くさびら紀行

日ごろの興味をもったキノコ・植物・歴史町並み等を書きとめます。
 
2009/01/23 4:57:17|きのこ
シャグマアミガサタケ

友人のお嬢さんが北欧から購入してきたシャグマアミガサタケの缶詰。このキノコはノボリリュウ科の猛毒キノコですが、ヨーロッパでは食用にもします、だから販売もしています。この毒は熱で分解できるという。私も試食したことはありません。本人も食べずに保管しているそうです。頭部と柄との2部に分かれるが、全体に中空です。頭部はこぶし大に膨らみ、表面は脳みそ状のしわを帯びて茶褐色ないし栗褐色。柄は下膨れの円柱状で白色。春になると針葉樹林内の地上に点々と発生する(上の図)。日本では少ない毒キノコです。
 子規好き男氏の「毒キノコを食べれて下痢をするれば、寄生虫も死ぬのかな?」
寄生虫は腸壁等の中に食い込んでいますので、下痢しても死なないそうです







2009/01/21 6:14:15|町並み
草加の「源兵衛せんべい」見学
 草加といえば「草加せんべい」なので「源兵衛せんべい」を見学してきました。
 草加せんべいの起源は非常に古く、数百年前にさかのぼると伝えられています。江戸時代に「おせん」という老婆が、あまっただんごを焼いたことにはじまるとされています。草加は穀倉地帯で良質な米(中質米)と天然の良水に恵まれていますので日本で有数なせんべい生産地になりました。
 左の写真は焼きの過程でホイロで生地を暖めた後、焼き網にせんべいを載せ、箸で機敏に反転させます。焼き始めると気泡ができますので押瓦で平らに押します。仕上げは焼きあがったせんべいに醤油を一枚一枚刷毛で塗ります(真ん中の写真)。風味を出すために熱いうちな塗るのがコツとのこと。醤油の香ばしい香りに吸い込まれました。







2009/01/20 6:00:51|町並み
今様の草加宿「千本松原」
 今様の草加宿を歩いて来ました。
 草加市は埼玉県東南部に位置する都市で、江戸時代には千住の宿に次ぐ日光街道第二の宿駅・草加宿として繁栄した。さらには灌漑用水の開削や新田開発などを行って江戸幕府の台所を支える穀倉地帯となり、幕府の直轄領として発展した。
 左の写真は旧日光街道沿いに600本の松が植えられています。これを江戸時代から「千本松原」という。綾瀬川沿いに石ただみの遊歩道があります。
 右の写真は草加松原の遊歩道にある太鼓型の橋です。正岡子規は明治27年3月下旬に高浜虚子を伴って、梅をみるために千住、草加を歩いてます。







2009/01/19 6:49:52|町並み
草加編、国登録有形文化財「草加市立歴史民俗史料館(旧草加小学校西校舎」
 草加市立歴史民俗史料館(旧草加小学校西校舎)は、埼玉県における初の鉄筋コンクリート造の校舎です。大正15年(1926)3月1日に起工、同年9月15日に完成しました。道路の西面に建つ2階建の片廊下型(かたろうかがた)校舎です。屋上には運動場が設けられていました。外壁はモルタル仕上げですが、当時としては時代を先取りした耐震・耐火建築。
 国登録有形文化財は、指定文化財以外のもので建築後50年を経過し建造物を対象に規制をゆるやかにして文化財を守ること。この建物はその基準が「造形の規範となっているもの」で選ばれました。
 昭和57年に改修が行われ、同58年草加市立歴史民俗資料館として開館しています。
写真は縄文前期として貴重な丸木船(右)と北海道産の寄贈された巨大なアンモナイト。この丸木船は保存するためにポリエチレングリコール処理してあります。
 草加は「今様草加宿」垂れ幕が目立ちました。







2009/01/18 7:43:57|川越
川越の時の鐘「鐘つき堂」
江戸初期に創建され、時を刻んできた時の鐘です(右)。
現在の鐘楼は、明治26年(1893年)の大火翌年に再建されたものです。 鐘の下で団子屋(左と真中)「田中屋」を営む田中氏は「昔は、人が登って鐘をついていて、『鐘つき堂』って呼ばれていた」と言う。今は機械が自動で鐘を打つが、戦前は鐘つき番がいて、時報のほか、火事の発生も鐘で知らせていた。田中さんの曽祖父源五郎さも明治から大正にかけて鐘つき番をしていた。仏壇にしまってある源五郎さんの懐中時計を見せてもらいました。100年以上たった今でもねじを巻けばコツコツ時を刻む。田中さんは「曽祖父はこの時計を見ながら、正確に鐘をついていたんでしょうね」と目を細めた。
 大みそかの除夜の鐘も衝かせてます(並んで順番をとります)。
孫はこの団子を香ばしくおいしかったと言ってました。一本60円。