くさびら紀行

日ごろの興味をもったキノコ・植物・歴史町並み等を書きとめます。
 
2010/08/16 6:24:27|川越
川越蔵の街の「用心土」
左上と真中は川越の山車倉(倉庫)の上にある甕の中に「用心土」があります。また、右上は山崎美術館内にある「用心土」。
これは水田の土の「荒木田」のように見えました。川越の蔵の街を歩くと2階部分にある観音開扉(左下)が見えます。 扉の縁を見ると段々になっています。 観音開扉を閉めたときにぴったりするため。それでも扉と扉、観音開扉と枠の間には隙間が残ります。火事の時には、この隙間を泥(用心土)で塗りこめるのです。それを目塗りといいます。
蔵の家の前に、この用心土を入れて置く穴がありました。鉄板で蓋をしてあります。
 明治26年に起きた川越の大火で焼けずに残っている国重要文化財の大沢家は、泥が足りずに味噌で目塗りをして焼失を免れたという話が有名です。







2010/08/15 2:57:55|川越
三芳野名勝図会にも記載されている「虫食い奴」
虫食い奴の墓が川越法善寺にあります。真言大谷派の法善寺の山門をくぐるとすぐ右側に、酒樽らしきものに腰をかけ、武士の姿をした石の像がたってます。これを地元(川越)では「虫食い奴の墓」呼んでます。この奴は川越城主松平伊豆守信綱の家来石川作右衛門の槍持ち。仕事はまじめでよく仕えていた。大の酒好きで一日とかかしたことがなく、酒の肴に虫、鳥、猫、鼠、蛇等なんでも食べたという。人間でなく怪物だ、と陰口を言われていた。当時城下の名物男だったという。
板倉良矩著「川越素麺」と中島孝昌著「三芳野名勝図会」にも記載されているのには驚きました。







2010/08/13 2:33:22|その他
チチタケとヒロハチチタケ
写真の右側がチチタケで、左側がヒロハチチタケ。共に、ベニタケ科のラクタリウス属ですが、どちらも傷つくと乳液がでます。発生場所はどちらも広葉樹内および針葉樹内と書いてある図鑑もありますが、埼玉の広葉樹内ではチチタケが多し、長野県の針葉樹内はヒロハチチタケが多いと感じおります。ヒロハチチタケはヒダが厚く幅広く疎が特徴です。
栃木ではチチタケがチタケと呼ばれて異常な人気を集めています。明日は休み







2010/08/12 4:36:24|その他
蔦木宿「日蓮上人の高座石」
日蓮上人の高座石がこの宿にあります。鎌倉時代の文永11年(1274)3月、上人は流罪を赦されて、鎌倉に帰ったが、甲斐の国、豪族波木井氏の庇護を受けて身延に草庵を結ぶことになった。その準備の合間に上人は甲斐の村々を歩き、教えを説いて回った。この布教の道すがら蔦木宿により巡錫しました。伝承によると、当時蔦木郷は悪病が流行し悩んでいました。上人は三日三晩、高さ2m周囲10mの岩の上で説法し、加持祈祷を行って霊験を示したという。この石が高座石碑です(右上)。







2010/08/11 8:04:33|その他
旧甲州街道「蔦木宿」
蔦木宿は、長野県(信濃)に入って最初の宿場です。江戸時代になって宿駅制度が整備された後、正確には「甲州道中」と呼ばれたらしい。
河原であったこの場所に住民を移住させ、計画的に作られた宿場。この街道は一直線で約500M、道路脇には柿の木、梅の木が植えられ旅人の心を癒したという。ただ、河原であったため度重なる水害で苦労したそうです。
整備されてなく、静かな宿場の景観を楽しめます。