くさびら紀行

日ごろの興味をもったキノコ・植物・歴史町並み等を書きとめます。
 
2008/12/19 4:17:50|植物
イイギリ(飯桐)で別名「ナンテンキリ」
 世田谷の松蔭神社に行った時、赤い大きな房の実が目立ちました。友人がイイギリという。イイギリ(飯桐)は「飯(いい)」でご飯のことです。昔、この大きな葉でご飯を包んだことからついた名前だと言います。キリとつくのは、木皮や材がキリ(桐ーゴマノハグサ科)に似ているから、葉は三角卵心形で互生です。赤い実が目をひく木で一属一種(イイギリ科イイギリ属)です。ナンテン(南天)のような赤い実があるので別名「ナンテンキリ」と言う。
 山や山間地に生育していますが、植栽されたものと思います。
 







2008/12/18 3:55:12|町並み
世田谷線沿線編「ボロ市」で買ったもの
小田原の北条を含めると461年前からはじめたとも言われてます。このボロ市で購入したものはキノコの絵が描いてある「絵皿」です。ヨーロッパで産ものは多いのですが、国産のものは非常に少ないと考えてます。写真のように絵皿の裏を見ると電話は十番と書いてあるので儲けものの買い物かも。
 左下の写真のように「香をたく」ものを交渉して半値で買いました。、早速使用してみました。お気に入りの香をたいて、その香りでリラックスするのは良い方法です。昨日のように雨の日は、甘い香りのジャスミン等で気分をリフレッシュしてくれます。
 左下の写真は昭和女子大で行なう東京公演の宣伝マン(2月2日の中国古典舞踊)です。人の集まる所には、いろいろな宣伝の仕方もあります








2008/12/17 3:37:48|町並み
世田谷線沿線「ボロ市」都指定無形民俗文化財
 世田谷のボロ市(楽市も含めると)は400年以上にわたる歴史のある伝統のです。ボロ市の起源は、寛永十年(1633年)、彦根藩伊井家の所領となった時に始まった。大場盛長が領民が正月を越せるようにと物々交換の市を立て、不用の物を売って年越し資金を捻出すると言う目的で開かれたとも言う。当時はそこに並べられた物は、古布・古下駄・古道具などであったが、明治中期からは農民向きの市に変わり、その後、植木市(左下)となり、今は日用品市(右下)になっています。今年も12月15日・16日で約40万人でにぎわったという。元の代官屋敷にかけての道路とその横丁などにおいてボロ市が並びました。来年の1月15日・16日にも開かれます。







2008/12/16 3:02:21|町並み
世田谷線沿線編「松陰神社」
松陰神社は安政6(1859)年、安政大獄によって処刑され、30年と言う短い生涯を閉じた吉田松陰を祀っています。墓域には、松陰の他、頼三樹三郎ら尊皇攘夷の志士も眠っています。また、社殿右手には上の段の写真のように松下村塾を模した家屋も有ります。
 松陰の50年祭に際して寄進された燈籠があります。写真の石灯篭には伊藤博文、木戸孝正、山縣有朋らなどの名前が刻まれています。
 *頼三樹三郎は尊王攘夷推進と徳川慶喜(一橋慶喜)擁立を求めて朝廷に働きかけたため、大老の井伊直弼から危険人物の一人と見なされて安政の大獄で捕らえられて処刑された。
 近年は松陰の英才(学問の神様)にあやかろうと、多数の受験生なども参拝に訪れいます。







2008/12/15 8:44:29|町並み
世田谷線沿線編「世田谷代官屋敷」

 世田谷のボロ市は、今日と明日、世田谷駅と上町駅の間で開催されてます。その傍にある世田谷代官屋敷は近江彦根藩世田谷領の代官であった大場氏の屋敷です。この地の名主であり世襲で代官職を務めた大場家宅を役所とした邸宅兼用。
 現存する建物は代官所としての特徴も見られますが、武家屋敷というよりも写真のように豪農の邸宅としての形態をよく伝えています。表門も武家屋敷の長屋門形式ではなく、民家の門に近い簡素な形です。
 現存している貴重な建物なので、大場家主屋及び表門として国の重要文化財に指定されています。都指定史跡にもなってます。
 下から二番目の写真は主屋の脇に御白州の石組みが残されています。大場家が代官屋敷の証です。
 一番下の写真は代官屋敷格子とその碑です。
明日は、ボロ市に行きます。