くさびら紀行

日ごろの興味をもったキノコ・植物・歴史町並み等を書きとめます。
 
2009/10/29 8:11:22|植物
餅作り
今朝は「もちもち」という機械で餅をつくりました。最初は毎年義母が餅を送ってくれました。その後、餅を作れなくなったので、今から20年前に義母が機械をプレゼントしてくれました。数年はもち米だけ届いてましたが、最近は買っています。それから自宅で餅を毎年作って、餅を子供たちに送ります。今頃から春まで数回楽しみます。







2009/10/28 2:23:06|川越
前日の続き。お茶編(U)
学芸委員に、どうして「河越茶」でなく「狭山茶」なのと質問した。戦国時代、有力寺院の無量寿寺が兵火、慈光寺焼き打ちにあい衰退してしまった。当時、抹茶の生産や需要は寺院や武家にかぎられていたため、茶園を経営する有力寺院や武士が衰退すると「河越茶」や「慈光寺茶」の抹茶生産地も荒廃してしまったと考えられますという。また、狭山丘陵(写真の右上)に江戸時代(文化・文政)頃に茶が植えられたからという。これは吉川温恭(入間市)等が当時最新の製茶法であった宇治の蒸し製煎茶の製法を習得し、この茶を商品として大消費地江戸へと出荷するようになった。左上と中央は国宝。/span>







2009/10/27 4:27:45|その他
お茶の博物館「入間市博物館」
入間市博物館(お茶の博物館)に行ってきました。立派な施設と丁寧に対応してくれる職員でした。かなり財政的な豊かな市と感じました。特別展は「狭山茶の歴史と現代」。室町時代、武蔵の国の茶産地は、無量寿寺(川越市=現在の中院・喜多院)や慈光寺(ときがわ町)などでした。中世に隆盛を極めた寺院があり、これらの有力寺院が喫茶や製茶の文化をこの地域に導入したと考えられます。その後、河越一族等の武士たちにも喫茶や製茶の文化が流行したという(庶民は江戸時代の文化。文政頃)。この時代の茶は団茶(左下、この茶はチベットもの)。チベットでは茶の葉を固めたものからお茶をつくります。これを団茶という。製茶の過程で茶の葉を型にいれて圧縮し乾燥させます。お茶を飲むときは、団茶を削ったり手で揉みほぐしてから鍋で煮ます。
明日に続く
 







2009/10/26 3:30:13|きのこ
食欲の秋「ハタケシメジとシイタケ」
 近所の公園に発生していたハタケシメジ。このキノコは春と秋に発生します。春に発生する量が多いと秋は少ない。発生る理由は切り倒された雑木が、環境問題で燃せないので地下に埋められているから。どんな料理にも合うがしゃきしゃきした歯ざわりがよかった(右上)。
 >網焼きがお勧めですということで焼いてみました(左下)。料理用の日本酒で傘の表面を拭いてからシイタケを焼きました。風味が増します。ユズ添えて。
 







2009/10/24 4:17:52|きのこ
肉厚のシイタケ原木栽培
2年前、シイタケ菌をコナラに打ち込み、めいめいが自宅で管理しました。その結果の写真はS氏と子規好き男氏が撮影しました。
 子規好き男より、昨日、妻が実家でシイタケを初収穫いたしました。日曜日に私も一緒にいって、観察した際小さなかわいいシイタケだった。
妻が家に4つ持ち帰ったシイタケを見てびっくり!!本当に巨大。大きさを測ったところ、直径14cm以上、笠の高さも4cm以上でまさにオバケのようなシイタケでした。「これはステーキにしよう。」ということで、油を少しだけたらしたフライパンで焼き、塩を少し振って食べました。格安の中国産と違い、歯ごたえもあり、おいしかったです。S氏より、朝起きるのが楽しみ。明日は休み。