ブラジルは、日本人はもとよりポルトガル、イタリア、ドイツをはじめ
多くの国の人々を移民として受け入れ、多民族社会・多文化社会を
形成してきました。
サントス港に着いた移民の方々が移民列車に乗り、最初に辿り着いた
のが『Hospedaria de Imigrantes(移民宿泊所)』です。
長い航海を終えてブラジルの土を踏み、ようやく旅装を解いた場所
です。
ここから移民の方々は、それぞれの配属地に散って行きました。
1998年、かつての移民宿泊所を『Museu da Imigração(移民博物館)』と してオープンしました。サンパウロにやってきた移民の歴史がわかる
ように、博物館の内外にたくさんの移民にまつわる展示がありますので,
当時の雰囲気を味わうことができます。
データベース化された移民名簿を閲覧することも可能ですので、
かつての同船者を探す光景も多く見られます。
また、土・日・祝日だけですが、当時の移民列車に乗ることもできます。列車の中ではアトラクションもあり、観光者は楽しいひとときを過ごせます。
しかし、当時の移民の方々は、これから始まる移民生活に期待と不安を
抱きながら、どのような思いで車窓からブラジルの大地を眺めていたの
でしょうか?
敷地内には当時の移民の家( 小屋)が再現されています。
現在の住宅からはあまりにもかけ離れているものです。
庭には、日本人少女4人の等身大の写真が設置されていますが、
果たして彼女たちのその後の人生はどのようなものだったでしょう・・・
今月の在日協事務局掲示板で、移民博物館を訪ねた際の写真を
掲載しています。
当時の移民の方々の心情や生活を考える機会にしていただけましたら
幸いです。