くさびら紀行

日ごろの興味をもったキノコ・植物・歴史町並み等を書きとめます。
 
2010/07/04 2:11:27|その他
本州最北端の地「大間崎」
大間崎は下北半島西北端の突出部、本州最北端に位置します。北の海上約500mに弁天島があり、大間崎との間は「クキド瀬戸」と呼ばれています。ここは潮流がとりわけ早いことから、海難防止のために、大正9年、弁天島に大間崎灯台が建設されました。この地は、下北半島国定公園に指定されて以来、「本州最北端の地」としても有名です。「本州最北端の地到着証明書(ただ今、北緯41度33分・東経140度55分)」を出すお土産屋もありました。
このムラサキウニは500円、蛸足は300円。昨日、この蛸でタコ飯をつくりました。
仲間達は大間名物のマグロを食べようと店に行きましたが、客足が揃う11時頃といわれたそうです。







2010/07/02 19:21:52|その他
恐山(八角円堂と極楽浜)
下北の村々は、農業・漁業が中休みとなる時期に「おやま(恐山)まいり」に行ったが、それは慰安を兼ねた遊山参詣でした。だから「薬師の湯」等を持つ湯治場(右上)としても、今でも多くの人々が訪れています。私は時間の関係で足湯のみでした。
八角円堂(上中央)には、あの世でも使えるようにと、亡くなった方の遺愛の品がびっしりありました。
極楽浜(左下)は宇曽利山湖畔に広がる美しい浜。鮮やかなコバルトブルーの湖水と相まって極楽浄土を思わせる雰囲気があります。








2010/07/02 0:55:10|その他
恐山(T)
恐山は日本三大霊場の一つ、慈覚大師が開いたという伝承をもち、全山諸堂をまとめて釜伏山菩提寺といいます。
イタコの口寄せとともに「死ねばオヤマ(恐山)へ行く」という「死出の山」として位置付けられています。大祭の時期ではないので、イタコの口寄せはありませんでした(左上)。
地獄を想定した思わせる荒涼とした光景が広がり、地蔵信仰の基づく死者供養場です。以前、オヤマを訪ねた人は鬱蒼たる森に囲まれていたので、怖いという感じを受けましたが、今回は違うイメージという。「血の海(左下)」「塔婆(右上)」







2010/07/01 2:02:06|植物
本州最北端
「津軽・下北2代半島めぐり」3日間(6/27-29日)に参加しました。「はやて」に乗り、大宮から2時間で盛岡。そこからバスが長かった。
最初に見学したのは、下北半島随一の大パノラマで「釜臥山(かまふせやま)」でした。上中央の写真はそこから見た陸奥湾。その山は、下北半島中央部に位置する恐山山地の最高峰で標高879m。ここには自衛隊のレーダー基地がありました。
三途の川に架かる太鼓橋(左下)がこの世とあの境目。人は亡くなると冥土に行くために 三途の川を渡るという。悪人にはこれが針の山に見え、善人だけが渡れるとされています。







2010/06/30 4:24:06|その他
亜高山地帯のノビネチドリ(延根千鳥)
友人からラン科植物は、盗堀が多いので場所不明がいいと言われました。時期は先週でした。このノビネチドリは亜高山地帯のブナやシラビソの林縁にはえる多年草です。和名の由来について「延根」は根が横に良くのびるところから、「千鳥」は花の形が小鳥の飛ぶ姿に似ているところから付けられた。花は淡紅紫色の小花を多数穂状につけます。
この仲間にテガタチドリがありますが、地下に手の形をした白色の多肉根があることからつけられました。