救済会 憩の園在日協力会

1958年、ブラジル社会福祉法人救済会「憩の園 (いこいのその)」は、主に日系人のお年寄りを対象とした老人ホームとしてサンパウロ市に開園し、その役割を担って参りました。 しかし、ブラジルの国状および日系人を対象とする施設の性格上、「憩の園」運営の現状は、近年大変厳しいものとなっています。 余儀ない事情で「憩の園」に老後を託した在園者の方たちへ、日本から温かい支援をお届けし、余生の日々に懐かしさと喜びを味わっていただけたらと、日々願っています。
 
Aug.16. ブラジルの野鳥 B
ブラジルの野鳥シリーズ第3弾です。
今回も日本には生息しない3種の鳥を紹介します。
 
まず最初は、サビア(sabiá)です。
サビアは、とても美しい鳴き声を持つツグミ科の小鳥です。
愛する気持ちをサビアに喩えた「Sou Seu Sabia(私はあなたのサビア)」という名曲が
あります。カエターノ・ヴェローゾ(Caetano Veloso)が作曲し、ブラジルの歌姫
マリーザ・モンチ(Marisa Monte)が歌った曲です。
 
 
お次はフウキンチョウです。
フウキンチョウは日本語では「風琴鳥」と記されます。
辞書を引きますと、スズメ目ホオジロ科フウキンチョウ亜科の鳥の総称と
説明されていますね。
世界中に約400種生息していますが、色彩が鮮やか鳥です。
 
 
最後はオオハシカッコウです。
オオハシカッコウは、突き出た大きなくちばしと長い尾を持つ黒い鳥です。
共同営巣する特性があります。
 
 
〜 8月度 在日協掲示板より 〜
H.Takahashi







Jul.07. 憩の園 大盛況の第1回手巻き祭!!
今月の憩の園在日協力会事務局掲示板では、先日憩の園で初めて
開催されました「第1回手巻き祭」の模様を紹介しています。
 
    第1回手巻き祭
 
  日  時 : 2013526() 11:0015:00
  入場券 : 40レアル(日本円で約2,000)
  場  所 : 憩の園 多目的ホール
 
 
ご存じのようにブラジルはボランティア活動がとても盛んです。
今回の手巻き祭は、日伯友好病院の女医さん2人と、サンパウロでレストランを
経営されている方の3人が中心となったボランティア団体で企画されました。 
当日はボランティア団体のメンバー40名が参加して下さり、食材の調達から
手巻き寿司作りまですべて手際よく行って下さいました。
 
当初3000本の手巻き寿司を作る予定でしたが、最終的にはなんと4200本!! 
その手巻き寿司を作るために用意された膨大な食材は、すべて個人 又は
各企業から無料でご提供いただきました。
 
米 18袋     サーモン 150s   マグロ 60s   海老 24s      
蟹かま 15袋  海苔  1,500      わさび 1.2s  きゅうり 9s           
レタス 15株   マンゴー 45ヶ     玉ねぎ 30ヶ  マヨネーズ 6s 
卵 15ダース  しょうゆ 15ℓ      酒 18ℓ      キノコ 45s     
味噌 9s    マグロ缶詰 30 
 
内訳は、ざっとこんな感じです(>人<;)
 
写真をご覧いただければ手巻き寿司の種類はある程度お分かりになると
思われますが、改めてご紹介しますと・・・ 
@マグロねぎま Aサーモンねぎま B海老 Cかにたま Dカリフォルニア巻 
の5種。
 
ご存じのようにブラジルは肉類は安価ですが、魚は値段が張ります。
寿司ネタをよくぞこれだけ用意していただいたと驚きと感謝の気持ちでいっぱいです。 
 
当日は、カウンターで13本の手巻き寿司を受け取り、あとは「好きなだけ、どうぞ!」
サラダとみそ汁も食べ放題、飲み放題です。
入所者、憩の園ボランティアとご家族150人を含めて総数750人が参加されました。
 
お寿司は初めてと言う地域の方もいらっしゃったと思いますが、
いかがで したでしょうか?
 
ブラジル人は結構メタボな方が多いので、いくらヘルシーな寿司とは言え、
食べ過ぎては少し心配です・・・(ーー;)
 
お腹がいっぱいになったところで、ボランティアによるアトラクションを楽しみました。
心響太鼓の面々。
ブラジルでは日本の伝統文化が大切に、脈々と受け継がれています。
ジャクソン君、かわいいですね!   
 
