くさびら紀行

日ごろの興味をもったキノコ・植物・歴史町並み等を書きとめます。
 
2008/11/22 2:50:56|きのこ
11月中旬の「スッポンタケ(鼈茸)」
 スッポンタケ(鼈茸)は子実体(キノコ)の頭部がスッポンの頭に似ている様子から、和名が付けられました。その頭の黒い部分(右上の写真)をグレバという。悪臭を放つ胞子が入った粘液で覆われています。匂いに誘われたハエなどが胞子を運びます。発生時期は梅雨〜秋ですが11月中旬はめずらしい。
 学名が面白い。属名のPhallusは「男根」と言う意味があるそうで、欧米では「臭い角笛」等と呼ばれています。
 スッポンタケは臭いグレバを洗い流し、湯がいて水に流して中華料理の材料(左下)として使われるきのこです。信じがたいが友人は食べていると言う。









2008/11/21 4:32:45|町並み
海野宿の「卯建(うだつ)」
 海野宿は寛永2年(1625)に北国街道の宿駅として開設されました。
 卯建(うだつ)は建物の外に張り出して防火のように備える壁です。左上の写真のように側壁面に立っている。屋根より高く立て、そこに瓦をのせたものでこれを本卯建と言う。本卯建は江戸時代にたてられました。その江戸時代の本卯建洋式をさらに豪華に造り揚げたものが「袖卯建」(そでうだつ)」(右上と右下)です。海野宿の袖卯建は明治時代の養蚕の種問屋が多い。左下は袖卯建の上に立っている「鯱(シャチ)」は城郭の建築を真似したものです。当時の日本は生糸の輸出が世界一でした。 
 防火壁の役割を果たしている立派な卯建の立っている家が今も残ってます。7/7も海野宿を載せました。







2008/11/19 1:37:59|植物
川越のツタ(蔦)の紅葉
ツタ(蔦)は別名ナツツタ(ツタ属)ともいう。巻きひげの吸盤で樹木や塀を伝うことから、「つたう」(伝)の意味で「つた」になったという。葉は対生で浅く三裂し、光沢あり、秋の紅葉が美しい。夏に黄緑色の地味な花が咲き、秋には黒っぽいぶどう(右下)に似た実がなります。
 昔は蔦を甘葛(あまずら)と呼び、早春につるを切って樹液を集め 煮詰めて甘味料を作った。
 常緑の木蔦(キヅタ)は別名冬蔦(フユツタ)で本種とは別種(キヅタ属)です。
 英語でのアイヴィーの呼び方はキヅタ類を指すことが多いそうです。
 明日は出かけますので休みです。








2008/11/18 6:15:01|町並み
秋の味覚「むかご(零余子)ご飯」
 別所温泉でおばあちゃんから「むかご」を買いました。そのムカゴ(右上)はそろっていて比較的に大きく栽培したものでした。山芋の葉の付け根にできる小指の頭ほどの球芽です。小さな粒の一つ一つに山芋の香りとコクが凝縮されています。 ムカゴご飯(左上)はサトイモに似た食感で懐かしい味でした。
 右下の写真は千曲川で自然薯(山芋)栽培している畑で地下1mほど掘って収穫すると言う。
 
 







2008/11/17 6:26:20|川越
蔵造りの商人心意気「唐人揃い」

 昨日、友人に誘われて「唐人揃い」を見てきました。
「唐人揃い」とは江戸時代、川越の商人たち(榎本弥左衛門)が江戸で見てきた朝鮮通信使の行列を真似て行った仮装行列のこと。朝鮮通信使は、朝鮮王朝から徳川幕府との友好親善のために派遣された使節団です。
 この行列を江戸で見た川越の商人たちが、使節団の風俗をまねて仮装して「唐人揃い」をしたのが起こりです。
 2006年11月12日埼玉県川越市で朝鮮通信使をまねた仮装行列「唐人揃い」が市の中心部の蔵づくりの街並みで再現されました。
 今年は4回目となり、いろいろなグループの参加を呼びかけ、20団体が参加し、国際交流・多文化共生を目指すパレードが行われました。
 *榎本弥左衛門は本町(現在元町)の大商人で「三つ子よりの覚え」と「万の覚(よろずのおぼえ)」を書きました。
 *朝鮮通信使は日本に12回来ていて、弥左衛門たちは6回目の1655年に10月見学したとのこと。
*商人達は絵師に、朝鮮通信使行列の絵馬を作らせて川越氷川神社に奉納し、それが「朝鮮通信使行列大絵馬」として現存しています。