救済会 憩の園在日協力会

1958年、ブラジル社会福祉法人救済会「憩の園 (いこいのその)」は、主に日系人のお年寄りを対象とした老人ホームとしてサンパウロ市に開園し、その役割を担って参りました。 しかし、ブラジルの国状および日系人を対象とする施設の性格上、「憩の園」運営の現状は、近年大変厳しいものとなっています。 余儀ない事情で「憩の園」に老後を託した在園者の方たちへ、日本から温かい支援をお届けし、余生の日々に懐かしさと喜びを味わっていただけたらと、日々願っています。
 
Jul.12. ブラジル日系人との絆
もうすぐ梅雨も明け暑い夏が訪れますが、皆様にはお変わりなく
お過ごしのことと拝察申し上げます。
 
さて、7月の在日協掲示板では、ブラジル日系人のH.Watariさんが
描かれた朝顔の絵を紹介しています。
昨年、カトリック教会のカレンダーにも採用されたものです。
 
朝顔は、夏を代表する花と言っても過言ではないでしょう。
子供の頃には、今も昔もほとんどの方が、夏休みの宿題で
観察日記を書いたのではないでしょうか。
 
この朝顔が、日本に伝えられたのは奈良時代の頃で、
元々は遣唐使が薬用種子として持ち帰ったのだそうですね。
それがやがて観賞用としても好まれるようになり、
江戸時代に様々な園芸品種が生まれ、
現在に至っているようです。
 
つるを伸ばす性質は、昔から日よけとして利用されるなど、
朝顔は日本の文化に深く溶け込んでいる伝統的な植物と
言えるでしょう。

朝顔の花言葉は「固い絆」。
支柱にしっかりとツルを絡ませることにちなみます。

遠いブラジルに離れていても、ブラジル日系人の祖国や同胞を
思う気持ちは私たちと一緒です。
この固い絆を大切に守り、さらに育てていくお手伝いをするのも
私たち在日協の役目ではないかと思っています。

ブラジル救済会 憩の園 在日協力会








Jun.13. 紀宮さま 憩の園ご来園時の貴重なお写真
以前にもお伝えしましたが、憩の園はこれまでに3度皇室を
お迎えする栄に浴しました。
 
天皇皇后両陛下をお迎えしたのは、皇太子殿下時代の1978年6月と1997年6月、
そして紀宮さま(黒田清子さま)をお迎えしましたのはご結婚される前の、
今からちょうど20年前の1995年11月15日でした。
 
皇后陛下は、初めて憩の園へご訪問賜りました際、
遠い日本からブラジルに移民として渡った人々の労苦を想われ、
入所者一人一人に心温まるお言葉をかけて下さいました。
 
また、1997年に再度ご訪問賜りました際には、
日本に一家で働きに来ているブラジル日系人のことを
とても憂慮されていらっしゃったそうです。
 
ご承知の通り、1990年頃から、日本には多くのブラジル日系人が、
働きに来るようになりました。
しかし、うまく日本語が話せないため、居場所を失ってしまうという
問題がありました。
皇后陛下は、国内の学校に通う子供たちのことを
特に憂慮されていたと伺っています。
 
皇后陛下は歌会始に、次のようなお歌を詠まれました。
 
「移民きみら 辿りきたりし 遠き道の 
                           イペーの花はいくたび咲きし」
 
イペーはブラジルの国花で、黄色い花が咲きます。


 
紀宮さまは、憩の園の訪問時に
「憩の園や初代会長の渡辺さんのことは母(皇后陛下)から良く伺っておりました」
と話されたそうです。

※渡辺トミ・マルガリーダ:救済会・憩の園の創始者。「ブラジル日系移民の母

 
在日協の掲示板にもたびたび登場するカメラマン松本浩治氏の写真集「移民T」には、
サンパウロの東洋人街で、紀宮さまのご到着を、今か今かと待ち焦がれている人々の
写真があります。

 
沿道の人々のほとんどは、紀宮さまの御誕生を日本でお祝いされなかった方々と
推察します。
紀宮さまをこれからお迎えする皆さんはとても生き生きと、
喜びに満ちた表情をされていますね。

〈救済会 在日協力会   H.Takahashi







May.17. ブラジル移民の方々 第4弾
在日協事務局掲示板では「ブラジル移民の方々」シリーズ第4弾として
サンパウロ新聞記者の松本 浩治 氏の写真集「移民T」の作品を
紹介しています。 今回は、日系人の多いサンパウロにて撮影された,
男性6名の写真です。
 