 
憩の園は運営費を自己調達しなければなりません。
在日協力会では、協力会員の方々からの会費や寄付金、バザーの収益金等を
毎年憩の園に送金しております。
 
一方、憩の園ではあらゆる努力をして運営費を捻出しています。
各種イベントを開いて運営費の55%を賄っていると伺いました。
 
1回手巻き祭を通して、改めてブラジルのボランティア活動の厚み、質・量の充実さに
感激しました。あれだけの食材を手配するボランティアの皆様の企画力、 調整力、
熱意、行動力に脱帽するばかりです。   
 
第1回手巻き祭が大盛況であったことを、心から感謝申し上げます。
 
今、「寿司」は「おいしい」「ヘルシー」と世界中で大人気ですが、今後も憩の園では
手巻き祭を開催していきたいと思っております。 
どうか変わらぬご支援をよろしくお願いいたします。
 
憩の園在日協力会  高橋 久子







Jun.05. ブラジルの野鳥 A
 
 
今月はまず嬉しいお話からです。                   
 
皆さんご承知の通り、サッカー日本代表が、2014年ブラジルW杯進出を決めました。
予選突破は5大陸で世界最速のようですね。
オーストラリア戦を引き分けに持ち込んだ本田選手の豪快なゴールは、
望郷の念を抱く「憩の園」のお年寄りの夢を乗せた一撃に映りました!!
 
選手の皆様、感動をありがとうございました。
 
さて、 今月の在日協事務局掲示板ですが、ブラジルに生息する野鳥を
3月引き続きシリーズ第2弾としてご紹介しています。
 
 
◇ アミジロミツドリ
 
 
◇ インコ
 
 
◇ フクロウ
 
 
どの鳥も日本でなじみのある鳥です。
 
フクロウのかっと見開いた目・・・、とても可愛らしいですね。
この写真を撮ったのは Edson Endrigoさんです。
もし、もう少し情報を欲しいと思う方は www.avesfoto.com.br をご覧ください。
 
《H.Takahashi》







May.02. 感謝 憩の園で泳ぐ鯉のぼり
毎年憩の園では端午の節句に鯉のぼりを園庭に飾ります。
しかし、今年は鯉のぼりが破れてしまい、鯉のぼりのない節句を
迎えなければならないかと心配しておりました。

在日協でもこれは一大事と、不要になった鯉のぼりをご寄贈して
いただける方はいらっしゃらないかと、本サイトを通じてお願いを
させていただきました。
http://kcv-net.easymyweb.jp/member/brz_zainichikyo/default.asp?c_id=45227

その願いを叶えて下さったのが名古屋市の南山高校の方々でした。

南山学園関係者ならびに生徒の皆様には、長年憩の園へ
いろいろなご支援をいただいておりますが、
今回は校長先生自ら、鯉のぼり寄贈を学園内に
呼びかけてくださいました。

その結果、既報の通り、8セットもの鯉のぼりが集まり、
ご寄贈いただくことになりました。

早速、4月下旬にそのうちの3セットを憩の園に届けました。
入所者の方々は心温まるご厚意に対しまして大変喜ばれ、、
嬉しさと感謝 の気持ちでいっぱいになられているとのことです。

憩の園には、介護度の高い方が生活されている特養棟があります。
特養棟の方々は室内で過ごされることが多いので、3セットのうち
1セットはこの棟の食堂に飾られました。
室内ですので、鯉のぼりの中に風船を入れて、屋外同様に
風を切って泳いでいる姿になるように工夫して飾っています。
もう1セットは、理事の関係する学校に飾りたいとのことで、
残りの鯉のぼりにつきましても順次送る予定です。

名古屋で大切に保管されていた鯉のぼりが、温かいお気持ちと共に
海を渡り、日本の裏側のブラジルに届けられ、秋のそよ風の中、
勢いよく泳いでいる姿を誰が想像できたでしょうか。
本当にありがとうございました。

ご寄贈いただきました鯉のぼりは、ブラジルの日系社会で
これから毎年、大切に大切に飾られることでしょう。

小さくてよく良く見えませんが、中央の写真の鯉のぼりと幟旗の間に
飛行機が見えます。
憩の園はサンパウロ国際空港から車で約30分の所に位置していま
すので、上空を飛ぶ飛行機が見られます。

入園者が飛行機を見て、
「一度、日本に帰ってみたかった。」
と言われた時は、何とも切ない気持ちになりました。

南山高校の鯉のぼりを寄贈してくださった生徒さん、ご父兄の方々
校長先生を始め、仲介の労を取って下さった先生に感謝の気持ちで
いっぱいです。

憩の園在日協力会一同、心より御礼を申し上げます。

 Muito Obrigado(a)!!







Apr.01. 日系ブラジル移民の歴史
1908年4月 神戸港を出航した「笠戸丸」は、781名の日本人を乗せて、
同年6月18日サントス港に到着しました。
「金のなる木(コーヒー)」と厚遇が謳われていましたが、
夢と希望を抱いた日本人を待ち受けていたのは、
過酷な労働と劣悪な居住環境でした。

以来、100年間に日本からブラジルへは約15万人が移住し、
現在約150万人の日系人が住んでいると言われています。

勤勉で真面目な日系人がブラジル国内で築き上げた信頼は厚く、
多くの日系人が社会的地位の高い職種で活躍しています。

今月の在日協掲示板では、そんな日系人を1994年から12年間、
記者として追い続けた松本 浩治 氏の写真を紹介しています。
氏が2006年にまとめた写真集「移民 T」の中から、
苦労された4名の日系女性と日本人が入植した代表的な4ヶ所の
写真をピックアップしています。

《H.Takahashi》