くさびら紀行

日ごろの興味をもったキノコ・植物・歴史町並み等を書きとめます。
 
2008/12/09 5:13:29|町並み
川越蔵造りにある国登録有形文化財「太陽軒」
先日、太陽軒でランチを食べて二階の内部を見せてもらいました。太陽軒の現在の建物は昭和4年に建てられたと伝えられる木造漆喰塗り2階建ての洋館です。外観はほとんど竣工当時の形態をたもっており、内部においても当初から洋食食堂や大広間などの座敷が残されいます。(二階は今も祝い事等にも利用されています。)
 太陽軒は川越市内にある洋風モダン建築の中でも比較的規模が大きく、建物の内外には放物線のアーチ(当時の大工には難しかったという)や、独特の柱頭を持つ飾り柱など、特徴的な意匠がみられ、当時のドイツ等の影響を受けた「表現主義建築」とよばれたデザインを随所にあらわしています。外壁の色漆喰塗りも異例で、他の洋風建築群とはことなった意匠的特徴を持っています。
 建物は国登録有形文化財に指定されています。昭和初期の雰囲気を今も伝える貴重な建築遺構です(太陽軒のHP一部直す
)。








2008/12/08 4:02:04|きのこ
地下生菌のトリュフ(Tuber sp.)

 地下生菌とは地下に子実体をつくる菌類(きのこ)の総称です。子実体の頂端が地表に少し露出することも含むと言う。その中にトリュフ(Tuber sp.)もはいります。トリュフは世界の三代珍味にはいります。ヨーロッパだけでなく、日本でもかなりの数のトリュフ(Tuber sp.)が発見されてます。福島のSさんの案内で大学の先生と一緒に、トリュフ(Tuber sp.)を調査してきました。子嚢果(トリュフ)表面の小型疣とその表面に深い窪みの(一番上)形態学的形質等により中国に分布し、報告されているT. pseudoexcavatum とよく似ています。大学のA先生と共同で和名を付ける予定です。
 下の段の写真は顕微鏡で600倍で撮りました。外側の楕円形が子嚢で、その中の7個の楕円形が胞子です。上から三番目は棘が見えるように染色液を使用しました。
 この分野でも中国の研究はかなり進んでいます。









2008/12/07 2:24:24|町並み
国指定の史跡「白河の関」
国指定の史跡の白河の関は、いわき市の勿来関(なこそせき)、山形の念珠関(ねずのせき)と並び奥州三古関(こかん)といわれています。奈良・平安時代頃に存在した国境の関で、蝦夷(えみし)の南下や通行人、物資などの往来を取り締まる機能があったと考えられています。
 その機能が失われ廃関となってからは、歌枕の関として再び知られるようになりました。
 能因や松尾芭蕉をはじめ、時代を代表する歌人・俳人たちがこの地を訪れて多くの歌を残しています。
 都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関(能因法師) 
 右下の写真は古関の碑。 











2008/12/06 4:56:40|町並み
川越の姉妹都市「棚倉城(亀が城)跡」

 松平周防守康英公が慶応二年に棚倉から川越城の城主になりました縁で、福島県棚倉町は川越の姉妹都市になりました。また、明治の廃藩置県の折、先祖のお墓があるので川越から棚倉に帰った武士もいるという。自然と歴史に恵まれた六万石の城下町です。そのため「ルネンサンス棚倉」に宿泊すると川越市から年一回、3000円の補助がでます。
棚倉城(亀が城)は、寛永2年に丹羽長重によって築かれた。元和8年、常陸古渡から5万石を領して棚倉に入封した長重は、当初赤舘に入城したが、幕命により新城を築いた城。
川越と違い、写真のように現在では、本丸の周囲に高々とめぐらされた土塁、幅20間(約36m)もある水堀の綺麗な城址が残っています。しかもこれらの土塁・堀は写真のように「ひずみ」を多用しています。 これらの遺構を見るだけで「土の近世城郭」を満喫することができます。また堀の内側に植えられている桜は500本もあり、一斉に咲きほころびは必見です。
川越は堀跡があっても「水堀」がないし、舟運も栃木市、佐原と比較しても弱いので何とかしてほしい。。







2008/12/05 5:03:02|きのこ
モロッコ産マツタケ
モロッコ産マツタケをアメ横で買いました。値段は韓国産マツタケよりも安く、5本で1500円(左下)でした。とても新鮮で上等なマツタケでした。焼いて食べても香りよし。業者も一流の料亭が買いにくると言う。
 土瓶蒸しをつくる予定でしたが、土瓶がないので写真のようなマツタケのスープになってしまいました。コンブと鰹節の出汁でマツタケ、シイタケ、ギンナン、海老、水菜で塩味に仕上げました。モロッコ産マツタケでも香りはしていました。次回は本物の土瓶蒸しを食べてみたい。