くさびら紀行

日ごろの興味をもったキノコ・植物・歴史町並み等を書きとめます。
 
2010/06/21 2:48:44|きのこ
ツエタケ(杖茸)とダイダイガサ(橙々傘)
昨日は埼玉きのこ会の観察会。今年のハナショウブの開花も約十日遅れと言われていましたが、やはりキノコの発生も同様に遅れていました。
ツエタケ(左上)は、深い地下の埋もれ木から発生するキノコで柄が非常に長く根のように伸びます(上中央)。地上の朽木発生するときは柄は地下に伸びない。
ダイダイガサ(上右と左下)は、綿質の柔らかい棘のある橙色〜橙黄色の小形菌です。広葉樹の倒木や落枝に発生します。
このキノコは南方系(熱帯菌)と言われてます。温暖化の影響で、川越でも発生が多くなりました。キノコも菌の一種。明日は休み







2010/06/20 6:37:07|きのこ
名前が鳥由来のガンタケ(雁茸)
動物の名前からきたキノコにガンタケがあります。傘の色が鳥のガン(雁)の羽の色に似ていることから和名が付けられました。
このキノコは傘の上に疣(左下)とツバ(右上)とツボ(上中央)があり、テングタケの仲間です。食べられますが、有毒のテングタケと紛らわしいので食べない方が無難です。
肉は傷つくとゆっく赤褐色に変色し、根もとは球根状に膨らむ(上中央)。今、私の定点観測場所に発生しています。今日、これから埼玉きのこ観察会。







2010/06/18 21:15:10|川越
新河岸川の舟運と舟の種類
舟運が本格したのは、川越城主の松平信綱が正保4年(1647)に新河岸を開設してから。当時、物資を大量に、安く運ぶには舟による方が馬車よりも便利でした。だから舟運が発達しました
船の種類には高瀬舟と艜舟(ひらた舟)の二種類があり、多くは高瀬舟。並舟(荷物用)、早舟、急舟、飛び切り舟の四種類で対応していた。早舟は4-5日で一往復したため、一か月六往復と決められていた。早舟では旅客や急を要する荷物を運んだ。一六(いちろく)、二七(にしち)、三八(さんぱち)、四九(しく)、五十(ごとう)というように交替で、毎日出帆した。例えば一六舟だと6月1日に新河岸出帆すると六日に再び新河岸から荷物を積んで、出帆したという(上中央)。
川越五河岸は扇河岸、上・下新河岸、牛子河岸、寺尾河岸です(左下)。武州・川越舟運「新河岸川の今と昔」斎藤貞夫著より抜粋







2010/06/18 6:01:16|川越
新河岸川の取水口、起点、終点
川には取水口(源流)と起点があります。入間川の笹井堰(左上)の右岸に取水口(上中央)があり、起点(右上)は八幡橋付近。この起点標識は川越環境ネットが県土木事務所に申し入れして見えるようにしてもらいました。左下は旧岩淵水門で、これより上流は新河岸川、下流が隅田川になります。この旧岩淵水門(赤水門)は、大正時代に荒川放水路 と共に建造されたもので、土木遺産として取り壊さずに保存されています。
新河岸川は一級河川ですが、埼玉県の管理とのこと。これらを地元の小学校で説明してきました。







2010/06/17 6:01:09|川越
川越の仙波河岸史跡公園
川越の仙波河岸史跡公園に行ってきました。新河岸川舟運は明治中期まで、依然としてこの地方の重要な交通路して貢献していました。明治2年には水路が延長され、仙波河岸が新たに開設されました。今までの扇河岸では一里半の駄賃馬を使って新河岸まで荷物を運んでいましたので、川越商人は楽になりました。本格的になったのは明治12-13年頃でした。仙波の原伝三が営業を開始しました。手間が省けたので、仙波河岸が大いに繁栄しました。。仙波の滝跡(上中央)。倶利伽羅不動尊(上右)。左下はこの地元の小学校で新河岸川等の説明をしてきました。新河岸川とは河岸(船着き場)から名前をとったもの。