救済会 憩の園在日協力会

1958年、ブラジル社会福祉法人救済会「憩の園 (いこいのその)」は、主に日系人のお年寄りを対象とした老人ホームとしてサンパウロ市に開園し、その役割を担って参りました。 しかし、ブラジルの国状および日系人を対象とする施設の性格上、「憩の園」運営の現状は、近年大変厳しいものとなっています。 余儀ない事情で「憩の園」に老後を託した在園者の方たちへ、日本から温かい支援をお届けし、余生の日々に懐かしさと喜びを味わっていただけたらと、日々願っています。
 
ブラジル最古の日本人植民地・・・レジストロ
サンパウロ州レジストロは、ブラジルで最も古い日本人植民地で、
サンパウロ市から南西に約200キロのところにあります。
 
第1回移民船「笠戸丸」が、ブラジルに到着したのが1908年。
それから5年後の1913年に、レジストロには “日本人村”が築かれました。
「日本移民ゆかりの地」と言われています。
 
レジストロは「ここはブラジルではなく、日本ではないの?」と思いたくなるほど
日本文化が根付いています。
民謡、和太鼓、日本舞踊、茶道、日本語教室、ラジオ体操等々…。
また、年中行事として、寿司作り、盆踊り、灯篭流し、運動会、敬老会、
日本食の夕べ などがあります。
 
以下の写真は、レジストロ日伯文化協会の建物です。
 
いかがでしょうか?
現代の日本社会では、たとえば公民館などでもモダンな建築物が多いですが、
こちらは何かホッとする日本家屋です。
市内には鳥居やお寺、そして教会もあります。
 
レジストロは、お茶でも有名です。
1935年、奈良県生まれの茶の専門知識を持った岡本寅蔵は、
当時持ち出しを禁じられていたお茶(アッサム種)の種子を、
パンに隠してセイロンからブラジルに持ち込みました。
船内で発芽させて、レジストロに植えたお茶は、今も青々と茂っています。
 
岡本寅蔵の子孫が経営する製茶工場は広大な敷地にあり、
茶畑、工場、プール付邸宅が点在しています。
社長宅に招かれると、ゆったりした応接間で素敵なカップで
おいしい紅茶とクッキーをいただくことができます
 
市内には、南米最大規模と言われた精米所を利用した
「レジストロ移民資料館」があります。
館内には、移民が日本から持って来た和食器や柳行李、
移住当初の家財道具などが展示されています。
 
また、レジストロでは い草が栽培されていますが、
い草製品を製造する工場もあります。
日本のい草の歴史は1300年とも言われていますが、あの心地よい香りに
日本人は癒されます。
近年、日本では洋間が増え、畳の部屋が少なくなっていることもあるためか
い草の香りでノスタルジックになる人も多いのではないでしょうか。
 
レジストロには、古きよき時代の日本文化がしっかりと残っています。
「古き、良き日本」を訪ねて、レジストロ訪問はいかがでしょうか?
 
〜在日協掲示板6月版より〜







2012年5月の在日協事務局掲示板
5月の在日協掲示板のご紹介です。

今月は、憩の園における5月の代表的な行事を掲載させていただきました。

 

憩の園では、日本と同じように季節ごとの伝統的な行事を行っています。

むしろ日本の行事に対する意識は、日本国内より憩の園のほうが高いかもしれません。

 

5月には、2つの行事を毎年行います。

 

その1つは「こどもの日」です。

憩の園のお年寄りは、もちろん子供ではありませんが、新聞紙で兜を作り、

子供の頃を思い出しながら、みんなでお祝いをします。

 

しかし、1つ疑問が浮かびます。それは柏餅の存在です。

日系人の多いサンパウロでは、色々な和菓子を見かけることができますが、

子供の日の定番と思われる柏餅を、憩の園で見かけたことがありません。

 

ご承知の通り、そもそも「端午の節句」は、粽(ちまき)」と一緒に

中国から伝わってきました(平安時代)。

中国では節物として「粽」を作り、親戚や知人に配るという慣習があります。

粽には「難を避ける」という縁起的な意味があるそうです。

 

一方、柏餅が定着したのは江戸時代の頃のようで、江戸から全国に広がりました。

柏の木は新芽が出ないと古い葉が落ちないので、

「子供が生まれるまでは親は死なない」、つまり「家系が途絶えない」

という子孫繁栄の意味があるようです。
ちなみに「拍手(かしわで)を打つ」と言いますが、柏は昔から神聖な木とされ、


柏の木に神が宿っていることから生まれた言葉のようです。

 

ということで、日本でも「こどもの日」の「柏餅」を食べるのは東日本に多く、

西日本は「粽」が多いと分析している方がいます。

実際はどうなのでしょうか??

