昨日、徳川将軍家霊廟のある芝増上寺に行ってきました。川越は雨でしたが東京は曇り、散歩にはちょうどいい日でした。 安国殿の本尊の両脇には和宮像(上から三番目)、聖徳太子像がありました。その建物の裏には、徳川家の霊廟があります。この建物も第二次大戦中に焼失しましたが、後に元とはやや異なる様式で再建されました。 「鋳抜門」とよばれる黒い鉄でできた門(上から二番目)、には、葵の紋章が付いています。この霊廟には、二代秀忠、六代家宣、七代家継、九代家重、十二代家慶、十四代家茂の六人の将軍と、それぞれの家族など係累が葬られています。皇女和宮(静寛院和宮)の墓(一番下)?の写真を撮ってきました。たまたま歴史に強い人がいて、すべて徳川家の墓は石堂なのだそうです。写真のように周りが菊の紋があり、青銅製なので皇女和宮(静寛院和宮)の墓に間違いないと断定していました。 川口松太郎の「皇女和宮」を読みました。 8/3ブログの子規好き男さんより「昭和の半ばに和宮の墓を改葬する際、和宮が写真(ガラス板)を胸に抱いているのが発見されたそうです。研究者が持ち帰って翌日以降に詳しく調べようとしたところ、昔の湿式写真だったため、翌日には写真の絵が消え去っていたとか。写真の主は家茂とも、和宮の元の許嫁とも言われていますがはどちらだと思われますか?」私は和宮の元の許嫁かなと思います。定年前になくなった先輩がよく歴史の町並みを案内してくれましたが、その頃は興味がなかったのですが、今は興味を持ってます。 |