救済会 憩の園在日協力会

1958年、ブラジル社会福祉法人救済会「憩の園 (いこいのその)」は、主に日系人のお年寄りを対象とした老人ホームとしてサンパウロ市に開園し、その役割を担って参りました。 しかし、ブラジルの国状および日系人を対象とする施設の性格上、「憩の園」運営の現状は、近年大変厳しいものとなっています。 余儀ない事情で「憩の園」に老後を託した在園者の方たちへ、日本から温かい支援をお届けし、余生の日々に懐かしさと喜びを味わっていただけたらと、日々願っています。
 
Oct.04. 憩の園 第41回慈善バザー
サンパウロの憩の園では、天候に恵まれた815()16()2日間、
満開の桜の下にて恒例のバザーを開催しました。
遅ればせながらご報告します。
(9月在日協事務局掲示板でも紹介しました:写真)
 
ブラジルは景気が悪いと言われていますが、、人出もまずまずで、
売れ行きも昨年並みに好調でしたm(__)m
 
冒頭で「満開の桜の下にて・・・」と書きましたので、
お察しいただいていることと思いますが、南半球の8月は冬です。
日本で言えば2月とお考えいただければ良いかと思います。
従いまして、毎年8月に開催されるバザーでは、園内の桜が満開になります。
 
今年は「Linha do Tempo」をテーマに、新たに憩の園の歴史紹介ブース
設置されました。
在日協事務局掲示板の写真では、右下がその紹介写真になります。
写真に写っているのは、憩の園の生き字引的存在の 吉安 園子 救済会会長です。
 
  吉安 園子 救済会会長
 
会長は、この企画について、ニッケイ新聞社の取材で
以下のようにコメントしています。
 
「協力者の皆さんへの感謝の意味も込めて。高齢者介護だけではなく、
 住みよい地域づくりを目指して行なっている啓蒙活動のことにも触れた。」
 
〜ニッケイ新聞2015年8月4日〜
 
 
バザーでは毎年、野菜・果物や日本食、入園者の手作り作品などが販売されます。
大きなメロンが8レアル(815日のレート 1レアル=3565円)約280円です。
ブラジルの果物は新鮮でとてもおいしいです。お買い得ですね!
 
ユニークなのは、お餅です。
毎年”ともちゃん”と言う餅つきグループがバザーに参加します。
お餅は始め少し機械でつき、その後臼と杵でつきます。
つきたての餅は丸めて10個をパック詰 めして販売します。
お餅にはあんこを入れたり、きな粉をかけることがありますが、
今年は醤油と砂糖で甘辛の焼き餅にしました。
10個の焼き餅が入ったパックは18レアル 約640円です。
予約制で1時間30分程待って10個入りパックを持ち帰る人が多かったようです。
売れ行きは良く、憩の園の職員は買えなかった人が多かったと聞いています。
 
以前、日系人でないブラジル人にあんこを試食してもらったところ、
奇妙な表情をされてしまいました。
お口に合わなかったようです。
お醤油とお砂糖の甘辛味 の方が好まれるのではないでしょうか? 
 
ブラジルで餅つきが行われ、お餅を好んで食べていただけるなんて・・・
何だか嬉しくありませんか?
どうぞ喉につかえないようにお召し上がりください!







Aug.12. マツリダンスとボンダンス
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猛暑が続いています。
夏といえば、今 日本各地で開催されている盆踊り(夏祭り)や花火大会!!
まさに日本の夏を彩る風物詩ではないでしょうか。
 
ブラジルの日系社会でも、伝統的な盆踊りは大切に受け継がれています。
そして今、老若男女・日系人・非日系人を問わず、
熱狂的に支持されているのが「マツリダンス」です。
これは、日本の盆踊りを基にした単純な振付で、軽快なJ−POPに合わせて
踊るものです。
ブラジルで進化した盆踊り(ボンダンス)と言っても良いのでしょうか!?
 
ある日系人コミュニティのイベントでのこと…
すべての演目の終了後、大音響で音楽が流れ始めると、
会場にいた観客や出演者が大きな輪を作り、
そこへ屋台の売り子までが飛び入りで加わり、踊り始めたそうです。
 
写真ではわかりにくいかもしれませんが、沢山の人が熱狂的に踊っています。
その場にいたら「踊らにゃ、損、損」と思わず踊りの輪の中に
入ってしまいそうです。さすがサンバの国ですね。
 
この夏の時期(ブラジルは冬)にブラジルを訪れたら、
冬のカーニバル(ブラジルは夏)とは違う熱狂に包まれるかもしれません。
 
ぜひ一度体験されてみてはいかがでしょう(^^)
 
〈ご参考: 朝日新聞デジタル Aug.14.2014
 
 
〜 日本の伝統的な盆踊りの風景 〜
 







Jul.12. ブラジル日系人との絆
もうすぐ梅雨も明け暑い夏が訪れますが、皆様にはお変わりなく
お過ごしのことと拝察申し上げます。
 
さて、7月の在日協掲示板では、ブラジル日系人のH.Watariさんが
描かれた朝顔の絵を紹介しています。
昨年、カトリック教会のカレンダーにも採用されたものです。
 
