くさびら紀行

日ごろの興味をもったキノコ・植物・歴史町並み等を書きとめます。
 
2008/06/05 5:35:15|植物
いよいよハナショウブの季節

リクエストに答えて、ハナショウブの見学地もかきました。
単にショウブという場合は,普通はアヤメ科のハナショウブ(花菖蒲)のことです。しかし,本当の「ショウブ」はサトイモ科で端午の節句の菖蒲湯に使われたりするもので,花は全く違います。
ハナショウブは花が大きいこと,色は紫(青紫,赤紫)や白が多いということなので,比較的容易に見分けられるでしょう。
生育場所での区別 : アヤメは岡(陸)に茂り、カキツバタは水地に生える。ハナショウブはその中間の水際に育ち、栽培しやすい。
その花弁の基部を見る: アヤメは網目になっている(花弁は黄色)、カキツバタは白に黄班が入り、ハナショウブは黄色(一番上の写真)。この3種類のみならばこれで見分けられます。ハナショウブは江戸時代に開発された品種が多いので、原種が少なく、園芸種が多いとおもいます。

上から二番目の写真は早生種で、一ヶ月近く、早く開花し、アヤメ系の遺伝子が入っているのかも。

上から三番目写真、ハナショウブは花弁の基部が黄色なのです。
一番下の写真は黄色系のハナショウブなので葉が黄緑色です。

埼玉県内ではどこに行けば簡単に見ることができるでしょうか?ご存知でしたらお教えください。
イチハツの花は終わっていますが、智光山公園内におるハナショウブ園がそろそろ見ごろです。
狭山市駅西口より智光山公園行きバス 智光山公園下車。電話04−2952−6131 に問いあわせください。
アヤメ科全体なら小石川植物園に問い合わせください。
ハナショウブなら東村山市の北山公園、加須の浮き野里、川島の平成の森、川越の笠幡ハナショウブ園(一番したの写真)。







2008/06/04 5:57:04|町並み
暫定世界遺産彦根城2(埋木舎)

埋木舎(うもれぎのや)は井伊直弼が青春時代を過ごした舎。
彼は藩主井伊直中の14男として誕生し、32才までの15年間、三百俵の無役で過ごした。「世の中をよそに見つつも埋もれ木の埋もれておらむ心なき身は」と直弼は歌を詠み、自ら「埋木舎」と名付けた。文武両道の修練は一日4時間の睡眠で励んだそうです。この埋木舎における偉大な人格形成があったゆえに、その後13代藩主になり、やがて、、徳川幕府の大老として「開国の父」となった。埋木舎は国指定の特別史跡です。
NHKの大河ドラマの「敦姫」に登場するでしょう。

表門から坂を上がって行くと廊下橋(非常時には落とし橋となる)が見えます。この橋を中央として左右対称に建てられているのが天秤櫓です。まるで天秤のような形をしているところから天秤櫓と呼ばれています。
日本の城郭でこの形式のものは彦根城だけです。

太鼓門櫓(重要文化財)の傍にあった橋です。

一番下の写真。元禄時代(1688〜1703)に建てられ、常に十数頭の藩主用の馬がつながれていました。
昭和43年に解体修理されたこけら葺きの屋根が美しく、城内に残る馬屋は彦根城だけで、馬小屋が重要文化財です。

その他に、「西の丸三重櫓 (重要文化財)」と、国指定登録文化財「スミス記念堂」、「滋賀大学陵水会館」のがあります。登録文化財とは建造物などを活用しながら保存するスタイルです。

平成4年から暫定世界遺産彦根城になってます。








2008/06/03 4:05:36|町並み
暫定世界遺産彦根城

リクエストのあった暫定世界遺産彦根城に、先日行ってきました。
近世の城で天守閣が残っているのは、弘前、松本、犬山、丸岡、彦根、姫路、備中松山、松江、丸亀、松山、宇和島、高知の12城。このうち、松本城、犬山城、彦根城、姫路城の4城は国宝です。
規模が大きく、世界遺産になっているのが姫路城。暫定遺産に登録されているのが彦根城です。その彦根城の周囲は「埋木舎」等が特別史跡に指定されています。史跡の国宝級が特別史跡になるらしい。「埋木舎」は次回。
国宝彦根城天守閣は北西に附櫓(つけやぐら)が、さらに長い多聞櫓が連なります。天守一層目の軒に並ぶ八つの「へ」の字形の切妻破風は、それぞれの大きさと奥行きに変化をもたせ、二層目は、南北を切妻破風、東西を入母屋破風とし、南北にが唐破風が設けられています。破風とは屋根の切妻についている山形の板です。
[彦根城は、明治に解体の危機にみまわれました。しかし、今も当時の面影が今も残っているのは、明治天皇が明治11年10月、北陸巡幸を終え、彦根を通られたときに、保存するようにと大命を下されたからでした。]と言う説明をガイドから聞きました。私は世界遺産にふさわしい城と思いましたが、姫路城とは違う独自色を出さないと世界遺産無理と言われているらしい。

上から二番目の写真は外堀かと思ったら、これは中堀でした。



一番下写真は空堀が外堀跡です。







2008/05/29 18:09:45|川越
300年も続いた舟運「伊勢安」

舟運は1647年に、川越城主の松平信綱が新河岸川等を改修し、船着き場を開設したのが始まりと言われている。
当時の船問屋「伊勢安」がそっくり、昔のままの姿が残っています。
川越舟運の当初は領内の年貢米やサツマイモなどを江戸へ運送するのが目的であった。商品経済の発展とともに、一般の荷物を扱うようになり、江戸からも川越に、塩・油・魚・肥料(人糞も含む)等を帰りの舟で、運びました。特に肥料(人糞)を運ぶ船を「お肥船(おあいふね)」と言う。これは川や海に流すのでなく、農業に利用した環境にやさしい方法でした。
「江戸のひとは口で受けて、尻で返す」と言う歌があります。


伊勢安の庭に、文政年間の素麺(うどん)蔵、寛政年間の味噌蔵。





伊勢安の紋が入った鬼瓦が庭にありました。
この伊勢安も鉄道の発達により、昭和6年に看板を降ろした。



大八車というのをご存知だと思いますが、広辞苑によると「だいはち‐ぐるま【大八車・代八車】(八人分の仕事の代りをする意) 荷物運搬用の大きな二輪車で、二~三人でひくもの。 江戸前期から使用された。


5/31-6/2 三重県の津市、帰ってから報告します。







2008/05/29 4:01:45|植物
行者ニンニク(行者忍唇辱)

わが家にある行者ニンニク(行者忍唇辱)を友人に見せると、嘘といわれました。
草全体にニンニク臭があるため葉に傷をつけると強い匂いをかげます。山岳行者のスタミナ源。今は山小屋で栽培もしていて、結構、料理につかわれています。
別名(別称)アイメネギ、蝦夷ねぎとも言われます。
蝦夷ねぎとは北海道に特に多く自生し、アイヌの人々が常食していました。
アイメネギとは蕾や葉を乾かし、保存食したことから付けられた。
ユリ科。多年生。葉は幅広く長さ、約30cmの長楕円形で、下部は葉柄状に細くなり茎を包む。初夏に茎をだし、頂上に散形花序に白い小さい花をつける。
葉が1-3伸び群生していますが、食べる場合は一枚だけ採って残すと来年もたべられます。

料理:一番下の写真は湯がいて醤油と鰹節を入れて食べました。
行者ニンニクのタマゴ焼きもいい。ニンニク似た香りはてんぷらでもおいしい。
芽や葉などのがよく似ているスズランは猛毒です。

5/31-6/2 三重のほうに出かけますので休みます。