くさびら紀行

日ごろの興味をもったキノコ・植物・歴史町並み等を書きとめます。
 
2008/07/14 18:05:49|植物
行田の古代ハス

 今日は史跡クラブMさんの案内で行田の古代蓮の里に行ってきました。
 今から約2000年前、「古代蓮の里」一帯は、たくさんの水生植物が茂る湿地帯でした。そこには、蓮の花も咲いていました。
そのとき咲いていた蓮の実が地中深く長い間、眠りについていました。
 昭和46年に、小針地内に新しい焼却場施設を建設するための造成工事をはじめた時、掘削によってできた場所に水がたまって池となり、地中深く眠っていた蓮の実が静かに目覚めたとのです。
 地中深く埋もれていた多くの蓮の実が出土し、自然発芽して一斉に開花した事は極めて珍しいこと言われてます。また、珍しいハスとしては、「アメリカ黄蓮」があります。
 上から三番目の写真は実とその中の「種(たね)」です。
 1951年(昭和26)3月、植物学者・大賀一郎博士(1883-1964)は、地元の花園中学校の生徒たちと共に遺跡を発掘調査した。
3月30日、花園中学校女子生徒(西野真理子)が、千葉市検見川(花見川区朝日が丘町)、地下約6メートルの泥炭層から最初にハスの実1個を発掘した。4月06日、2個のハスの実を発掘し、発見したハスの実は、合計3粒になった。
ハスの権威者・大賀博士は、それらの年代を明確にするため、ハスの実、丸木舟の一部などをシカゴ大学へ送って年代分析・鑑定を依頼した。 その結果、それらが弥生時代(約2000年前)のものであることが判明した(千葉市大賀ハスより)。
 行田で言う「フライ」とは、小麦粉をやわらかく水で溶き、鉄板の上でうすくのばしねぎ、肉、卵などの具を入れて焼き、ソースか醤油だれをつけて食べる、お好み焼き風の食べ物です。もともとは農家の手軽なおやつが、持ち運びやすさと腹持ちのよさから、昭和初期に足袋工場で働く女工さんに大ヒットしました。
 名物行田「ゼリーフライ」は、じゃがいもとおからで作った、衣の付いていないコロッケ風のものです。







2008/07/13 6:29:02|川越
川越市最大の前方後円墳「牛塚古墳」
 市教育委員会の岡田氏の講演会「川越の文化財」なかで、川越市最大の前方後円墳「牛塚古墳」が東京国際大学傍の的場にあることがわかりました。
牛塚古墳は入間川左岸の洪積台地上に築造された古墳です。保存状態も良好、規模は全長45m、後円部20m、方部幅22mで高さ3.75m。主体部は横穴式石室で、築造当初の床面とその上に設けられた追葬時の床面積が発見された。横穴式石室とは、石で遺骸を納める部屋(玄室)をつくり、そこに出入りするための廊下(羨道)をつけたものです。
 副葬品として耳環等発見された。その中で「金銅製指輪(左上写真」は今のところ、市文化財指定になってますが、将来国指定の文化財になる貴重なものであると話してました。前方後円墳(上の右)、金銅製指輪等も畿内政権(大和王国)と地方豪族のつながりを示すものです。金銅製指輪は古墳時代には鍍金(メッキ)の施された鮮やかな金銅製装身具が作られれ、その代表がリング - 指輪です。最近、不完全なものが関西でも発見さています。川越のものは完全な金銅製指輪です。
金銅製指輪等は川越市博物館に展示してあります。







2008/07/12 7:10:43|きのこ
クロアザアワタケ(黒痣泡茸)
 クロアザアワタケ(黒痣泡茸)はイグチ科アワタケ属のキノコです。
傘は径2-7cm、表面が多少ざらつき(上の写真)、淡い粘土色。孔口は多角形、大形、傷をつけると青変性を示し、その後黒くなります(下の写真)。傘裏の黄色の部分が管孔です。管孔とはイグチの中間にみられような、傘の下にある多数の穴のこと、孔口とはその孔の開口部のこと。色の変化も分類の判断の一つです。
 普通、ブナ科(コナラ、クリ)の林内に発生しますが、この場合、コンクリートの上でわずかにコケがあるところに発生していたので載せました(上の左写真)。
 キノコはコケから水分を貰い、コケはキノコからコンクリートの無機物を貰いともに、共生関係と考えてみました?。コケの下に、ブナ科植物の根があったかも。
この仲間は風味に癖がなく、柄は歯切れがよいと書いてありますが、夏ばのキノコは腐りやすく、腐敗しやすいので食べたことはありません。