朝顔は、夏を代表する花と言っても過言ではないでしょう。
子供の頃には、今も昔もほとんどの方が、夏休みの宿題で
観察日記を書いたのではないでしょうか。
 
この朝顔が、日本に伝えられたのは奈良時代の頃で、
元々は遣唐使が薬用種子として持ち帰ったのだそうですね。
それがやがて観賞用としても好まれるようになり、
江戸時代に様々な園芸品種が生まれ、
現在に至っているようです。
 
つるを伸ばす性質は、昔から日よけとして利用されるなど、
朝顔は日本の文化に深く溶け込んでいる伝統的な植物と
言えるでしょう。

朝顔の花言葉は「固い絆」。
支柱にしっかりとツルを絡ませることにちなみます。

遠いブラジルに離れていても、ブラジル日系人の祖国や同胞を
思う気持ちは私たちと一緒です。
この固い絆を大切に守り、さらに育てていくお手伝いをするのも
私たち在日協の役目ではないかと思っています。

ブラジル救済会 憩の園 在日協力会








Jun.13. 紀宮さま 憩の園ご来園時の貴重なお写真
以前にもお伝えしましたが、憩の園はこれまでに3度皇室を
お迎えする栄に浴しました。
 
天皇皇后両陛下をお迎えしたのは、皇太子殿下時代の1978年6月と1997年6月、
そして紀宮さま(黒田清子さま)をお迎えしましたのはご結婚される前の、
今からちょうど20年前の1995年11月15日でした。
 
皇后陛下は、初めて憩の園へご訪問賜りました際、
遠い日本からブラジルに移民として渡った人々の労苦を想われ、
入所者一人一人に心温まるお言葉をかけて下さいました。
 
また、1997年に再度ご訪問賜りました際には、
日本に一家で働きに来ているブラジル日系人のことを
とても憂慮されていらっしゃったそうです。
 
ご承知の通り、1990年頃から、日本には多くのブラジル日系人が、
働きに来るようになりました。
しかし、うまく日本語が話せないため、居場所を失ってしまうという
問題がありました。
皇后陛下は、国内の学校に通う子供たちのことを
特に憂慮されていたと伺っています。
 
皇后陛下は歌会始に、次のようなお歌を詠まれました。
 
「移民きみら 辿りきたりし 遠き道の 
                           イペーの花はいくたび咲きし」
 
イペーはブラジルの国花で、黄色い花が咲きます。


 
紀宮さまは、憩の園の訪問時に
「憩の園や初代会長の渡辺さんのことは母(皇后陛下)から良く伺っておりました」
と話されたそうです。

※渡辺トミ・マルガリーダ:救済会・憩の園の創始者。「ブラジル日系移民の母

 
在日協の掲示板にもたびたび登場するカメラマン松本浩治氏の写真集「移民T」には、
サンパウロの東洋人街で、紀宮さまのご到着を、今か今かと待ち焦がれている人々の
写真があります。

 
沿道の人々のほとんどは、紀宮さまの御誕生を日本でお祝いされなかった方々と
推察します。
紀宮さまをこれからお迎えする皆さんはとても生き生きと、
喜びに満ちた表情をされていますね。

〈救済会 在日協力会   H.Takahashi







May.17. ブラジル移民の方々 第4弾
在日協事務局掲示板では「ブラジル移民の方々」シリーズ第4弾として
サンパウロ新聞記者の松本 浩治 氏の写真集「移民T」の作品を
紹介しています。 今回は、日系人の多いサンパウロにて撮影された,
男性6名の写真です。
 
移民としてブラジルで生活されて、幾多の困難、試練を乗り越えて
今日があると思いますが、皆さん何とも言えない柔和な表情をされています。
 
また、「この写真は本当にブラジルで撮ったの?」と思うのが、
大阪橋にかかる赤い大鳥居です。
提灯もぶら下がっていて、まさに日本そのものです。
 ※ カラー写真は以下をご参照 〜「南米一の大都会サン・パウロの魅力」より〜 
 
 
 
 
「大阪橋」は、商業都市「サンパウロ」と日本の商業都市「大阪」が、
姉妹都市として結ばれた記念に命名されました。
 
この大鳥居のある東洋人街(リベルダージ)は、かつては日本人街と
言われていました。
リベルダージには、今でも日本で売られているものは何でも揃っています。
日本の週刊誌・単行本や和菓子、油揚げ、みそ、ラーメン等々・・・
食品類の大半は、材料や製法、気候、水などが異なる現地で
作られていますので、 日本で作られたものとは微妙に違いがあります。
しかし、日系人やブラジル在住の日本人には懐かしい味として
非常に重宝されています。

 
 
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