くさびら紀行

日ごろの興味をもったキノコ・植物・歴史町並み等を書きとめます。
 
2008/06/28 5:45:45|きのこ
ジャガイモタケ
和名のジャガイモタケもジャガイモに似ているので、覚えやすいキノコです。
子実体(胞子生産のための器官)は類球形ー卵形、大きさ3cm-7cmくらい、淡黄色で傷つけたり又は表面をこすると黒くなります。切ると青から褐色ー黒色(左下写真)に変色する。多少ヨードホルムの匂いもする。胞子を顕微鏡で確認したら、球形、鈍角の円錐の棘がありました。普通は秋ですが、昨日、コナラとシラカシの林内の山道を歩いていたら、比較的大きな(径6cmx4cm)キノコが目につきました。
ジャガイモタケ科で昔(古い本)はクラマノジャガイモタケと言ったそうですが、科学が進み、今はジャガイモタケという。なんせ、今はDNA時代。写真のメモリは1cmです。子実体が小さい時は地中にあるので、これも地下生菌に入ります。右の写真は裏面から撮りました。







2008/06/27 2:35:28|きのこ
ツエタケ(杖茸)
根元が長くいかにも杖があるように見えるのでお覚えやすいキノコです。上の左の写真は傘、径最小4cm、最大10cm、表面は放射状の不規則なしわがあり、湿っているときは粘性がある。上の真ん中と右の写真は柄の地上部は最小5cm、最大10cmで、根元がややふくらみ、再び細く根状に伸びて地中深く入り埋もれ木につながる。
キシメジ科で川越の広葉樹林内に発生しています。
特有の甘い香りと傘のぬめりがどんな料理にも合うが、友人は食あたりをしたこともあると言う。このキノコを洗い、軽く茹でて、油で炒めて食べてみました。柄は多少硬いが歯切れがよかった(左下)。
訂正、昨日の100石の単位は15トンです。







2008/06/26 2:03:12|町並み
縁切寺満徳寺資料館

続いて、徳川縁切寺は、100石(15トンの米とれる領地)の御朱印地です。鎌倉の東慶寺と並んで縁切寺として著名な太田の満徳寺に行きました。縁切寺とは、そこへ駆け込んだ妻を救済して、夫との離婚を達成してくれた尼寺ことで、「駆け込み寺」とも言われてます。江戸時代を通じて縁切寺として残ったのは徳川家康の孫娘「千姫」にかかわる由緒ある寺で、千姫が入寺し(実際は代理)豊臣家と縁切をして、離婚後再婚したことです。東慶寺と違うのは離婚後再婚できることです。
頑強に離婚を拒否する夫にたいして、最終的に幕府権力を背景に離婚を成立させてくれたのが縁切寺。
示談不成立の時、女は在寺禁足25か月間、尼同様な生活を過ごす。
その滞在費用は5-6両、現在に換算すると50万円になり、妻負担だそうです。
上から二番目の門は復元した有名な門で、我々のために空けてくれました。
左の一番下の写真、「夫から逃れて満徳寺へ駆け込む女」の図は夫に捕まりそうになった時、妻は草履など自分のものを門内に投げ込めば、妻は寺男に保護されました。
縁切寺は夫の不法に泣く女性を救済して、離婚を達成できたことから男女差別撤廃の原点です。
世の中のもろもろの悪縁と縁切をして縁結びをするのが現代の縁切り寺です。
浪人と縁切りをして大学と縁結び。
交通事故と縁切りをして無事故・安全運転と縁結び。
借金と縁切りをして商売繁盛と縁結び。
独身と縁切りをして良縁と縁結び。
ボケ・寝たきりと縁切りをしてポックリと縁結び。
太田市立縁切寺満徳寺資料館が正式な名前です。







2008/06/25 4:50:28|町並み
荻野吟子記念館
友人のT氏の案内で荻野吟子記念館と縁切寺等を見学しました。荻野吟子氏は当時、女性には医師の道が閉ざされていたが明治8年現在の御茶ノ水女子大に入学。卒業後、女子禁制だった私立の医学校
「好寿院」に入学し、医学を学ぷ。目の前に立ちはだかる壁を信念と努力で打ち破り、明治18年医術開業試験に合格、日本公許登録女医第一号となり、東京の本郷に開業した。宣教師の夫と北海道にわたり、開業し、医療と婦人活動に活躍するが夫の死後、再び東京にもどり開業した。開業試験を受ける許可をとるのに、3年もかかったそうです。夫から、病気をうつされて、その治療が切っ掛けで医者をめざしたとも言われてます。
"人その友のために
己の命を損(す)つるには
これより大なる愛はなし"。
埼玉ゆかりの三偉人の一人です。現在は女性の医者が約25%以上いるといわれてます。
問い合わせは熊谷市教育委員会妻沼事務所 電話048-588-1321.








2008/06/24 4:25:01|植物
八重のドクダミ

ドクダミは毒がないのに、ドクの名前がついている気のどくな花。独特なの匂いがあるために嫌われがちです。ドクダミ科、多年草、ハート型の葉を互生しています。
古くから葉を生のまま虫に刺されやおでき、切り傷等の漢方薬として使われています。また、煎じたものはむくみとりや血圧に効くとして十薬として利用されてもいます。ドクダミはやや日陰の湿った場所を好む草で、野山や空き地などいたる所で見ることができます。開花期は6〜7月、暗い木立の下などに咲くドクダミの花の白さには、すばらしい。この白い部分、花弁でなく、総苞片(そうほうへん)と呼ばれる器官です。そして中心部の黄色い部分が花です。
ドクダミの別名は十薬(じゅうやく)で、江戸時代の儒学者・本草学者である貝原益軒の『大和本草』には、馬に与えると「十種ノ薬ノ能アリトテ十薬ト号スト云」と書かれています。
ドクダミという和名は、「毒を矯める・止める」という意味を持つといわれてます。また、「毒や傷みに効能がある」という意味の「毒痛み」に由来するとも言われています。
八重のドクダミは園芸種かも。鉢植えで栽培されてます。