くさびら紀行
日ごろの興味をもったキノコ・植物・歴史町並み等を書きとめます。
プロフィール
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kinoko-masaru
■自己紹介
江戸の母「川越」すまい。
定年退職後のきままな生活。
第二の生活はキノコと町並みウオッチング。
■趣味
キノコ・植物観察。
平家蛍飼育とシイタケ栽培
歴史の町並みウオッチング。
■アクセス数
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2008/09/16 3:02:12|
きのこ
マツタケご飯?(2)
前回、中国産マツタケご飯(9月2日ブログ)をつくりましたが、香りの面でがっかりでした。かねてから新米がでたらやってみたいことがありましたので再度挑戦しました。
マツタケの代わりにエリンギ、香りはインスタント「松茸のお吸いも」で一合炊いてみました。新米コシヒカリなので味よかった。エリンギの歯ごたえも上々。香りについては期待したものとは遠い、でもおいしかった。デパ地下で販売しているものはどんなものなの。
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2008/09/15 4:12:08|
きのこ
イロガワリ(色変わり)
イロガワリ(色変わり)は、字のごとく、この性質が表現されたキノコです。青変性を持つキノコの代表選手といえます。イグチ科イグチ属キノコです。キノコには、傷がつくと傘や柄が青く変色する性質ものが、何種類かあります。この青変性のあるなしは、種の判別の目安になります。
イロガワリの最大の特徴は傷が付いたとたんに濃青変すること。
傷だけでなく触っただけでも変色(右上)してしまいます。
変色のスピードがすごく早いので、計ってみましたが、そのスピードは、1秒ほどで青くなり始め3秒ほどで墨を塗ったかのようにほぼ青黒(下の写真)になってしまい、子供達も驚きます。この時期も蚊が多く写真撮るだけでもやられます。
食べたことはないのですが、風味はさつぱりしているそうです。じつくり煮込んで味がでるそうです。
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2008/09/14 0:17:23|
町並み
三階建て国登録文化財の島村家土蔵
桶川宿は中山道6番目の宿場町、桶川宿、優良な紅花の集積地として栄えたこの町には江戸時代の面影を残す建物があります。
宿場本陣近くで穀物問屋や紅花の取引を行なっていた島村家には、当時の繁栄を伝える三階建て国登録文化財の島村家土蔵があります。この土蔵造りは切妻つくり瓦葺三階建て、観音開きの扉口があり、黒漆喰壁にトタンを被覆しています。
建築は天保7年(1836年)。この工事が天保の飢饉にあえぐ人々に仕事を与え、その報酬により多くの人々が救われたことから
「お助蔵」
と言い伝えられています。それは今も行なわれている「ケインズ経済学」を知らなかった頃に、既にケインズ流経済対策(不況対策)に近いものが個人で実践されていたそうです。
今、この土蔵は、江戸時代生活用具館として公開(第一土曜日の午後)されています。館内には江戸時代の紅花染めの衣を着たひな人形(上から二番目)が展示されています。また多色すりで色鮮やかな「源氏物語」などが書いてある百科辞典(一番下)などが展示されています。
宿場の出入り口には木戸(警備のためのもの)設けられ、朝夕、木戸番によってあけとじされていた。その他、「中山道宿場館」「旅籠」等が残っています。
予約すればボランティアによる案内もあります。
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2008/09/13 2:31:45|
町並み
皇女和宮の関東御下向(桶川宿)
桶川宿は江戸日本橋にはじまり近江草津を終点とする中山道69次の宿場として江戸時代の初期に成立しました。江戸日本橋から10里余り(41km)あり、この間に板橋、蕨、浦和、大宮、上尾の五宿があり、江戸から6番目の宿場として栄えた。
皇女和宮の関東御下向で、和宮は文久元年(1861)11月13日に桶川宿本陣に宿泊しました。その本陣が今も残っていますが、現在は、一般の民家となっています。建物の公開は行っていませんので、桶川宿本陣の門を撮ってきました。
皇女和宮が江戸へ下向する際、当時の桶川宿に宿泊した様子を再現した「皇女和宮行列」を祭り(11月3日)として昭和50年から実施しています。上から二番目と三番目の写真は桶川市観光協会の写真から。
子規好男氏より(8月18日ブログ)「ということは二人は江戸城で再会しているかもしれないわけですね。ますます幕末の歴史がロマンチックに思えてきました」。
武部敏夫氏の日本歴史学会編「和宮」の本には触れていませんでしたが、「和宮」は新政府」に徳川家を残すためにかなり「運動しているので、多分再会しているのでしょう。
たまたま桶川宿の本陣場所をを聞いたら、自宅の庭に案内してくれまして碑ことをを説明してくれました。一番下は皇女和宮の関東御下向で、使用した馬をとめたときの碑?だそうです。
箱根・阿弥陀寺はゆかりの寺(箱根が終焉の地)として名高いそうなので、そのうち行きます。
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2008/09/12 3:50:04|
きのこ
富士山の「オニウスタケ(鬼臼茸)」と「ヤギタケ(山羊茸)」
キノコの季節になると富士スバルラインや富士山の林道沿いには多くの自動車が駐車されるようになります。この季節は地上に顔を出すキノコよりもキノコ狩の人が多くなると思われます。江戸時代から続いていたコケモモの採集は禁止になりました。近いうちに富士山でのキノコ採集は禁止になるのでしょう。
富士山・御中道を歩くとキノコの同定するのが難しいキノコ(食べられそうもない)が道端に置いてあります。拾って家で調べて見ました。
ラッパタケ科ラッパタケ属(一番上)まではおちますが、そこから先の種がはっきりしません。このキノコは初め円柱状で後には頂部が開いてラッパ状になる。色は汚黄土色できのこの内側には大きな鱗片をもつ。きのこの外側はしわ状になり、 傷つくと赤紫色に変色すると図鑑に書いてありますので「オニウスタケ」にしますが自信はありません。なぜかと言うと。「ラッパの内側の大きな鱗片」は栄養条件なのか、遺伝的なのか調べられないのです。
次も分りにくいキノコで、ヌメリガサ科、ヌメリガサ属ですが、そこから先の種がはっきりしません。ヤギタケかウスアカヒダタケか、自信がない。柄の部分は比較的濃い色でヒダは白に近いのがヤギタケ(上から三番目)、これによく似たキノコでヒダが橙色に近いものがウスアカヒダタケなので、判断むずかしい。胞子は調べてないです。
多少、人によって「種」の名前が違うのがキノコの同定かも、学者は科と属までしか言わない人がおおいです。
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