くさびら紀行

日ごろの興味をもったキノコ・植物・歴史町並み等を書きとめます。
 
2008/07/09 3:51:35|きのこ
赤系トリュフ埼玉産(Tuber sp.)

 トリュフは地下生菌の代表選手です。フランスやイタリアでは犬や豚を使って探しているので有名です。
地下生菌とは
地下に子実体(子嚢果)をつくる菌類の総称です。
子実体の頂端が地表に少し露出する種類も含む。
分類ではトリュフの仲間のことをTuber sp.と現します。
 トリュフは子嚢菌の仲間でセイヨウショウロ科セイヨウショウロタケ属菌に属するキノコです。即ち、日本の松林に発生している「松露(ショウロ)」に似ていて、ヨーロッパから来ているから。シデ、コナラ、カシ、マツ、クリの木等ブナ科の外生菌根で撹乱地(道端、公園、神社)に発生します。皆さんも探せば見つけることができます。でも、見なれてないと無理かも。関東でも埼玉、神奈川、栃木等で発見されています。採集する場合には地面を掘らず、採集すのは少数にして残すようにすれば、来年も発生して楽しめます。
 トリュフ特徴と同定
Tuber 属の種の同定は子嚢果(一番上の写真)の大きさ、形状、色、大理石(上から二番目の写真の中の左)模様(断面がスポンジ状でない)の肉眼的なものと、殻皮、子嚢中((上から三番目の写真))の胞子の数、子嚢胞子の大きさ、胞子表面の棘や網目模様等の顕微鏡の観察で行ないます。
 比企丘陵の広葉樹林内で、ひっそりと今、発生しています。最初に発見したときはキノコでなく、「石」様にみえました。香りは弱い
 一番上の写真のメモリは1cm。上から三番目写真は顕微鏡で200倍試薬で染色。上から四番目の写真は顕微鏡で400倍で、まだ、未熟の胞子でこれから、秋にかけて成熟します。
 今のところ種名がついていません。私は勝手にTuber spRとしています。そのうちに埼玉産ショウロも載せます。







2008/07/08 6:41:49|町並み
軽井沢の追分宿とその常夜灯

 追分宿は浅間根越えの三宿(追分,沓掛、軽井沢)の一つで、中仙道と北国街道の分岐点にあり、昔から交通の要衝の地でした。江戸時代に入って中仙道の大改修がおこなわれ、参勤交代の制度が実施される頃から著しい発展をしました。
 中仙道とは、お江戸日本橋より始まり上州・信濃を経て草津で東海道と合流します。
 元禄時代の記録によると旅籠71軒、茶屋18軒があって、飯盛女たちの数も200-270人いたと書いてあり、活気あふれる宿場町でした。
 一番上の写真は追分の分去れ(わかされ)です。北国街道と中仙道の分岐点にあるので「追分の分去れ」。江戸からくると右は北国街道の更科や越後方面、左は京都などの関西につうじた。
  さらしなは右
   みよしは左にて
     月と 花とを
       追分の宿
その他の写真は追分の常夜灯です。
 常夜灯(じょうやとう)とは旅人のために、一晩中つけておく明かりのこと。転じて街道沿いなどに設置されている建造物のことも指すようになったとのこと。wikipediaより
 集落の中心に設置されている常夜灯は信仰の対象として、街道沿いに設置されている常夜灯は街道の道しるべとして設置されているものが多い。
 昔はろうそくや菜種油を燃やして火をつけていたが、現在は電球をつけているので管理する人がいなくなった常夜灯が多い。常夜灯は主に石やコンクリートで作られている(一番下)。
何度も軽井沢にいきましたが、今回の旅で中軽井沢が沓掛宿であったことがわかりました。

 