移民としてブラジルで生活されて、幾多の困難、試練を乗り越えて
今日があると思いますが、皆さん何とも言えない柔和な表情をされています。
 
また、「この写真は本当にブラジルで撮ったの?」と思うのが、
大阪橋にかかる赤い大鳥居です。
提灯もぶら下がっていて、まさに日本そのものです。
 ※ カラー写真は以下をご参照 〜「南米一の大都会サン・パウロの魅力」より〜 
 
 
 
 
「大阪橋」は、商業都市「サンパウロ」と日本の商業都市「大阪」が、
姉妹都市として結ばれた記念に命名されました。
 
この大鳥居のある東洋人街(リベルダージ)は、かつては日本人街と
言われていました。
リベルダージには、今でも日本で売られているものは何でも揃っています。
日本の週刊誌・単行本や和菓子、油揚げ、みそ、ラーメン等々・・・
食品類の大半は、材料や製法、気候、水などが異なる現地で
作られていますので、 日本で作られたものとは微妙に違いがあります。
しかし、日系人やブラジル在住の日本人には懐かしい味として
非常に重宝されています。

 
 
在日協力会 会員募集
 







Apr.12. ブラジルの結婚式(協力会入会のご案内)

さわやかな春が訪れ、新年度がスタートいたし
ましたが、 皆様如何お過ごしでしょうか。
 
さて、4月の事務局掲示板では、憩の園に
勤務されている看護師さんの結婚式を
紹介しています。
 
ブラジルの結婚式は、通常 教会で行われ
ますが、写真からもお分かりいただけます
ように、教会以外で行われることもあります
 
日本でも由緒あるお宅やレストランなどで、
人前結婚式や披露宴を行うことがありますね。
 
日本のようにしっかりした招待客名簿がある
わけではなく、参加者が家族を伴い、
ラフな服装で自由に参加しています。
 
ブラジル式の結婚式に、
写真の中で参列してみませんか?
 
なお、2015年度 憩の園協力会 会員
募集いたします。
ぜひ温かいご支援を頂戴できましたら幸いです。
何卒よろしくお願い申し上げます。
 
救済会憩の園 在日協力会
 







Mar.09. 憩の園資料室
先月下旬に、北陸地方・四国地方・中国地方・山口・九州北部地方で、
春一番が吹いたとの発表が各気象台からありました。
三寒四温を繰り返し、春の足音が聞こえ始め、桜の開花が待ち遠しい
今日この頃です。
 
 
さて、3月の憩の園在日協力会事務局 掲示板では、
2008年7月に 憩の園園内に設置された
「憩の園資料室(Sala de Documentacao IKOI NO SONO)」
を 紹介しています。
 
「憩の園資料室」は、設立50周年記念事業の一環として建設された
「宮腰千葉太多目的ホール(Pavilhao Comunitario Chibata Miyakoshi)」
同時に2008年に完成しました。
憩の園を訪れた皆様に、渡辺トミ・マルガリーダ(憩の園創立者)、そして
救済会や憩の園の歴史が一目見てわかるような展示を実現したいという思いを込めて、
構想から11年かけて完成した価値ある資料室です。
 
掲示板の写真はあまり写りが良くないのでわかりにくいかもしれませんが、
資料室には多くの貴重な写真・資料が展示されていて、
まさに眺めているだけで憩の園の歴史が伝わってきます。
 

憩の園は、2013年に創立55周年(救済会60周年)を迎えましたが、この間
ブラジル日系社会の高齢者福祉において、大きなな役割を担ってまいりました。
その長い歴史の中で、3度皇室をお迎えする栄に浴しましたことは、
特筆すべきことではないでしょうか。
資料室にはその当時の写真なども展示されています 
 
天皇皇后両陛下は、1997年に再び憩いの園に足を運んで下さり、
入園者一人一人に心温まるお声を掛けていただきました。
皆、大きな感動に包まれ、生涯の思い出となりましたのは
言うまでもありません。
 
この資料室はどなたでも見学することができますが、
日本から訪問するには少々遠いところが難点ではあります。
しかし、もしサンパウロを訪れる機会がありましたら、是非憩の園へ
足を伸ばしていただき、資料室を見学していただきたいと思います。
 
憩の園入園者ならびにスタッフ一同、心よりお待ち申し上げております。

1978年
皇太子ご夫妻(現 天皇皇后両陛下)ご来園
右端は憩の園 創立者 渡辺トミ・マルガリーダ
 
1995年
憩の園を慰問された紀宮さまをお迎えする
渡辺トミ・マルガリーダ(当時95歳)
 
1997年 
再び憩の園へ足を運ばれた両陛下
 
写真:ニッケイ新聞から
http://www.nikkeyshimbun.com.br/2013/131221-e4colonia.html