くさびら紀行

日ごろの興味をもったキノコ・植物・歴史町並み等を書きとめます。
 
2009/09/04 2:36:25|町並み
望月宿
 次に望月宿にいきました。そこは、中山道69次のうち江戸から数えて25番目の宿場。蓼科山の裾野にあって古くから馬の名産地として知られ、毎年旧暦8月15日の満月の日に馬を朝廷や幕府に献上していたことから「望月」の名が付いたとも言う。左の写真のように、望月宿の建物の特徴はこの出桁造り。*出桁造りとは、桁を表に通し軒を支える横梁を渡したもので、商家建築に多く見られます。
 中山道は50人・50匹の人馬を常備していました(だたし信濃の宿場は25人・25匹の人馬)。税は免除でしたが、幕府の公用荷物の輸送は「無賃」なので、宿場は疲弊せざるをえませんでし/span>。







2009/09/03 3:48:54|町並み
続き。塩名田宿(三階建て住居群)
塩名田宿の「河原宿」には所どころに情緒豊かな三階建ての住居があります。昭和6年に中津橋が従来の木造橋から鋼ブラットトランス橋(左)に架け替えになりました。そのため、国道付近では従来の既存の二階建てに、建て増して三階建て(真中)、四階建て(右)の家になりました。国道に出るのに対応して便利にしました。今なら地震のため建築許可がおりないだろうと思いました







2009/09/02 3:44:44|町並み
続き。塩名田宿
 左の高札場は今も公用展示場として利用されています。江戸時代は宿の街道の真中にあり、西から東に流れていた用水路をまたいて高札場が設けられていました。そこには宿継の人馬賃銭や毒薬偽薬等が書いてあったという。
 瀧大明神社のケヤキの大木の根元に、大量の湧水(真中)があり、道中の旅人の喉を潤していた。真中の写真の左の十九夜塔は4月12日頃女性が集まって(講)・十九夜念仏を唱和して出産の無事を祈願していた。ここには有形文化財の「船つなぎ石(右)」があるように、千曲川を無事渡らせることが塩名田宿の重用な任務でした。このため、小諸藩はこの村に対して税金を免除していました。この石は土砂で埋まっていたので実際はかなり大きい。







2009/09/01 5:42:25|町並み
中山道「塩名田宿」
昨年に続き、一昨日中山道「塩名田宿」にいきました。塩名田宿は、中山道69次のうち江戸から数えて23番目の宿場。千曲川の東岸にあり本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠10軒ほどの小さな宿場でした。そこは中宿・下宿・河原宿の三つに分かれていました。普段は宿泊客が少なかったが、千曲川が増水し川留めで滞在が延長されるため、本陣(真中)が二軒設置されていたという。次の八幡宿との距離は千曲川があるため中山道では最短でした。日常生活しながら保存されている宿場町で気に入りました







2009/08/30 2:17:34|植物
先祖帰りした「タカサゴユリ(高砂百合)」
 タカサゴユリは台湾の高地民族、高砂民族の名をとって名前をつけたという。大正時代にタカサゴユリ(左と真中)と日本のテッポウユリを交配して園芸種が作られました。この時の交配種が先祖帰りしたものが本種と考えられています。種子で簡単に増えることから、空き地や道路の法面(のりめん)に開花しています。交配種はときどき片方の強いほうに戻るこどかあります。
 花びらに赤いすじ(真中)があるのが特徴です。花筒は細くスマート(左)です。花は美しいが3日ほどで散ってしまう。今、近所で開花しています。右の写真はヤマユリでした。
あすは休み