くさびら紀行

日ごろの興味をもったキノコ・植物・歴史町並み等を書きとめます。
 
2009/11/30 21:47:15|川越
河越館跡資料室(上戸小学校)の展示品
河越館跡から発掘調査で発見された出土品が資料室(上戸小学校)に展示されています。左上は霞ケ関遺跡(館近く)からは、「入厨(いりくりや)」 と墨書された須恵器が出土しました。これはこの辺が古代の入間郡役所が存在していたことを示しています。
上真中(銅鐘)と右(銘文)は鎌倉の大仏を手掛けた丹治久友の作であり、河越経重が新日吉山王社(京都)に寄進した銅鐘(レブリカ)も展示しています。これは現在、市内養寿院にあり、重要文化財の指定になってます。左下はイメージキャラクター。








2009/11/29 22:12:27|その他
河越重頼の娘の「京姫哀歌」
今日、名細市民センターの竣工(左上)の祝いがあり、アトラクションをみてきました。おりしも「京姫哀歌(踊りと歌)」を地元の上戸芸能保存会で舞ってました(上真中と右)。京姫とは前日の重頼の娘が源義経の正妻になり京都に行ったので地元川越ではそう呼びます。哀歌とは義経が奥州藤原で最後遂げた。京姫22才、娘4才もこの世をさりました。その後、時は過ぎ、地元の有志により、京塚を立て上戸に祭ったそうです。現在は宅地造成のためありませんが、この様子を京姫哀歌と名つけ作品にしたそうです。
左下は常楽寺(河越館跡の隣)にある新しい河越重頼と娘の墓。







2009/11/28 20:39:16|町並み
河越氏一族の館跡(重頼の娘は義経の正妻)国史跡
国史跡「河越館跡史跡公園」が11/15にオープンしました。当日の15日はかなりの人がいましたが、22(日)は見学者が少なかった。上戸小学校の教室に発掘調査で発見された出土品が展示されています(日曜日10:00-15:00のみ開室で説明者もいます)。掘り立て建物跡(上段右)は柱穴の基礎の部分に根石が入っていたという。また、館の本体は隣の上戸小学校のグランド下にあるそうです。口の悪い人は学校が少子化で廃校になれば....。上段真中の写真は塚状遺構で屋敷内の霊廟あるいは納骨堂。左下の写真は屋敷内の井戸跡の再現。







2009/11/27 21:08:07|その他
ゆず娘」写真撮影会
第10回鎌北湖紅葉祭り「ゆず娘」写真撮影会に参加してきました。湖面に映し出された幻想的な秋の風景の中でゆず娘3名を美しく表現してくださいと書いてありました。写真家たちは「顔を頂戴」「頭を下げて」「恥ずかしいそうな色をだして」と自分かってなことを言って撮っていました。係りの担当者に聞くと、ゆず娘たちは地元または職場がここにある人という。地元のコンクールで選ばれたそうです







2009/11/26 19:50:47|きのこ
ミドリシメジ(緑占地)
 ミネシメジ(傘の色が黄色系が標準タイプ)中で暗緑色を帯びたものをミドリシメジタイプという。人によってはこれをミドリシメジ(上段左と真中)と呼ぶ。ある本には石鹸のような青臭さがあり、個体によっては苦み強く、一度食べると癖になると書いてありました。それで湯でこぼしてからオリーブ油で料理をして食べてみましたが、それでも苦いので食べるのをやめました。
 周りには樹木がなく、このツガ(右上、左下)しかないので、この木の根とキノコ菌糸がつながっている菌根菌と断定しました。このキノコを観察したのは11/23日でした。まだキノコあります。