服部住宅は文政5年(1822年)に建築されたとそうです。照室内を見ると、母屋の一階はかつて照降商(てりふりしょうと読み、履物と傘を扱う商売)を営んでいたころの店構えの様子が伺えます。 げたの陳列棚や傘をつるした折くぎや草履の鼻緒をつるした折くぎなどが残っています。明治期より薬種商を兼業したと言う。 明治26年の大火で店が焼けても蔵は残ったので現在の展示ものがあるとのこと。 下駄の時代ではないので、昭和59年に民俗資料館を開館。嘉永5年(1852年)の雛人形(春に展示)、慶応元年(1865)の五月人形、履物の形象看板、安政期の雪駄、薬の看板、十組問屋関係文書など展示しています。上から二番目の写真は竹製の和ロウソクののいれ(旅道中)で持参で、真ん中高山、両側が四国の内子宿で作られたもの。上から三番目は天保年間に作られた藤表。一番下は照降商の傘。無料なので是非川越に来たら寄ってみると面白いです。出来たらご主人の説明を聞くとさらに面白しろい。ただ、なんにも買わずに出るのも気が引けるかも。そのうち明治期より薬種商も載せます。 今日から約100万人が訪れると言われている川越祭り。 |