2008/07/07 3:11:25|町並み
卯建(うだつ)と格子で有名な海野宿

保養所に泊まって東御市に行ってきました。
 甲斐の武田に滅ぼされた海野氏なので、歴史的にみても、東御市でなく、海野宿市にすればよかったのにと思う。
海野宿は寛永2年(1625)に北国街道の宿駅として、本陣1軒・脇本陣2軒が設けられました。
 中山道と北陸道を結ぶ重要な街道であります。また、佐渡で採れた金、銀の輸送や、北陸諸大名の参勤交代の道であり、江戸との交通も盛んでした。即ち、北国街道は五街道のひとつであった。
 宿の東と西に桝形が置かれ、延長約6町(約650m)です。桝形とは、宿場の出入り口の道を鍵形. に曲げ、石垣を積んで囲ったもので、宿の防衛のために見通しをわるくした。
 宿場時代の建物としては、出桁造り(上から三番目の写真)の旅籠屋(一般の人が泊まる旅館)や、防火壁の役割を果たしている立派な卯建(一番下の写真)の立っている家も残ってます。卯建(うだつ)はもともと、梁の上に立てて棟木を支える短い柱でのことをいうが、建物の外に張り出して、防火壁のことです。
 表構えの格子戸は特に「海野格子(うんのごうし)」と呼ばれています。二階の格子は長短二本ずつ交合に組み込まれた美しい特有の格子です(上から二番目の写真)。 
 明治時代になると宿場の機能は失われ、本陣・脇本陣は衰退し、建物も大部分を失いましたが、その他の家は広い部屋を利用して養蚕・蚕種業を始めました。そのため旅籠屋の建物はそのまま残される結果となり、江戸時代の「うだつ」をさらに豪華にした袖うだつも残ってます。当時、国の産業第一と言われた蚕種業で蓄積された財力により改築が行われましたが、表構えは宿場風を残しています。
 歴史的町並が残る場所として、昭和61年(1986)建設省より「日本の道百選」に選ばれ、続いて昭和62年(1987)には文部省より「重要伝統的建造物群保存地区」にも選定されています。







2008/07/05 3:02:49|植物
ヤマモモ(山桃)
 暖地には大きな実のなるヤマモモが多いが、関東では小さめの実のなる木が多い。
 雨の日に散歩していたら、近所の公園で発見。雌雄異株で,花は4月に開花しますが、雌花・雄花とも花びらがないので目立ちません。果実は食用になります。
 今、特徴のある赤く丸い果実をたわわに実らせるとよく目立ちます。
 ヤマモモ科のヤマモモは本州の関東・福井県よりも南西部・四国・九州・琉球の暖地・沿岸域に生育する常緑の高木。よく分岐して高さ25mくらいになるそうです
 ○○病院にボランテイアに行ったとき、花瓶に枝物として飾ってありました。この実はヤマモモ(山桃)でおいしいよ、言ったら吃驚していました。
 採取するときは、傘を逆に広げて枝の下に差し入れ、枝を揺すって落とします。
 赤や赤紫色に熟した甘味のあるものは生食。果実酒は漬けて一ヶ月で琥珀色になり、さわやかな味のある酒になります。三ヶ月で熟成しますのでその実をとりだします。
 最近は物産展で販売している所もあります。
左下の左下のメモリ1cmで、左下写真の一番左は未熟で、まだ、つぼみが堅そうである。







2008/07/04 7:03:48|きのこ
冬虫夏草のオサムシタケ
 冬虫夏草と言えば、かって,オリンピックの中国の陸上選手「馬軍団」が金メダルを取り、冬虫夏草を飲でいたので有名になりました。
 冬虫夏草は冬は昆虫、夏は草(キノコ)。キノコは昔、植物に分類されていたとのこと。キノコのたんぱく質のDNAを調べると、今は動物に近いと言われてます。
 キノコの胞子は虫の幼虫の口等から入り、菌糸はその栄養分で生育し、ある時期が来て、宿主がたおれたあとで、その死体からキノコになります。昆虫(オサムシ)は殻だけが残ります。
 冬虫夏草は分類学で、バッカク目、バッカク科(麦角菌でイネ科植物に寄生する)科で、その学名はCordyceps(コルディセプス)  sinensis(シネンシス)と言う。Cordycepsはラテン語の「棍棒」、sinensisは[中国]を意味する。
 正直正銘の冬虫夏草とは中国で「生薬」として認められたもので、コウモリガの幼虫に寄生した菌類です。この原産地はチベットの標高5000m級と言われてます。
日本にもコウモリガの仲間がいますが、条件がそろわないので、冬虫夏草はみつからないのです。この世界の専門家はお土産品は圧倒的に「贋」ものが多いと言ってます。