くさびら紀行

日ごろの興味をもったキノコ・植物・歴史町並み等を書きとめます。
 
2008/05/21 8:15:04|町並み
雉岡城址の上に立つ塙保己一記念館

雉岡城は児玉党ゆかりの中世の城館として存在し、15世紀、山内上杉氏の居城として築城された。後に北条氏・鉢形城の属城となりました。江戸時代には松平家清(一万石)となるが、三河吉田城に転封されると廃城になった。





堀と土塁のある曲輪跡。







空堀跡。
「夜泣き石」や坂上田村麻呂と大蛇退治にまつわる伝説ものこっている。





保己一は7才とき眼病を患いと失明、15才の時、志を抱き江戸に出て、雨富検校の門に入りました。雨富検校は不器用な保己一のことを考え、学問に対する情熱と才能を見抜き、最も得意とする学問に進ませた。この師のおかげで盲目の大学者保己一が誕生した。「群書類従」や水戸藩に依頼されて「大日本史」を編纂した。
検校は旗本と同格といわれている。









2008/05/20 3:45:23|その他
金鑽(カナサナ)神社の多宝塔と御岳鏡石

金鑽(カナサナ)神社はさいたま市にある武蔵一ノ宮に次ぐ、武蔵二ノ宮をほこる神社です。この神社は山そのものがご神体のため、本殿が無く拝殿のみです。こうした神社は長野県の諏訪大社が有名です。
この境内の多宝塔は国指定の塔建築物の重要文化財です。多宝塔とは、寺院建築のうち仏塔における形式のひとつです。現代の寺院建築用語・文化財用語としては、一般に裳階付き単層塔であって、裳階平面が方形、中央部平面が円形のものを言う。下の屋根の裳階(もこし)とは一般建築の庇ようなものです。






境内をぬけて行くとすぐに、多数の歌碑が立っています。




それを読みながら登ると、まもなく、御岳の中腹に国指定の特別天然記念物の「御岳鏡石」。これは断層活動に伴う摩擦のため、岩の表面が鏡のように磨かれたものです。物の形を写すので鏡石とよばれます。学術的には「断層鏡肌」というらしい。



左の写真がご神体の御岳の頂上です。







2008/05/19 8:14:41|植物
元荒川の絶滅危惧種{チョウジソウ}
友人に案内してもらい元荒川を散歩してきました。
チョウジソウ(丁字草)はキョウチクソウ科、川原の湿地に生え、地下茎。葉は濃い緑色で互生、花は茎の上部にかたまって咲く。花冠は筒が長く、先は細長い5弁。存続を脅かす原因は埋立て等の人為的な生育地の破壊と園芸上での採取です。
茶花としても利用されるが種子等に毒があります。
写真をクイックすると少し大きくなります。








2008/05/18 7:55:02|町並み
さいたま市見沼の旧坂東家の長屋門
時々長屋門の建物にも触れます。
江戸時代は身分制度のため、民家で門を構えることが許されたのは、郷村武士の家格をもつ家や、苗字帯刀を許された富裕な農家・庄屋に限られていたが、明治以後は他の富農の家屋敷にも作られるようになった。 長屋はその家に仕えた者が住む部屋や農具を収納する物置、作業所として用いられた。
上記の写真は見沼の加田屋新田を開発坂東家の旧宅を復元したものです。平成4-5年に解体したり、発掘調査したときに、一分銀400枚(100両)が押入れの下の土中から、土瓶と一緒に発見されました。
ちなみに、今の価格では一分銀はおよそ5000円検討です。







2008/05/16 19:11:34|その他
 鉄道博物館見学
埼玉県で最初の鉄道工事で活躍し、川口市の善光寺付近まで運ばれて、そこで陸揚げされたことから、「善光」(ぜんこう)の愛称が与えられているのも展示されている。これは機関車を河上輸送していた艀が重さに耐えきれず善光寺付近で沈没してしまい、善光寺の檀家が総出で荒川の中から機関車を引き揚げたという由縁もあって付けられた。
人力鉄道(右下)はレールがあり、人の力で押して走った鉄道で、明治後半から大正にかけて、金のない地方で使われたものもあります。また、馬車鉄道の模型もあります。