くさびら紀行

日ごろの興味をもったキノコ・植物・歴史町並み等を書きとめます。
 
2010/07/20 21:45:28|川越
川越市指定「松本家住宅」白漆喰
松本家住宅は文化・文政の頃に豪商として鳴らした横田五郎兵衛の蔵屋敷。
明治22年に松本家初代新次郎が横田家の分家であった横田醤油店を買い取った。店蔵、文庫蔵、みそ蔵、仕込み蔵等が立ち並び、そのほとんどが江戸時代末期の建築。店蔵の外壁は、川越でも数少ない白漆喰仕上げの建物。
窓形式も川越大火後、町内に多様された観音開扉でなく、内側に片引の土戸をいれ、開け閉めする簡便な形式なので、川越でも古い型の店蔵です。右上は醤油製造の仕込み桶。







2010/07/19 6:53:22|その他
昨日のスカイツリーの高さは398m、あと226m高くなると世界一
福祉号のバスで、昨日の7/18「東京タワー・東京スカイツリー見学」に参加しました。学級生22名、ボラさんと公民館20名で合計42名でした。担当で同行したのですが、慣れてないので結構気をつかいました。
帰ってきたらこの暑さで腕がひりひりしています。
このコースは川越からバスで行き、水上バス(日の出桟橋ー業平橋)と電車(浅草駅ー業平橋駅)も使いました。
連休のため東京タワー等に人が多いのには驚きました。水上バスと浅草からも東京スカイツリーが見えました。昨日のスカイツリーの高さは398mで、あと226m高くなると世界一の高さ。
明日は休み









2010/07/18 4:45:04|町並み
伝承遊び(竹馬、竹の水鉄砲、竹トンボ、ポックリ)
小江戸塾の仲間と一緒に、公民館との協働事業の「伝承遊び(竹馬、竹の水鉄砲、竹トンボ、ポックリ)」をしてきました。昔遊びを通して、その面白さを知り、そして、屋外で遊ぶことの楽しさを感じ取って貰うのを目的とします。子供たちにとって竹馬が一番難しい。一対一で教えるので支援者も汗をかきながら支援します。竹馬については認定書をだします(左下)。子供から元気をもらいます。







2010/07/16 21:31:04|川越
十万石格式「龍穏寺」に道灌・父道真の墓
龍穏寺は道灌とその父道真が再興した曹洞宗の寺で、大寺院に発展しました。慶長17年(1611)、江戸幕府による「曹洞宗法度」の制定で、禅僧司として関三刹(かんさつさつ)を定めました。そしてこの僧録の務める関東の三つの寺は関三箇寺、或いは関三刹とも呼ばれ、幕府の命により全国約15000の曹洞宗寺院を統括していたのです。
関三刹(関三箇寺)とは下総総寧寺、下野大中寺、この龍穏寺。
道灌は伊勢原市にて文明18年(1486)に暗殺されて、晩年の父道真によって当寺に分骨せられ、風化した五輪の塔となりました。
道灌・父道真の墓(右上)、江戸城の石垣(左下)、道灌像(上中央)がこの龍穏寺にあります。左上の龍穏寺山門(町文化財)。







2010/07/16 2:17:02|川越
県指定「太田道真(道灌の父)の退隠地(越生町小杉)」
引退後の太田道真の居館自得軒跡は、越生町小杉の健康寺付近(左上)と推定されています。この建康寺は道真が息子道灌の供養のために建立したと伝えられている寺院。また、ここには道灌の名のつけられている木橋の道灌橋(右上)があります。この寺付近には陣屋とか馬場の字(あざ)名が残ってます。
彼は、文明2年に(1470)、河越城に当代一流の連歌師である宗祇と心敬らを招いて連歌会「河越千句」を開催しました。心敬が詠んだ百韻の第一の発句は「梅園に草木をなせるにほひ哉」、道真第十の発句は「梅さきぬなほ山里を思う哉」。共に梅を詠んでいた(おごせの文化財より)。