救済会 憩の園在日協力会

1958年、ブラジル社会福祉法人救済会「憩の園 (いこいのその)」は、主に日系人のお年寄りを対象とした老人ホームとしてサンパウロ市に開園し、その役割を担って参りました。 しかし、ブラジルの国状および日系人を対象とする施設の性格上、「憩の園」運営の現状は、近年大変厳しいものとなっています。 余儀ない事情で「憩の園」に老後を託した在園者の方たちへ、日本から温かい支援をお届けし、余生の日々に懐かしさと喜びを味わっていただけたらと、日々願っています。
 
2022/10/10 12:18:00|ニュース
改修工事落成 お披露目式(2022年8月9日)

8月9日、憩の園では、国際協力機構(JICA)の助成により改修した設備のお披露目式を開催しました。お披露目式には、大変ご多用の中、JICAブラジル事務所 所長 江口 雅之 様もご臨席下さいました。

ご承知の通り、JICAは海外移住者および日系人の生活の安定のために、様々な形で支援を行って下さっていますが、今回の改修は、2021年度にJICAが実施した「移住者の団体に対する助成金交付事業」によるものです。
おかげさまで、浴室・厨房・中央食堂の改修、車いすや業務用洗濯機、調剤薬局の建設、病床など高齢者介護のための資機材導入などを行うことができ、入居者ならびにスタッフの方々にとって、これまで以上に快適な空間に生まれ変わりました。

本当にありがとうございました。心より厚く御礼を申し上げます。

救済会憩の園在日協力会

【画像】
【写真】お披露目会にご臨席賜りました日伯ご関係者の皆様








2022/09/11 11:17:17|その他
第46回しんぼくバザー 無事開催!!
8月20-21日、第46回憩の園しんぼくバザーが開催されました。
初日はあいにくの空模様でしたが、依然続くコロナ禍の中で、3年ぶりに恒例行事を開催できましたことは、関係者一同何よりの喜びです。

一日も早くパンデミックが収束しますよう、心より願っております。







憩の園 しんぼくバザー

46º. Bazar Beneficente do Ikoi-no-Sono 

憩の園「しんぼくバザー」

o Bazar da Confraternização, da Amizade

2022 年 8 月 20 日(土)21日 (日)


憩の園では、上記の日程でバザーを開催します。
 

  • 販売
    食料品、雑貨、手作り品、掘出物、健康用品、花
  • イベント
    もちつき、ショー、子供の広場、ビンゴゲーム
  •  

憩の園は、ブラジル最大の都市サンパウロ市郊外にあります。
ブラジルは、長い間新型コロナによるパンデミックに苦しんできました。

現地からの報告によりますと、少なくともサンパウロではパンデミックは収束したとみられています。そんなことから、サンパウロでは中止していたイベントやフェスティバルが続々と復活し、大盛況だそうです。

憩の園恒例のバザーも、きっと多くの方々が訪れ、パンデミック以前のように盛り上がることと思います。
バザーが成功裏に終わることを心より願っております。


南米バザー中止のお知らせ

なお、毎年在日協で出展をしてまいりました「ラティノアメリカーノ チャリティーバザー」ですが、今年は新型コロナの感染拡大状況に鑑み、中止することが決定いたしました。
昨年、2年ぶりに再開したばかりでしたが、誠に残念でなりません。
楽しみにして下さっていた皆様に、ホームページにて失礼ながら、謹んでお知らせ申し上げます。








写真で見る憩の園の昔の風景 
まだデジタルカメラが十分に普及していない頃に撮られた
憩の園の古いネガフィルム写真を紹介いたします。

時代は変われども、憩の園のアットホームでハートフルな雰囲気は
変わりません。秘蔵写真(!?)をご高覧下さい!!














  救済会創立者の1人で 「ブラジル日系移民の母」として親しまれた
  渡辺トミ・マルガリーダ元会長の墓前にて(1997年一周忌)







憩の園入園者の俳諧と物語
日本から遠く離れたブラジル。
様々な試練を乗り越え、たどり着いた憩の園で過ごす日系人の方々。
そんな入園者の俳諧と物語をお届けします。


はるか昔 この世に生まれた
富士山のふもと
その風景を堪能して




TOSHIMI は、93 年前、富士山のふもとに生まれたことを
誇りに思っている。 富士山は、本州で最も高く、
世界でも最も美しい風景の一つに数えられる。

「12 歳の時に日本を出た。父の JUN・Y はブラジルに移住するために
 家族皆を説得した。この国では霜も降りないし、
 土地がとても良いんだ、って言ってね。」

思い起こすのは、身を粉にして働いた記憶ばかりだ。
新しい仕事を求めて移動したこと、内陸部の農場で汗を流して働いたこと、
グアルーリョスからサンパウロに、サトウキビを運搬するために
3 万クルゼイロで購入したシボレーのトラックのこと。

「ここブラジルで結婚した。でも、日本に嫁さんを迎えに
 行かなきゃならなかった。それがあの頃の習慣だったんだ。
 彼女のことは写真でしか知らなかった。 わりと美人だったよ。
 父が彼女の家族を知っていたんだ。5 人子供ができた。」

今の TOSHIMI の厄介事は、仕事を続けたいという思いに、
体がついていかないことだ。
「爺さんになってくると、何だかのろまになってしまうね。もう働けないな」

Y TOSHIMI