くさびら紀行
日ごろの興味をもったキノコ・植物・歴史町並み等を書きとめます。
プロフィール
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kinoko-masaru
■自己紹介
江戸の母「川越」すまい。
定年退職後のきままな生活。
第二の生活はキノコと町並みウオッチング。
■趣味
キノコ・植物観察。
平家蛍飼育とシイタケ栽培
歴史の町並みウオッチング。
■アクセス数
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2010/04/07 7:12:15|
町並み
続き。山車の回転「日立風流物」
続き。これは、国指定重要有形・無形民族文化財です。豪商や豪農がいなくても、観てくれる人の喜びを糧に氏子たちが創意工夫したものです。
山車の大型化に伴い、山車の裏側利用価値がたかまる。さらに人形を載せる余地がある。しかし、大観客を裏側に移動させるわけにはいかない。この矛盾は山車を上下2層化し、上部のみを観客に向けて回転させることで解決した(日立市教育委員会)。この写真は花咲か爺さんの舞台です。岩山から木がでて花が咲き、人形が出て踊ります。回転は下土台の中央に突起する金属の輪を中心に、20人以上の人間が力を合わせて行っていました。
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2010/04/06 4:41:04|
その他
ユネスコ無形文化財「日立風流物」
4/4日(日)朝の7時のNHKニュースで「日立風流物」が放映されました。青春18切符を使い、大宮駅→小山駅→水戸駅→日立で「日立風流物」を見てきました。それは写真を順を追って見ればわかるように、子供たちも楽しんでいたカラクリでした。徳川光圀の命により、神峰神社が3つの村の鎮守なった時、氏子たちが造った山車を祭礼に繰り出したのがはじまり。この山車に人形芝居を組み合わせたのは、享保年間頃と伝えられてます。感動したのは、「開き」と呼ばれる舞台の折りたたみで観客も"おお"と声をだしていました。五月の連休にもするそうです。
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2010/04/05 6:18:51|
植物
ギョウジャニンニク(行者忍辱)とカンアオイ
このギョウジャニンニク(行者忍辱)は3年前の東北旅行で購入したものを植えました。生のまま食べられるものが少ない山菜中では貴重なものです。強い香りに慣れると魅力になります。右上の写真はそのまま刻み、カツオブシと醤油でまぶしたものを熱いご飯にのせて食べました。春の香りでご飯が進みました。つむ時は二枚の葉の一枚を残します(地元の声)。ユリ科。多年草で今は蕾みで間もなく(上真中)散形花序の白い花をつけます。
青梅で撮ったカンアオイ。カンアオイ属の花(萼片)は、地表すれすれで、大抵は葉の陰に見えないように花をつけます。
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2010/04/04 5:22:45|
川越
小江戸川越春の舟運
昨日、「小江戸川越春の舟運」で舟に乗って写真を撮ってきました。乗った時間は、乗り降りを含めて10分くらい。先輩が言うには船頭の横向きの姿、または後ろ姿がいい。着物姿で新河岸川桜祭り参加した写真は、人が中心でなく、舟をメーンにして撮るべきとのこと。新河岸川舟運の始まりは、1638(寛永15)年、川越東照宮が焼失し、再建資材を江戸から運んだことによります。本格的に舟運開始されたのは、松平伊豆守信綱が川越藩主になってからだそうです。5/4の今日も乗れます。
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2010/04/03 8:24:44|
川越
川越市指定「福田家住宅」
創建時は銀行として使われていたが、福田家が洋服仕立業を営むために建物を取得しました。明治35年の「埼玉県営業便覧」によるとここは川越貯金銀行となっています。この銀行は明治31年から大正11年までの23年存続していたという。建物は寄棟造り、妻入りの形式をとって、二階には観音開扉の窓が一つです。明治期の地方都市での銀行建築様子を示す貴重なもの。
左下の「時の鐘」を見上げて進めば右手にあります。
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