2月頃から発生し、土の表面が柔らかく、湿度がある所。左の写真のメモリは1cm。







2009/04/20 7:12:09|町並み
ループルで巡る仙台(土井晩翠草堂)
 ループル仙台(右)は仙台駅前を起点に、市内のお勧め観光を約一時間で循環します。乗り降り自由で一日乗車券が600円。土井晩翠旧宅(左)と青葉城を見学しました。運転手が教育されていて、観光地の説明がすばらしいのに感心。
 詩人であり、翻訳者でもあった晩翠のもうひとつの顔が作詞家です。作品は数多くありますが代表作の「荒城の月」が有名です。この曲の作詞は「青葉城」と「鶴ヶ城」をモデルにしたと言われてます。「雨降る日は天気が悪い(中央)」の本で「ツチイ」から「ドイ」と読むことを宣言した。これは仙台方言では「ツチイ」が「ツツイ」聞こえるので、長女の提案があったと言われてます。 







2009/04/19 9:01:29|町並み
天地人「鶴ヶ城(会津城、若松城)」の桜
 次に会津に行きました。ここも桜で有名な場所でソメイヨシノが約1000本あり、いずれも満開でした。
 鶴ヶ城は会津城、若松城とも呼ばれています。昭和9年国史跡に指定された当時は所在地名を登録文化財名としました。このため、公式には「若松城」として登録されました。普通「鶴ヶ城」として有名ですが、古い文献には会津城となってます。 ここも「天地人」、慶長3年(1598)に上杉景勝が会津入りして、出羽群、佐渡郡を加えて120万石。慶長6年(1601)に米沢に転じ、蒲生氏になりました。蒲生氏郷は鶴ヶ城の生みの親。地名を若松に改め、城下町の基盤をつくりました。