くさびら紀行

日ごろの興味をもったキノコ・植物・歴史町並み等を書きとめます。
 
2008/05/28 8:40:18|川越
続いて喜多院

家康は天海僧正の意見により、寺領四万八千坪及び五百石を下し、酒井忠利に工事を命じ、仏像院北院を喜多院にあらためた。
天海僧正の長寿の歌
気はながく
 勤めはかたく
  色うすく
   食ほそうして
    こころひろかれ
これを守ると108歳まで長生きできるとか、少しでも近づきたいものですね。
寛永16年(1638)の川越大火時、山門を除き、堂宇はすべて消失した。従って、重要文化財が山門に、番所跡が県指定・建造物に指定されています。
一番上は多宝塔(県指定・建造物)で下層は方形、上層は円形でその上に宝形造りの屋根を置き、屋根の上に相輪をのせています。白いかめ腹が上層と下層を結合しています。
宝形造り(ほうぎようづくり)は日本古来の基本的な形式とされている。宝形造は「方形造」とも書き、屋根面が頂上の一点に集まる。

二番目は天海僧正のお手植えの槇。
一番下は山門の右側に接続して建っている喜多院・番所です
江戸時代における武家屋敷内の伏屋根形式です。









2008/05/26 17:14:50|川越
喜多院の院紋

塾の新人から以下のコメントがありました。
喜多院の「○に二引き両」の紋は、天海僧正が持つ2つの家紋のうちの一つです。
喜多院の院紋について、喜多院から聞きました。天海僧正の紋とも言われてますが、今は喜多院の寺紋です。足利学校の鑁阿(ばんな)寺も同じ寺紋が使われています。

足利学校の裏手に広大な敷地を持つ鑁阿(ばんな)寺があります。真言宗の古刹。表の山門(楼門)を含め国指定の文化財が数多い。経堂の中には足利幕府の歴代将軍の坐像が安置されている。
正面の山門の屋根には丸に二を引いた足利家の家紋が見られる。足利の地に土着した源義国には二人子がおりました。長男の義重と次男で正妻の子の義康でした。義国は、二人の子を呼び、告げました。
「よいか、おまえたちは、いつも対等な兄弟だ、子々孫々まで、仲良く相争うことのないよう、伝えよ。」
弟の義康には正妻の子として家嫡を継がせ足利の地を与え、兄の義重には足利の地と同等の広さの未開拓の隣地を切り開き新たな家を興すよう告げました。
「足利の隣の地に新田を開き、一族を栄えさせよ。そう、義重、おまえは新田を開く者、これよりは新田義重と名乗るがよい。」
こうして、二人の仲のよい兄弟は、足利義康、新田義重としてそれぞれの家に分かれたのでした。
「我が源氏のしるしは丸に三本の筋が入っている。中央の一本は、長子の印として義重に、両の二本は次子の印として義康に与える。これよりは両家の家紋とするがよい。」
こうして二引両の家紋の足利家、大中黒の家紋の新田家が起きたのでした。史跡101選探訪余話 足利学校跡より

天海僧正は徳川家康の相談役・ブレーンと言われているのに、なぜ足利家の紋と同じ紋を使用したのかはなぞ? 歴史的な浪漫があるのかも。一説には足利家の末裔とも言われています。
一番上の写真は喜多院の門前にあります天海大僧正の銅像。上から三番目は喜多院の500羅漢の門。四番目の写真は市指定・有形民俗文化財の500羅漢。








2008/05/25 1:32:55|きのこ
シバフダンゴタケ (芝生団子茸)
きのことは何か
キノコとは目に見えるくらいの大きさの子実体(胞子をつくる器官)をつくる菌類。キノコは生殖器官なので、植物の花・果実に相当します。
胞子: 精子、卵に相当(一次菌糸どおしが合体して二次菌糸になり、きのこになる)。
胞子は空中散布、動物の菌食(昆虫、ネズミ、ウサギ)によって運ばれる。幼菌とは傘が開かず胞子が形成されない子実体。成菌とは成長して胞子が成熟した子実体。
菌糸体とは菌糸が集まったもので、菌糸の本体。菌類は糸状の細胞。一次菌糸とは胞子が発芽しできる。二次菌糸とは遺伝的に異なる二つの一次菌糸が合体してできる。

この所の雨できのこもかなり発生しています。入間川河川敷公園の芝生の中に発生していました。写真の子実体は2-3cmで小さなホコリタケ類という感じがします。ホコリタケとの違いは子実体表面にトゲがない。、光学顕微鏡で調べると弾糸が分岐するたびに細くなり、胞子に尾が確認できたので、和名のシバフダンゴタケになります。
分類では、ホコリタケ目ホコリタケ科シバフダンゴタケ属となります。







2008/05/24 3:23:07|植物
リクエストのイチハツ(一八,鳶尾) )

イチハツ(一八,鳶尾) )はアヤメ科アヤメ属の常緑多年草で、葉の形がアイリスに近く、花はアヤメ(文目)に似ています。
花被片の中央部にとさか状の突起があります(写真のように白いところ)。また,花びらに暗色の細長い筋状の模様があるのも特徴だと思います。
 原産地は中国。 わが国へは江戸時代に渡来。半日陰の乾燥地を好み、茎の高さ は30〜60cmになります。葉の幅は3〜4cmと広いのも特徴です。4月から5月頃 、アヤメ科の中では一番早く、紫色の花が咲きます。昔は、大風を防ぐと信じられていたので、わら屋根の上に植えられたそうです。 正岡子規は病床から庭のイチハツの花を見て、次の歌を詠んだ。
いちはつの花咲きいでて 我目には今年ばかりの春 行かんとす(明治34年)
病床にある子規は、来年またこの「いちはつ」の花を見ることはできないのかも知れない、と思いつつこの歌を詠んだのかもしれない。





アヤメは左です。




左はアヤメ。右がイチハツ。
ノウルシは4/25に載せました.
写真をクイックすると多少大きくなります。
リクエストに答えるのが遅くなりました。







2008/05/23 1:33:58|植物
ハマナシ(浜梨)かハマナス(浜茄子)
写真は園芸種の白花ハマナシです。左下が原種のハマナシ(浜梨)
日本中部から北に面した海岸や海浜に紅色の一重咲きの美しい野生のバラが咲きます。これをハマナシといい、花が咲き終わると赤く丸い実をつけます。この実は食べられます。
このハマナシ(浜梨)はハマナス(浜茄子)とも呼ばれます。ぃったいどちらが正しいかというといろいろ議論があります。「大言海」の本には実が赤くしてまるく、ほぼ茄子の如し書いてあります。
「フロラ・ヤポニカ(日本の植物)」と田中芳男著「動植物鉱物字林」の中にもバラ科ハマナシと書いています。東北地方の一部ではシをスと発音します。牧野富太郎先生はハマナシ(浜梨)と書いています。牧野富太郎植物記より