くさびら紀行

日ごろの興味をもったキノコ・植物・歴史町並み等を書きとめます。
 
2009/02/21 7:35:17|町並み
埼玉県唯一「岩槻藩遷喬館」県指定史跡
 岩槻藩遷喬館は、児玉南柯(こだまなんか)家塾として遷喬館を開き、文化2年ころに岩槻藩の藩校になりました。その名は詩経の「出自幽谷遷干喬木」に由来するそうです。意味としては鳥が明るいところを求めて暗い谷から高い木にとびうつることです。
 埼玉県内において保存されている藩校はこの遷喬館が唯一のものです
 岩槻小学校は、創立136年の歴史を持ち、「岩槻に過ぎたるものが二つある、児玉南柯と時の鐘」と言われる、岩槻藩校・遷喬館の創設者児玉南柯先生の「遷喬」の教えを大事にし、新しいものを創造しているそうです。
 







2009/02/20 6:22:06|町並み
岩槻城址公園の朱塗りの八ツ橋
 岩槻城址公園の南端の新曲輪・鍛冶曲輪は県史跡に指定されています。小田原北条氏によって作られた土塁・空堀などの城郭の遺構が残されてます。
 写真の場所は、約600本の桜が咲く県内有数の桜の名所です。園内の菖蒲池には朱塗りの八ツ橋(左)がかけられております。春の季節には、岩槻城址公園桜まつり、岩槻流しびなが行なわれる場所です。
 曲輪(くるわ)とは一定の地域を限って、その周囲と区別するために設けた囲い、つまり城や砦(とりで)の周りに築いた土塁や石垣(右の写真)などをいうそうです。







2009/02/19 2:15:48|町並み
歴史と人形の町「岩槻」編
昨日、いきがい東松山の史跡クラブで歴史と人形の町岩槻に行ってきました。岩槻城は、埼玉三大城のひとつです。太田道灌の銅像(右)もありましたが、最近の研究によると太田道灌が築城をしたのではないそうです。
 江戸初期に、日光東照宮に携わった工匠の一部が御成り街道の岩槻にとどまり、人形作りを手がけたのがはじまりと言われてます。中央の写真は有職雛(ゆうそくびな)。公家社会で飾られたお雛様で装束は有職の作法に従って、再現されています。
 ちょうどNHKのテレビが取材にきていましたので放映されるかもしれない。何時間も取材してその一部が放映されるので無理かな。子どもたちを中心に取材していたので、そちらの放映でしょう。場所は「人形歴史館(東久)」
 







2009/02/18 7:41:41|町並み
自治会の防災訓練
 わが町の自主防災組織の主催による自治会の防災訓練が行われました。この防災訓練では、初期消火、避難誘導、炊き出しなどの訓練でした。初期消火は訓練用のマットを使用したので火はすぐにきえました(左の写真)。家で濡れたタオルでも消えると言われたが自信がない。右の写真は、市がストックしていた炊き出しご飯。食べてみましたが食が進みませんでした。訓練に参加することにより、災害が発生したときの行動力を身につけることができます。かなりの人が参加しました。







2009/02/17 7:54:43|植物
キクイモの肉巻
 伊香保温泉(左の写真)で買ったキクイモを料理しました。キクイモはキク科で多年草。秋には枝先に8cm程度の黄色い花をつけます。
 イモはショウガに似た形のイモ(真ん中の写真)ができます。このイモは煮たり漬物にしたりと幅広く料理に使えます。右の写真は肉巻で、くせがないので使えやすかった。
 かつて、第二次大戦後の食糧難の頃は野生化した帰化植物のこのイモを食べました。今は、タンパク質、ビタミン、などを含むので理想的な低カロリー食品として利用されてます。糖尿病の人には特にいいと言われてます。