くさびら紀行

日ごろの興味をもったキノコ・植物・歴史町並み等を書きとめます。
 
2009/05/15 8:14:55|川越
新河岸川舟運(川越)
 前日の続き。下新河岸にあった伊勢安(斎藤家)は材木(西川材)、ぬか、灰などの肥料を専門的に扱っていた(中央)。明治3年の建物が残っています。新河岸川に就航した船は高瀬舟が多く、川底が浅いところも舟底を低く平らにして、運航を容易にする工夫もしていた。
 隆盛を誇った新河岸川舟運も大正3年の東上線の開通(右の写真)によって、客・荷を奪われて急速に衰退した。さらに、たびたび洪水氾濫に見舞われたので、河川工事が行われて新河岸川の蛇行をなくして、直線的にしたため、水量を保つことが不可能になりました。昭和5年に埼玉県は運航禁止の通達を出し、終止符になりました。







2009/05/14 1:15:22|町並み
回漕問屋福田屋と旧新河岸川
前回の続き。今回は仙波河岸(明治初年に開設)から川越五河岸(扇河岸、上・下新河岸、牛子河岸、寺尾河岸)と福岡河岸を松尾先生(東京国際大客員教授)の案内で旧新河岸川を歩きました。左の写真は不老川と新河岸川の合流点。中央の写真付近は平らな所なので、風のないところは上り船が止まってしまうので、太い綱で船を上流に引っ張る「のっつけ」という人足がいたという。福岡河岸福田屋は天宝3年(1832)に船問屋を始めました。現在もふじみ野市立福岡河岸記念館(右の三階建て)として残ってます。江戸から明治かけて栄えた回漕問屋福田屋は必見。 
                                           







2009/05/13 8:22:51|その他
舟運の新河岸川(川越)
「川越もっと知り隊」の五月の例会に参加して新河岸川を歩いてきました。新河岸川は、かつて伊佐沼を水源としていた。総延長は約50kmで都内に入ると荒川と合流して川幅が急に広くなります。新河岸川は川幅が狭く、水量が少ないため、「九十九曲り」と言われるくらい蛇行を続けて水量を保っていました(真ん中)。それによって舟運がなりたってました。右の写真は旧寺尾河岸付近<。







2009/05/12 2:37:48|植物
マロニエとユリノキ(狭山市智光山)
昨日、狭山市智光山に行ってきました。マロニエとユリノキが開花していました。
 マロニエ(セイヨウトチノキ)はギリシャが原産でパリの街路樹で有名です。この植物園の花を見ると花が鮮明なベニバナトキノキ(セイヨウトチノキとアカバナアメリカトチノキの交配種)に近いと思われます。
 ユリノキは葉が半纏に似ているので、別名ハンテンボクとも言う。またチューリップに似た花が咲くのでチューリップツリーとも言う。葉が軍配に似ているのでグンバイノキとう地方もあります。北アメリカ原産でミツバチの蜜源樹。真ん中と右の写真はユリノキ
。 







2009/05/11 6:21:22|きのこ
川越で見つけたカンゾウタケ(肝臓茸)
 傘の形が肝臓の形に似ているのと左の写真のように赤紅色―暗赤褐色で表面に顆粒をおびるのでカンゾウタケ(肝臓茸)と言います。地方名は「肝臓茸」・「牛の舌茸」。英名はBeefsteak Fungusと言われています。関東ではG.W.頃を中心に、公園や神社のスダジイの木にわりと普通に見られるようです。やはり川越にもありました。
 図鑑によると英国ではナラの大木の根際に発生し、心材の褐色腐れを起すと書いてありました。右の写真はスダジイの葉とカンゾウタケ。