 







2008/07/11 6:48:49|野鳥と魚と昆虫(蛍)
中学生と魚類調査

  昨日、環ネットのボランテイアグループで総合学習の学校支援を行いました。ゴルフ場から湧水が流れてくる用水堀で、中学二年生と一緒に川魚調査をしました。タイリクバラタナゴ、カワムツ、スジエビ、フナ、ヨシノボリ、ザリガニ、キンギョ等がいました。排水等はゴルフ場が協力してくれてました。
 タイリクバラタナゴ(一番上)は外来種で1940年頃に中国から入ってきて、今は全国の小川や池にいます。ミヤコタナゴやヤリタナゴは絶滅危惧種で、今は滑川のミヤコタナゴ館で増殖しています。いずれにしても素人の私には分類がむずかしい。
 カワムツ(上から二番目)は魚屋に並んでいるムツと区別するためにカワ(川)をつけたらしい。産卵期になると雄は口周辺に「追い星」があらわれます。追い星とは皮膚が変化した堅い突起物で頭部に多くみられます。
 生き物を放すことが自然保護という人も今だにいます。今回はキンギョもいましたが生徒に持っていってもらいました。
様々な淡水魚の減少が叫ばれていますが護岸工事や河川改修が原因です。この場所は昔の粗朶工法(一番下の写真)で直しましたので将来が楽しみです。
 粗朶とは、栗、樫やナナカマドといった雑木の枝を束ねたもの。この粗朶をいかだのように組み、川底に沈めたり、岸を囲んで、川の流れを調節します。高度経済成長期にはコンクリートを使った護岸工事が広まり、明治時代から続く粗朶工法は見向きもされなくなりましたが、今、再びこの伝統の治水技術に注目が集まっています。
 河岸を覆う枝は植物を繁茂させ、魚の住処になり、鳥たちを呼び、生命の循環を形成してくれるからです。自然環境を守る機運の高まりで見直された技術。伝統を守る人々の努力は、川の生態系も守っているのです。









2008/07/10 4:44:52|町並み
高句麗渡来の巾着田

 昨日、○○学園のWさんと高麗川駅で待ち合わせて、Wさんの車で、一緒に「ひだか健康」コースを歩いてきました。
まず、高麗郷民族資料館、次に、巾着田で、ハスの花を見学しました。そのハスの花は日高市の瀧泉寺で株分けしたものを導入していました。面積約17ヘクタールで昔はそのすべてが水田でしたが、現在ではごく一部が水田として残っています。「曼珠沙華」は9月16日頃が咲き始めとのこと。
 聖天院(しようでんいん)は、高句麗から渡来した高麗王若光の菩提寺として高麗川の左岸に建立された寺です。寺伝によれば、若光に従っていた僧の勝楽が、若光の冥福を祈るためにその念持仏だった聖天歓喜仏を本尊とする寺院を建立しようとしたが、完成をみないで天平宝字3年(751)に没してしまったので、その後弟子の聖雲(若光の第三子)らが、勝楽の遺志を受け継ぎ一寺を建立した。また、王廟(上から二番目写真)もあり、竜神・風神も安置され、鐘楼が国指定の重要文化財、100円で一回鐘を鳴らせますので挑戦したらいかがですか。快運が開けると思います。
 高麗神社は聖天院から徒歩5分ほどのところにあります。その脇に、国指定の重要文化財の「高麗家住宅」(一番下)もあります。神社境内に直径1.75m、太さ15cmの茅の輪が設置されていましたので、無病息災を願い「夏越(なご)し祭〜茅の輪くぐり」(上から三番目)を二人でやってきました。これで、夏を無事こせそうです。その後、Oさん進めの蓮の花で有名な瀧泉寺に行きました。
今年の3月に、蓮の株分けにトラック2台の土をいれたとのこと。
ハイキングマツプによれば、川遊びコース、高麗ぐるりコース、健脚5時間コース等があります。