くさびら紀行

日ごろの興味をもったキノコ・植物・歴史町並み等を書きとめます。
 
2010/05/04 6:40:46|川越
多聞院(柳沢吉保により祈願寺)の寅まつり
所沢の多聞院は川越藩主の柳沢吉保により祈願寺として建立されました。また、毘沙門堂のご本尊は、武田信玄の守り本尊である毘沙門天様です。その化身の「寅(右上)」にちなんで、5/1日、この寅まつりは毘沙門堂で行われました。これは、毘沙門天様の化身である寅に災いを託して納めるものです。毘沙門堂は市の文化財に指定されています。また、この寺はボタンでも有名でかなりの人が写真を撮ってました。







2010/05/03 6:06:11|その他
ヨモギを摘み、草餅
ヨモギを摘み、草餅をつくりましたので、香りを感じました。雑草としては駆除に困るほどありますが、利用価値は十分あります。薬草としても名高く、日干した茎葉を煎じて飲めば腹痛に、風呂に入れば腰痛、冷え性にいいそうです。生の葉をよくもめば止血やかゆみ止めになります。葉をいぶして虫除けにも使えます。ちなみに燃草(もえくさ)又は善燃草(よもぎ)ともいうそうです。これは晩秋の枯れた葉がよく燃えることに由来します。
古来、ヨモギは邪気払いの力があるとされ、3月3日の節句には
このヨモギ餅を供えたという。







2010/05/02 5:44:31|その他
旧赤間川(現入間第二用水)
4/29,新河岸川ぶらり散歩の会に参加し、新狭山市駅から入間川笹井堰(笹井ダム)まで歩いてきました(左上)。笹井堰の所に、旧赤間川(現入間第二用水)の取水口(右上)があります。現在は入間第二用水土地改良区が管理しています(上中央)。この川は入間市→狭山市→川越市と流れて新河岸川(かつての江戸までの舟運)につながります。
以前の赤間川は伊佐沼につながってました。明治の最盛期には川越までの間に22の水車があったという。今までわからなかった新河岸川の取水口がわかりました。







2010/05/01 8:31:33|その他
旧石川組製糸西洋館(国登録文化財)
石川幾太郎は明治27年に石川組製糸工場を設立し、高品質の生糸を生産。これをネクタイ用にしてアメリカに輸出し繁栄しました。西洋館は、視察に来たアメリカ人の接待、宿泊の迎賓館として大正12年に建設されました。外観より内部が優れています。また、釘は一切使用されていないという。
設計は、東京帝国大学(現東京大学)で建築を学んだ室岡惣七が、建築は川越の宮大工関根平蔵が担当。
 建物は、和風工法による西洋風木造建築。2階建ての本館は、外観が化粧煉瓦張で、屋根は半切妻造、洋瓦葺。また、平屋建の別館は、本館と接続しており、外観は本館と同じ化粧煉瓦張だが、屋根は寄棟造です。場所は入間市。







2010/04/30 7:08:40|川越
川越の豪商「横田五郎兵衛(治郎吉)」
家は米穀・酒・醤油商を営み、町年寄りを務める家柄だった。横田五郎兵衛(治郎吉)は関東の長者番付(江戸を除く)にも東の大関として登場するほどの豪商でした(上右)。彼が大阪に赴くと米の相場にも影響をあたえたという。また、彼は町人なのに、川越藩の財政を取り扱う勘定奉行格として藩の御用達を命じられました。
明治11年に県内唯一国立銀行「第八十五国立銀行で現あさひ銀行(左上のドーム)」の発起人になり、第二代の頭取になりました。彼の別邸であった「山屋」は料亭です(上中央と左下)。