 

ブラジルへの入植者数を都道府県別にみますと、熊本がトップで

沖縄、福岡、北海道、広島と続きます。西高東低です。

憩の園関係者やお年寄りにも同じ傾向があれば、憩の園で柏餅を見かけない理由と

結びつくような気もしますが・・・(;^_^A

 

さて、子供の日のお話はこれくらいにしまして・・・、もう1つの行事を紹介しますが、

それは「母の日」です。

 

憩の園の「母の日」の特徴は、何と言ってもお母さんである職員に、

ちょっとしたプレゼントがあることです。

日本ではカーネーションが一般的ですが、憩の園では黄色いバラとお菓子です。 

 ※独身のシスターや職員にはありません。

 

日本の老人ホームでは、「母の日」に憩の園のようなプレゼントをする習慣は、

あまり聞いたことがありません。憩の園らしい温かい心配りなのです。







2012年4月の在日協事務局掲示板
今月の在日協掲示板は、高橋 事務局長が、リオ・デ・ジャネイロ(Rio de Janeiro)に
旅行した時の写真を、コメントを添えて掲載しています。
 
街全体がサンバのリズムに包まれるリオのカーニバルCarnaval do Rio)
リオ・デ・ジャネイロ(以下、リオ)の中心地 リオ・ブランコ大通りや
サンボドロモ(サンバのための会場)で行われる南米最大の夏(2月)の祭典です。
 
突然打ち上がる大きな花火。
サンバチームへのパレード開始の合図です。
サンボドロモに集まる6万人の観衆の歓声が、天まで轟くかの如く湧き上がります。
その様子は、テレビの映像などでご覧になられた方も多いことでしょう。
今や日本でも、浅草をはじめ各所のお祭りでサンバのカーニバルは行われています。
 
リオには、カーニバルだけでなく観光の名所がたくさんあります。
コルコバードの丘もその一つです。
標高710mのコルコバードの丘からは、リオの町が一望できます。
この丘の頂上に巨大なキリスト像が立っています。
 
コルコバードの丘に次ぐ観光地と言えばポン・ジ・アスーカルです。
グアナバラ湾 に突き出す半島の上にある奇岩で、海抜396mの突起部の頂上へは
ゴンドラを乗り換えて向かいます。
 
高級ホテルが立ち並ぶコパカバーナイパネマの美しい海岸、
巨大でユニークな形のカテドラル・メトロポリターナ・・・。
リオは飽きることのないブラジルの観光地です。
 
リオでは2014年にFIFAワールドカップがあり、2016年にはオリンピックもあります。
リオは治安が良くないので、リュックは前抱えにバッグは斜めに
お金は腹巻に入れなさいと言われ、ちょっぴり緊張したそうですが、
さすがブラジルの景勝地、その景観はとても素晴らしかったとのことです。
 
ツアーを組んでワールドカップ、オリンピックを見に行きたいものです。
もちろんあの熱狂的なカーニバルも。憩の園の方々にもお会いしたいですしね・・・。







2012年3月の在日協事務局掲示板
大変遅くなりましたが、3月度の在日協掲示板のご案内です。
今月は「サンパウロの動物園」を写真で紹介しています。
 
動物園に行くと、遠足などで訪れている沢山の子供たちに遭遇します。
これは、万国共通かもしれません。
興味津々に動物を凝視したり、怖くて泣き叫んだりで、とても賑やかになります。
 
興奮して はしゃいでいれば喉も渇きます。
しかし、ブラジルの街には日本のような清涼飲料水の自動販売機はあまりありません。
その代わり、道路端の屋台やカフェ、あるいは市場などで飲み物を売っています。
 
動物園の中に「コカコーラ」の自動販売機があったので、思わずシャッターを
切りました。日本とはちょっと違い、かなり派手な自動販売機です。
  
日本では、清涼飲料水メーカー各社が競い、屋内外のあらゆるところに自動販売機を
設置していますが、ブラジルの街でお目にかかることは殆どありません。
 
恐らく、日本は自動販売機設置率が高い国なのかもしれません。
今や車椅子対応型や自動対外式除細動器(AED)が組み込まれたものほか
様々なタイプの自動販売機が日本にはあふれています。







2012年2月の在日協事務局掲示板
日本列島は、近年稀な極寒に包まれ、1月には太平洋側の平野部でも広範囲にわたり
積雪を記録し、日本海側や北日本では今なお豪雪が続いています。
このたびの豪雪により被災された皆様に、心よりお見舞い、
そしてお悔やみを申し上げます。
 
さて、2月の在日協掲示板のご案内です。
 
今月は、ブラジル人の信仰のよりどころである聖地「アパレシーダ」をご紹介します。
 
アパレシーダの聖母(Nossa Senhora da Conceição Aparecida
 
18世紀の初頭に、サン・パウロとリオ・デ・ジャネイロの中間あたりにある小さな町で
起きたお話です。
ある日、漁師たちがパライーバ川(Rio Paraiba) にかけた網に、褐色の聖母像が
かかりました。最初に胴体、次いで頭が上がったそうです。
その後、漁師たちは大漁に恵まれました。
 
漁師の1人が聖母像を家に持ち帰り、妻が像の頭と胴体を接着し、祭壇に祭って
祈るようになりました。
そして、数々の奇跡が伝えられ、ブラジル人の信仰を集めるようになったようです。
 
特に10月12日の大祭の時には全国から参拝者が集まります。
願をかけたり、休憩所でお弁当を広げたり、キリスト教関連のグッズを買い求めたり、
広い境内や神殿は車や人で埋め尽くされます。
 
アパレシーダの聖母は、カトリック教会からも正式に「ブラジルの守護聖人」として
ローマ教皇ピオ11世により1930年に公認されています。(Wikipediaを参照)
 
このお話し・・・我が国の浅草寺縁起に似ていますね。
 
 推古天皇36年(628)の早朝、檜前浜成・竹成の兄弟が江戸浦(現在の隅田 川)で
投網中に一躰の仏像を感得しました。
郷司であった土師中知はこれを拝 し、「聖観世音菩薩」のお像であることを知り、
人で深く帰依したというのが浅草寺の草創です。      
 
〜浅草寺ガイドより抜粋〜